シブヤ大学
しごと課の授業

自分の仕事を編み直すの授業感想



2月18日に開催した
自分の仕事を編み直す~視覚障がいを持つ方の仕事の話を聞いて、
自分の仕事について考えてみませんか?~
」の授業に参加した
生徒さん、そして、運営スタッフから授業後数日経って、
授業の感想を任意でいただきました。

ここにはその感想を掲載させていただきますので、授業に参加された方も
そうでない方もぜひご覧ください。

※感想は都度更新いたします。(2012.03.06現在)


【授業参加者(1)】

■気づき
・障がい者のキャリアプランを会社は用意していない。「放っておかれている」という言葉が胸に刺さりました。

・障がい者の仕事をもっと広げるためには、上司・周囲との緊密なコミュニケーションが必要。「何ができるか」「何をしてもらいたいか」など、話し合う中で新たな活躍シーンを見つけられる可能性が、確かにありそうです。

・知らないだけで、知っていればできること、やりようのあることは色々ありそう。例えば、文書の読み上げ機能はWordやExcelから直接PDF化したものは読めるが、印刷後にPDF化したものは読めないから困るというお話。目から鱗でした。

■感想
・実は障がい者に限らず、会社から見るとマイノリティに当たる人たち(ワーキングマザー、介護中の人、ひょっとしたら新入社員も?)も同じことを感じているのでは?ただ、効率性の観点から会社がマジョリティ向けの対応を優先するのは仕方ない部分もあり、それを悪いと言っても始まらない。他の観点からアプローチする方法を考えないと進みにくいと思います。それが何なのか、思案する今日この頃です。

・一発逆転のレバレッジポイントはなく、地道に一人一人と(が)向き合い、日頃から話し合うことが大事。別に障がい者に限ったことではないけれど、よりニーズは強いのでしょうね。こうした気づきをもたらすのも、ダイバーシティの力なのかもしれません。

・会社や他人に期待するだけでなく、自ら動いてチャンスを作る姿勢に拍手!会社以外の場所、趣味や起業などで自己実現の場を作っている(作ろうとしている)ことに励まされました。これも障がい者に限らない話しだと思います。私も頑張らなくてはと思いを新たにするいいきっかけをいただきました。


【授業参加者(2)】

■授業の内容について
・今まで視覚障がいの方の話をちゃんと聞いたことがなかったので、視覚障がい者について新しく教えてもらうことが多かったです。

・日頃から障がいのある人と接する機会が大切だと改めて思いました。知り合いに障がい者がいるというだけで、障がい者に対する姿勢が柔らかくなるという話からです。実は、前に参加したブラインドサッカーの授業でも同じお話がありました。今回の授業を通して、障がい者と健常者が同じ場所にいるということが必要だと改めて考えさせられました。

・一番勉強になったのは、自分から話したり聞いたりすることの大切さです。相手に理解してもらえないことを悩むんじゃなくて、自分から働きかけることの大切さが一番心に残りました。視覚障がい者目線でそれを教わったけれど、でもそれって障がいのあるなしに関係ないことだということにも気づいて、誰にも共通することなんだと思いました。それが障がい者と健常者の壁を低くする力にもなる気がしていて、お互いに働きかけることが、相乗効果を生むんじゃないかと思いました。

・あと、「目が見えないことで出会えた人がいる。目が見えなくても普段会えない人との出会いがある」という言葉が印象的でした。先生お二人のあっけらかんとくだけた魅力があってこそ出てくる言葉で、無いものを数えるんじゃなくて、あるものを大切にすることが幸せを呼ぶのかなと、改めて教えてもらいました。

■授業の進行について
・時間がおしてしまったけれど、松田さんの問いかけで「あぁそういえば」と良い意味で気づかされることがありました。視覚障がいの方の話が初めてだったので、ぱっと疑問が浮かばない中で、「確かにそれは気になる」という疑問を投げかけてくださったことで、より理解が深まった気がします。しごとカフェとは違って、先生がいる授業では、コーディネーターさんが質問を挟むというスタイルのほうが、良い波が出来て良いなと思った。


【授業参加者(3)】

「ほんのちょっとのことなんですけどね」
という言葉が耳に残った。
仕事のお話を聞くと、私が当たり前だと思っていたことがお二人にとっては当たり前ではなかった。
PDFは音声の読み上げができないから内容がわからない。
マウスはポイントの操作ができないので使えない。
でも、「ほんのちょっと」の工夫で仕事はできる。
わからなかったら、すぐそばにいる人に聞けばいい。
「この書類はなんて書いてあるんですか」って聞けばいい。
そんな当たり前のコミュニケーションが普段できているだろうか。
私たちはなんでもできる。できて当然だと思われている。みんなが同じような能力を持てるように教育されている。みんなと同じようにできるのがふつう。できなかったらおかしい...。だから、わからないことを聞くのがはずかしい、忙しそうだから聞けない、言わなくてもわかるだろう...。それによって、仕事をしづらくしている。
本当は、誰にだって、できないことと、できることがある。それが個性だと思う。
「私はこれは苦手だけど、こういうことは得意だから」
「じゃあ●●さんにはこれをおまかせしよう」
そういうふうに「違い」という個性を認め合えば、みんなで助け合って、会社が明るくなる。そして、いいものを生みだして、経済もよくなるのではないか。
障がいも個性なのだと思う。もちろん、障がい者の方たちはつらい思いもされてきたと思う。でも、それぞれの個性を持ち寄れば、思いもよらない新しい世界が見えるのではないか。
ほんのちょっと相手のことを考えて、わかりやすく言ってみる。そんな思いやりが足りないのかもしれない。ただちょっと声をかけてみるだけでも違う。それでお互いの壁が一気になくなることもある。
都会の人も、地方の人も、大人も子どもも、たとえば公務員も大手企業の人も、小さなお店の店主も、農業の人も、いろんな人たちが協力しあえる社会になるといいな、と私は常々思っていた。けれど、人はみなそれぞれのレッテルを見て区別している。
自分さえよければいい、というのではなく、みんなが壁を取り払って、自由に往き来できるような、そんな世界ができるのではないか。
この日会ったお二人は笑顔が素敵だった。たったそれだけでいままで感じていた壁がなくなる気がした。「障がい」というレッテルが見えなくなった。
1週間、いつもどおり仕事をして、何かが急に変わったということはないけれど、いまからできることは、笑顔であいさつするとか、電車で席をゆずるとか、友達に自分の考えをシェアするとか、「ほんのちょっと」の積み重ねなのだと思う。私はそれを続けてみたい。


【授業運営スタッフ(1)】

■仕事の悩み
・人それぞれ、悩みの数・質(深刻さなど)は違うけども、共通部分が多い
→障害のあるなしに関わらず同じ部分が多い

・特にみんな上司・同僚とのコミュニケーション不足に起因する悩みが多い
→ちょっとした工夫ですぐに解決できそうなことも。 でもそのちょっとが難しい。。
相手は気を遣ってくれているつもりだけど、でもそれが受け手にとっては、ストレスになっていることもありそう。

■視覚障害を持っている方とのコミュニケーション
・お話しするときには、会話の初めに自分の名前を伝える
・大勢の前でお話しいただくときは、部屋の大きさや、ものの配置を伝え、拍手など
 で人数の多さを感じてもらう
・道を案内するときは、歩道のデコボコの上を歩いてもらうのではなく、片足が乗る
 くらいで大丈夫
・相手の方がどうして欲しいのかわからなかったら、「どうやったらいいですか?」と
 聞いてみる
 →個人的にはこれがこの授業の本質かなぁと思いました。
   障害のあるなしとかに関わらず、どんなことに対しても、誰にとっても言えること
  ですよね、きっと。

■心に残った場面
最後の方で、松田さんが「目が見えなくて良かったことってありますか?」というような質問をされたと記憶しています。
その質問を聞いたときは、松田さんと先生方が親しい関係にあると分かってはいてもそんなこと聞いちゃうの?みたいなことを思ってしまいました(スミマセン)。
でも、お二方ともさらっと答えちゃっていて、そのときに、自分は障害を持っている方に対して、何か過剰なところがあるのかな、と思いました。
きっと、普通に接することが一番喜ばれるんでしょうね(全くの主観です)。
そんなことを思いながら、心に残った先生の一言は、

目が見えないと、歩いているときに「お手伝いしましょうか?」って言ってくれる人がいる。
目が見えなかったら、こんなこと言ってくれる人に会えなかったと思う。

なんか、これすごいなぁとちょっと感動しちゃいました。