シブヤ大学
街の先輩訪問街の先輩訪問レポート

街の先輩訪問レポート13(幅 允孝)


先輩/幅 允孝さん(BACH代表)
訪問者/青山 晃久
訪問日/2010年3月19日
訪問内容/面談

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1. はじめに
モノを生み出す、モノを提供する場を作る、そしてモノとヒトによる喜びを共有する。そんなことを日常の中で考え、自分でもいずれはそんな空間を創りたいと感じていた中、この街の先輩訪問という企画を見つけました。
もとよりBACHの幅さん(以下、幅さん)には大きな魅力を感じ、「まずは話を聞いてみたい、関わってみたい」と思っていました。
それは幅さんが、あまりにも「愉しそうだったから」に他なりません。他の場所で講演を聴いたりした時も感じたことですが。すぐに応募し、運良くお話することが出来ました。

2. ピボットターン
ブックディレクターとしての幅さんの仕事は、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIを始め、国立新美術館のミュージアムショップやCIBONE、シブヤパブリッシングブックセラーズや、最近ではブルックリンパーラーなど、いわば「本のある空間」をプロデュースすること。
とにかく本そのもの、あるいはページを捲るという行為そのものを、もっと広くたくさんの人に愉しんでもらいたい。そんな動機のもと、様々な形態の場所に様々な形式で本を選び、提供していく。
先述した書店やショップのみならず、塾や病院、さらには選定のみならず本の編集に至るまで、多岐に渡る。

青山ブックセンターから、(株)ジェイ・アイに移り、そして独立、現在の多くの仕事。その流れを聞く中で、幅さんはピボットターンという言葉を使われた。

「ピボットターンをするんです。本という軸足を常に置いて、BACHがいろんなところに足を延ばす」

つまり、本という軸、根底さえそこにあれば、あらゆることを試みるということ。それがBACHのやり方であり、BACH流の本の広げ方である。

例えば国立新美術館。これまでのミュージアムショップにありがちな美術を網羅しなければならないという感覚や、特別な本をそろえなければいけないという概念を取り除いて、今のTOKYOで面白い美術、そして美術そのものに興味を抱けるような本を集める。
例えば千里リハビリテーション病院。脳梗塞の患者のための、リハビリテーションとなる本。いわば「効く本」を、短い言葉の本や写真集、阪神タイガースの本など、ジャンルを問わず集める。
例えば駿台予備学校。学生のための、将来や未来を考えさせられる本を集める。
例えばTokyo's Tokyo。少ないブックスペースというものを逆転の発想で生かし、テーマを定めた「この一冊」と思える本を揃える。
例えばJAGDA REPORT。グラフィックデザインという領域に踏み込む。
例えばパークライブラリー。本とカゴと敷物を貸し出すという方式で、「まずは気軽に本に触れてもらう」というコンセプトを、あたたかく具現化する。

どれもが、既存の本屋でもなく、本のための分かりやすいショップでもない。けれどあえてそういうトコロに足を延ばし、本を提供する。
「裾野を広げる」という表現が正しいかは分からないけれど、もの凄く簡略化して言うなれば、そういうことかもしれない。そして広げた本の裾野を、より深化させるということ。

3. 磁場
そのように様々な場所で展開するためには、何が大切なのかを問う。ブックディレクションをするにあたり、何を考え、どのような基準でディレクトするのか。本に詳しいことは前提の上で、何かがあるはず。
 基本的には幅さんが一人で中心的な選定を行う。そしてその軸を活かして、本を集める。いかなる本も幅さんを通過した後に扱われ、通過しない本はない。

 「その土地土地の磁場というか、人々の感覚というか......そういう磁力みたいなもの」

 幅さんにも本の好き嫌いや、オススメなどは勿論ある。けれどただそれを自己満足的に提供を試みて、本の良さをわかってもらおうとしても巧くいかない。
 
 例えば子供。子供たちに急に名作の小説や小難しいお話の本を読ませようとしても、興味すら示さない。それは、それらの本が子供たちの磁場に、未だ入っていないからだ。ならば。マンガから入る。ワンピースから話をして、海賊の話になり、モティーフとも言える小説の話になり、最終的にはマンガから違う本の世界に入る。するとごくごく自然に子供たちは本を手に取り、自ら読み、愉しむ。ワンピースというマンガが子供たちの磁場であり、その磁場にひっかかるところからなら、大いに興味を示す。
 例えば地域。大阪の人々が集う場所には、阪神タイガースの本も良いだろう。けれどそれが名古屋で通じるかというと、それは違う。名古屋は名古屋で今度は、中日ドラゴンズを、広島なら広島カープの本を置くべきだ。東京なら今の東京を映し出すような本、あるいは過去の東京に想いを馳せて明日を想うような本。環境を重んじる場所なら、エコスタイルの本、若しくは自然そのものの本。そんな風に。
 例えばヒト。体が不自由ならば負担にならない本を。これからを夢見るならば、未来を考えられる本を。デザインを意識するなら、ファッショナブルで文化を感じられる本を。

 「本を広めたいとは思うけれど、押し付けても仕方がない。それじゃ広がらないし、意味がない。そこにいる人達が、なんとなく自然に手を伸ばしたくなるように。求めている本を、こちらが持っていく感覚」

 磁場を感じ、その場所のための本、そのヒトのための本ということ。

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4. 本の力
なぜそこまで、本にこだわるのか。多様なメディアが存在する中での、恐らくは原始的とも言える本。

 「本の内容ももちろん、発見がある。でもそれだけではなくて、ページを捲る感覚。印刷インクの独特の香り。本があるというスタイル。そんな形だからこそ、新しいことが生まれる」

 本は形がある。ネット上の情報やテレビなどとは異なる形。それら総てが力になる。紙の質感や重み、文字や写真の色や香り、文章やページに込められた想いや感情...。
 そのどれが、どのように、誰に強く響き届くかはそれぞれだけれど、あらゆる人たちにその面白さを伝えることが出来るのではないか。
 環境の創り方次第で、それらをもっともっと伝え、広げることが出来る「可能性」があるメディアだということ。

 「そして、この世の中の本に、善い悪いはない」と言う。勿論、編集が細かくてしっかりしていたり、雑に製本されていたり、装丁に凝っていたり、印刷が汚いモノはある。けれどそれはその本が善いか悪いかではなく、良く作られたかどうかだ。
 かの本は、ある人には全く無用の長物かもしれない。けれど、違うある人には実用性豊かな大切な一冊になるかもしれない。かの本は、ある人にはただの印刷物に過ぎないかもしれない。けれどまたある人には、人生を変えるほどの衝撃を与えうる一冊になり得るかもしれない。
 だからこそ、選定する側が一方的に善い悪いを定めてはいけない。いかに、その本が読む人にとって意味のある本でありえるか、ということ。

5. 愉しみの連鎖
多くの仕事の流れや感覚を聞いた後に、「どうやって、その情熱を維持しているのか」を問う。
 個人で会社を経営していたり、店を展開している人々が一様に言うのが「開くことは簡単だよ、ただ維持するのが難しい。利益もそうだけれど、情熱を維持することが難しい」と。
 しかし。

 「そんなこと、考えたこともなかったなぁ。情熱というか、愉しくなくなることはないから。本って言っても本当に色々なことをしていて、やりたいことだらけ。選ぶだけでも売るだけでもない、編集もするし周りのものも創る。本に関わる愉しみが尽きることはない」

 BACHのピボットターンゆえの言葉とも言える。本を軸に置きつつ、様々な環境に出ることで、新しい何かが次々と出てくる。パッケージングの出来ない仕事をあらゆる方面で行うために、常に頭をフル稼働させる必要がある。
 ブックディレクションという括りの中には、同じように見える仕事でも、実は内容も濃さも深さも、方向性も違う愉しみが連なっている。そして一つを終えるとまた一つが始まるように、愉しみの連鎖がある。
 
 だからこそ、幅さんは「愉しそうに」見えていたのかもしれない。

6. おわりに
二時間弱という短い時間でしたが、本当に多くのことを遠慮なく訊かせていただきました。こちらの質問の意図するところや考え方を、とてもうまく噛み砕き解釈した上で、幅さんの感覚で語ってくださいました。
僕自身のやりたいことも、愉しみの連鎖がきっと生まれることであると確信が持てたと共に、現実的なアドバイスも頂きました(あまりに具体的なので割愛しますが)。
今回の訪問を通して最も頭に残るのは、「結局はコミュニケーションだと思う」と幅さんが語ったことです。独立するにしても、仕事をするにしても、愉しく過ごすにしても、結局大切なのはコミュニケーションで、人との繋がりが多くを生み出してくれるということでした。
確かに幅さんの事務所を見渡してみると、それだけで様々な方面との繋がりが感じ取れるようでした。ある意味ではカオスのように、ある意味では清流のように。そこには繋がりが渦巻いているような。
今回を通じて、ごくごく僅かながら僕自身も幅さんとつながれたことが、何よりも嬉しく感じます。
真摯な対応と姿勢、学ぶべきところが多く、短い時間とは思えぬほど良い経験、良い感覚を身につけられたと思います。
ありがとうございました。