しごと課

しごとの話 vol.003 何歳になっても、「夢」へ踏み出せる。


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はじめに
新しいことに挑戦するとき、「もう始めるには遅すぎるんじゃないか」とか、「自分にはできないんじゃないか」という気持ちで立ち止ってしまうことはありませんか。そんなあきらめ癖は良くない、人生もっと挑戦して楽しんだほうがいい、そんなふうに思っても実際に行動するのは難しい。私自身は、よくそんなふうに思います。
今回ご紹介する大熊美佐子さんは、野菜をふんだんに使ったお料理を振る舞うベトナム料理店「Veggie」のオーナーシェフ。実は彼女は61歳のときに長年の「お店を持ちたい」という夢を叶え、「veggie」を開業しました。開業前は主婦をなさっていて、お店の経営には全くの素人だった彼女。
60歳を過ぎてから夢を叶えるなんて、どんなにパワフルで行動力のあるおばあちゃんなんだろう!と驚いたことが、今回のインタビューのきっかけです。そんな大熊さんのお話を伺うことで、いくつになっても新しい道へと挑戦できる秘訣を学びたいと思います。

経歴
野菜ソムリエの店「veggie」オーナーシェフ。愛知県生まれ、結婚を機に東京に移り、夫の仕事を手伝いながら主婦となる。40代でフラワーアレンジメントを習い、52歳で懐石料理を習う。53歳で水泳を始め、60歳にベトナムでの遠泳大会に参加してベトナム料理に目覚め、帰国後ベトナム料理を習い始める。61歳で「veggie」開業。現在69歳で現役オーナーシェフを務める。野菜がたっぷり食べられるアットホームな店として人気を博している。
Veggieホームページ

主婦として大家族の食卓を切り盛り
-veggieを開業する前は主婦だったと伺ったのですが、どんな生活をなさっていたんですか。
主婦として家事や子育てをしながら、夫の仕事をずっと手伝ってきました。夫は自営業で、家族だけではなく、住み込みの従業員もいたので、もう10人以上の大家族でした。家事はすべて任されていたので、10人分以上の食事を、大鍋で毎日作っていたんです。体力勝負でしたが、辛いと思ったことはなくて、料理を作って、みんなに食べてもらうのはずっと好きだったんですよね。

-昔からたくさんの料理を作ってきたんですね。その頃からお店を持ちたいという想いはあったのですか。
そうですね。その頃から今のような形でベトナム料理店を開業したいと思っていたわけではないのですが、自分のお店を持ちたいという想いはいつもありました。
結婚前は名古屋のブティックに勤めていて、自分のお店を持って独立しようという想いもあったのですが、結婚を機に名古屋から東京へ引っ越しまして、家庭に入って断念したんです。結婚後、子供も授かり、育児が忙しくなってそれどころではなくなってしまいましたし。
育児が落ち着いた40代の頃に、高橋永順さんのお花の個展を見に行ったら、とても感動しまして、即高橋さんにお電話してフラワーアレンジメントを15年ほど習いました。そのときはお花屋さんを開きたいと思ったのですが、夫の仕事が忙しくて断念しました。
また、52歳から懐石料理を習い始めて、ますます料理に没頭するようになっていたので、小料理屋を開いてみたいという想いを持っていましたが、その頃も夫の仕事の手伝いが忙しく、なかなか踏み出せずにいました。
お店を開業したいという想いはずっとあったのですが、他に優先しなければならないことがその時その時にあって、諦めてきたんです。

61歳で迎えた人生の転機 「Veggie」開業
-そんななか、61歳で「Veggie」を開業したと伺いましたが、なぜ61歳というタイミングで開業に踏み切ったのですか。
「今やらないと、もうできなくなってしまうのでは」と思ったからです。その頃同じ年頃の友人が亡くなって、自分もいつどうなるか分からないと思い、決意を固めました。もう他のことを優先している場合ではないなと思ったんです。
夫に「60歳で定年退職させて頂きます。小さな料理屋さんをやりたいんです。」と伝えたら、快く応援してくれまして、お店の場所もすぐに決まって、トントン拍子に話が進みました。


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大好きな野菜をおいしく食べもらいたい
-懐石料理ではなく、ベトナム料理のお店を開業したのは何か理由があったのでしょうか。
実は53歳から始めた水泳がきっかけなんです。私は水泳なんて全然できなかったんですが、娘がきれいにクロールをする様子を見て、「私もクロールができるようになりたいわ!」と思いたって、水泳教室に通って、どんどん上達して、海外で遠泳の大会に参加するようになりました。
それで、ベトナムの遠泳大会に参加したときに、野菜がふんだんに使われているベトナム料理の魅力に惹かれたんです。帰国してすぐ、伊藤忍さんという先生にベトナム料理を習い始めるくらい!
元々私は野菜が大好きで、外食に行っても前菜くらいしか野菜料理が食べられないのは残念だと思っていたんです。「もっといろんな種類の野菜料理が食べたいわ」なんて思ったりして。だからこそ、野菜がたくさん食べられるベトナム料理が気に入ったんですよね。味付けもエスニックだけど辛すぎず、素材の味を消していないし、日本人の口に合うと感じました。
和食のお店を出すことも考えたんですが、特に野菜を好きなのに食べ方がわからない、という意見が多い若い女性に、もっともっとおいしく野菜を食べてほしいと思ったので、ベトナム料理のお店にしたんです。

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知らないからこそ、無茶ができる
-お料理が好きだったとはいえ、「お店を経営する」ということに初めて挑戦したわけですよね。かなりハードルの高いチャレンジだったのでは、と思うのですが、不安はなかったのでしょうか。
そうなんですよね、普通だったらお店を経営するなんて、不安ですし色々と考えますよね。でも、私の場合は、経営に関して不安を抱くほど知識がなかったんです。単純に「やりたい!」という気持ちでどんどん突き進んでしまって、場所や内装もトントン拍子で決まっていったから立ち止まる暇もなくて、無我夢中でした。
周囲の人たちには「うまくいかなかったら早く辞めたほうがいいよ」と言われたりもしました。でも、私としては失敗しても、やらないよりはやったほうがいいという想いがあったので、あまり気にしませんでしたね。今思えば無茶なことをしたな、と思いますが、怖いもの知らずってやつです(笑)。

-知識がなかったことが、逆に追い風になってくれたんですね。今ではいつもお客様で賑わっていると聞いていますが、開業後は順調にいったのですか。
ここは人通りの多い道でもないので、最初は全くお客様が来なかったんですよ。来てくださるのは知り合いばかりで。知り合いだって毎日来てくれるわけではないですから、毎日暇で仕方がない時期もありました。それでも大々的な宣伝なんてできないので、自作のチラシを作ったり、友人に口コミを広めてもらったり、できることをやっていました。
そうしたら、あるときマガジンハウスの「Hanako」の編集者さんが気に入ってくださって、紙面で紹介していただき、だんだんとお客様が足を運んでくれるようになりました。「Veggie」にいらっしゃるお客様は、オープンからクローズまで野菜料理を召し上がりながら、ゆっくりとお話をしていかれる方が本当に多いんです。野菜をたっぷり美味しそうに食べてもらえて、私自身もお客様とお話ができたりすると本当に楽しいです。開業当時は10年できればいいかな、と思っていましたが、今では死ぬまでお店を続けたいと思っているくらいです。

できないかも、と考える前に飛び込んでみる
-生涯現役でいたいと思えるお仕事に出会えることは、とても素敵なことですね。
大熊さんはお店の経営だけでなく、多趣味でいらっしゃいますし、「やりたいこと」を見つけたら躊躇わずに向かっていき、楽しんでしまう姿勢がとても魅力的です。
私自身は「素敵だな」と思ってもなかなか行動にうつせないのですが、そこで踏み出せる秘訣は何なのでしょうか。

あまり「できないかも」と尻込みをしないことだと思いますね。趣味で水泳を始めたと話しましたが、50歳まではクロールも全然できなかったんです。それでも、「できないかも」ではなくて、「やってみたい」という気持ちの方が強くて。
そのときも主人の仕事が忙しかったので、逆にすぐ行動を起こさないとできなくなってしまいそうで、どんどん行動にうつしていきました。まさか海外の海で泳げるようになるなんてことまでは想像もしていなかったのですが、没頭すれば全くできなかった水泳もできるようになるものですね。宮古島やベトナムなどいろんなところで泳げましたし、とても楽しかったですよ。
今は「Veggie」が忙しくて水泳も頻繁にはできなくなってしまいましたが、このお店が楽しいので、フラストレーションもありません。このお店を開くときも失敗を恐れるよりも、これからどうするか、楽しいことばかり考えていました。やっぱり楽天家なんですね。借金をせずにこのお店を始めたことも、気負わなくて済んだ理由かもしれません。

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いつでも「今」が一番楽しい人生を
-できないかも、という発想を捨ててやってみれば、意外とうまくいくものなのかもしれませんね。今、「自分にはできないかも」という気持ちで新しいことに踏み出せない人に何かアドバイスをお願いします。
まずは家の中ばかりではなくて、外に出たほうが絶対に楽しいですよ。私はこれまで、家を守らなければならなかったので、あまり外に出れなかったんですが、家事や主人の仕事の手伝いで忙しかったときでも、どうにか時間をつくってフラワーアレンジメントに通ったり、懐石料理を習ったり、遠泳に挑戦したりしてきました。
ずっと忙しくて、まとまった時間がとれないと分かっていたからこそ、無理してでも自分が「素敵だなぁ」と思ったらすぐ行動にうつしてきたんですよね。「今やらないと、もうできなくなってしまう」って。お店を開業したときの気持ちと同じですね。
家にとじこまらず、外に出れば、そんな「素敵だなぁ」と思えるものに出会えますし、素敵な人たちにも出会えます。そういう出会いを大切にして、「素敵だなぁ」とか「やってみたいなぁ」という気持ちを行動にうつしていけば、絶対に楽しいと思います。いつでも今が一番楽しい、という気持ちでいられたらいいですよね。

さいごに
大熊さんは「パワフル」という当初のイメージとは異なり、とても穏やかな方でした。彼女が次々に新しいことに挑戦できるのは、自分のアンテナに引っかかった「すてき!」という気持ちに正直だから。「すてき!」と思ったら、即行動。それが大熊さんの人生を豊かにしていると感じます。
新しいことに挑戦する上で必要なことは、パワーやがむしゃらさよりも、純粋に好きなこと、素敵だと感じることを追い求めることなのかもしれません。
自分にはできないんじゃないか、もう遅いんじゃないか、という気持ちに蓋をして、自分の「すてき!」という気持ちに素直になることが人生を楽しむ秘訣かもしれません。大熊さんはまだまだやりたいことがあるそうです。これは、私たちも負けていられません・・・!(芳賀)

しごとの話 vol.002 川の流れに沿って生きる、働く。


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矢島里佳さん(株式会社和える代表)

はじめに
「0から6歳の伝統ブランドaeru」とは、伝統産業の職人が一つひとつ作った、乳幼児向けのブランドだ。本藍染の産着や漆塗りの器や箸。伝統産業の職人によって作られた本当に良いものが、子どもの頃から自然と体に染み込むような環境を創出している、いわば和のプロデュース集団だ。
このブランドは、株式会社和えるの代表である矢島里佳さんの「21世紀の子どもたちに日本の伝統をつなぎたい。」という強い思いから始まった。
和える公式サイト:http://a-eru.co.jp

矢島さんは22歳にして起業し、自社ブランドを2年前に立ち上げ、ブランドの規模は順調に拡大している。まだ25歳の矢島さんがここまでの結果を出しながら、自分の夢に一直線に向かっている、しなやかに楽しそうに働くことが出来ているのはどうしてだろうか。
矢島さんが「和える」を立ち上げるに至った経緯、働き方とその考え方を知ることで、自分のやりたいことに真っ直ぐ向かうためのヒントを探りたい。


経歴
1988年東京都生まれ。2009年から約3年間、伝統を次世代に繋ぐ全国の若手職人をフィーチャーした雑誌連載を執筆。その連載をきっかけとして、赤ちゃんと子ども×伝統産業の市場開拓の重要性に気が付く。2010年、学生起業家選手権 優勝(東京都・東京都中小企業振興公社)。慶應義塾大学法学部政治学科在学中の2011年3月、株式会社和える(aeru)を設立、代表取締役就任。2013年 慶應義塾大学政策・メディア研究科 社会イノベータコース修士課程を修了。

「和える」を始めるきっかけ

-伝統産業に思い入れを持つに至ったのはどうしてでしょうか?
私は父母妹と私の4人家族で、伝統産業に触れる機会がほとんどない、いわゆる現代的な家庭で育ちました。その中で伝統産業品と出会ったきっかけは、中高時代に茶華道部に所属したこと。お茶室は、茶器や棗を始め、全てが伝統産業品で構成されており、総合的に日本の伝統を感じることができる空間でした。お茶室にいると不思議と心が落ち着く、という感覚を覚えました。そこから自然と、伝統産業品に興味を覚えるようになりました。
 伝統産業に触れないままで大人になっていくと、日本にいるのに日本のことを全然語れなくなってしまうんですよね。海外に行ったときでも、英語が話せないから日本のことを話せないのではなく、自分の中に話すことがないんですよね。もし幼少期から自分の身の周りに伝統産業品があったなら、もっと日本について語れるようになるのでは、と思ったのが原点です。
大学2年生のときに、日本各地の伝統工芸を回る旅に出ようと思いました。ただ、職人さんに会いに行きたいけどお金がない。だから、仕事にしたらいいんじゃないかと思って、
「20~40代の若手の職人さんを取材したい」という企画書を作り、周りの大人に聞いて回りました。そうしたら偶然JTBさんが会報誌を出すタイミングと合い、担当の方をご紹介いただき、1ページの連載を持たせていただくことになりました。このことがきっかけで、伝統産業の職人さんを回る旅に出ることができたのです。よくそんな思い切ったことが出来たねと言われることもあるのですが、私にとってはすごく自然な流れ。真剣にどうしたら職人さんに会いに行けるかを、一つひとつ考え抜いた結果が仕事を作ることでした。また、やりたいことを周りに公言することで、人を紹介していただくことができ、良いご縁をいただくことが出来ました。


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-その後、どうして「和える」を起業することになったんですか?
就職活動をするときに、伝統産業の職人さんと子ども向けの商品を作るお仕事につきたいと思って会社探しをしたのですが、見つからなくて。どうして見つからないのだろう?と思ったのですが、すでに誰かがチャレンジしたけどビジネスとして成り立たなかったか、実はだれも考え付いてないのかどちらかだと思ったのです。そこで、起業プランを作ってビジネスコンテストに挑戦してみることにしました。「キャンパスベンチャーグランプリ」(日刊工業新聞主催)では、特別賞をいただきました。しかし賞金は10万円だったので、起業資金には足りませんでした。
そこで別のビジネスプランコンテストにもチャレンジすることにしました。「キャンパスベンチャーグランプリ」の審査過程で、審査員のみなさまからさまざまなアドバイスやヒントを頂くことができたので、さらにビジネスプランをブラッシュアップして、次のコンテストに出場しました。これは、「学生起業家選手権」(財団法人東京都中小企業振興公社主催)というものです。
 このビジネスプランコンテストに参加したところ、なんと優勝することができました。このプランはビジネスとして成り立つ! そう確信した私は、コンテストで得た優勝賞金の50万円と起業準備金の100万円、合わせて150万円を資本金とし、約1年の準備期間を経て、2011年3月16日、「株式会社和える」を設立しました。


2つの市場を「和える」ことでのモノ作り

-伝統産業と乳幼児向け商品の組み合わせが非常にユニークだと感じました。どうしてこの組み合わせを思いついたのですか?
伝統産業自体はすごく素敵だと思うのですが、純粋に「これ欲しい!」と思うものが少ないのはどうしてだろう......という素朴な疑問が最初にありました。現代の生活には馴染まないものも多く、どうしたら自分の日常で使えるようになるんだろう、と考えていました。
また、乳幼児向け市場にも疑問を持っていました。本当に子どものためを考えている商品って、実は少ないように感じていました。例えば、器やコップは落としたときに割れると危ないからという理由で、割れない素材で作られているものがとても多いのですが、割れることを学ばない事のほうが、私からすると危ないと感じました。
乱暴に扱うと大切な器やコップが割れてしまう。割れないようにするにはどう扱えばいいのかを学ぶことのほうが、本質的な子どもの教育だと感じています。

2つの市場それぞれに疑問があって、「和える」は2つの市場の疑問を"和える"ことで、今までにありそうでなかった、本質的なモノ作りが出来るのでは、と感じました。それぞれの疑問を一つずつ紐解いていくことで、「和える」のコンセプトが完成しました。

将来、私自身に子どもが出来たら、職人さんが一生懸命作ったものを使って育てたいなとも思いました。例えばaeruの製品に『愛媛県から 手漉き和紙の ボール』というものがあるのですが、これは和紙の職人さんが一個ずつ丁寧に手漉きで作ったものです。通常の和紙は平面で漉くことが多いと思いますが、和紙のボールは籐の木の蔓を編んで、立体的なボールの形にしてボールごと漉いています。漉いては天日干しして、という作業を8回前後繰り返すことで、ようやく1つのボールができます。
自然の恵みだけで作っているから、赤ちゃんがとても良い反応をするんですね。店頭で販売していた時にお客様が、赤ちゃんが和紙のボールで遊んでいて、ボールを取ると普段以上にすごく泣いてしまう。いつもはこんなに泣かないのにって仰るんです。これって、赤ちゃんの直観、感性にぐっと入るものづくりが出来ているからだと思うんですよね。


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失敗を失敗で終わらせないから、成功だけが残っている。

-様々な挑戦を繰り返して、いまの「和える」があるんですね!
和えるはたくさんの挑戦をするからこそ、上手く行かなかったことも、その分たくさんあります。挑戦した多くの物事のうち、いくつかがご縁がつながって形になっているんです。挑戦する回数がとても多いと思うのです。トライ&エラーのスピードが少し速くて、かつ数も多い。失敗も次の成功のための必要なプロセスだと思っているので、失敗したこともあまり覚えていなくて(笑)

-成功・失敗に対する考え方がとても印象的です。失敗したときに落ち込んだりしないんですか?
もちろん失敗する度に、落ち込みはしますし、相手に迷惑をかけてしまった時は、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになります。けれども、失敗を失敗のままで終わらせてしまうと、本当に失敗になってしまうので、なぜ失敗してしまったのか分析をします。ちゃんと失敗を受け止めるからこそ、その失敗を活かして次の挑戦が成功する。だから失敗が失敗ではなくなって、成功につながっている。そんな風に失敗を捉えていますね。


川の流れに沿って生きる、働く。

-22歳で会社を立ち上げるのは、非常に勇気も体力もいることだと思います。そのエネルギーはどこから湧いてくるのでしょうか?
すごくエネルギッシュに見られるのですけど、全然そんなことはないんです。エネルギー量はむしろ普通だと思います。ただ、私のモットーは川の流れに逆らわず生きること。自分の気持ちに正直に、やりたいことをやっているから、自然と力も湧いてくるのだと思います。
川の流れに沿って、やる気がない日はやる気がない自分と付き合う。無理してやるよりも、やる気が出るのを待った方がいいだろうなと思っています。例えば、そよ風が吹いている日は心地よく川は流れていますが、台風の日の川は大氾濫を起こします。そうなった川を無理やり止めようとしても無理ですよね。そういう時は、台風が過ぎ去るのを待つしかないと思うんです。だからこそ、余裕を持って働けるようになりたいなぁと思い、少しずつ川の流れに寄り添う練習中ですね。
いまの日本社会は、本来の日本人が得意としていた、自然と共存して生きることより、人間が作りだしたルールが先立っているように感じます。そのルールを厳守するために、実はたくさんの我慢を知らず知らずのうちにしていて、そこにエネルギーが使われてしまって、本来のパフォーマンスが発揮できていない人が多いのではないでしょうか。だから真面目で繊細な人ほど精神を病んでしまう。もっと自然と共存して生きられる社会になれば、ストレスも軽減され、よりよい精神状態を保てると思います。緩やかな経済成長と心の豊かさを両立させていくことが、これからの日本に求められることではないでしょうか。


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-「和える」の仕事に対して、どうしてそこまで熱意を持って取り組めているのでしょうか? 矢島さんの若さで起業するのはとても大変なことに見受けられます。
自国の文化や先人の知恵に学び、それらを活かしながら生きていく。そんな社会で私は生きたいと思ったからです。生きることって簡単ではないと思うんですよ。でもどうせ大変なら自分がやりたいこと、理想とすることのために自らの人生の時間を使いたい。だからこそ頑張る意欲が湧いてくるんだと思います。
私はある意味では、365日24時間、「和える」のことを考えているのかもしれません。もちろんご飯を食べたり友達と会ったりはするんですけど、頭の片隅に「和える」のことがずっとあって、例えばレストランに行ったときのお皿と食材の盛り付け、美術館の作品、子どもと親のコミュニケーション、街中で目にする様々な光景が全て「和える」につながっているんです。仕事と人生を分けて考えていないんですよね。人生の中の一部に仕事がある。だから楽しいですよね。逆に言うと、人生から仕事をとってしまうと、少し物足りなくも感じてしまうかもしれませんね。それだけ、自分のために、誰かのために働くことって尊いことだと感じます。

私がここまで自分の夢に一直線につき進めるのは、周りの環境に恵まれたことが大きいとも思います。「里佳ちゃんならできるよ!」と、家族や友人が本気で信じ応援してくれる。そういう心から応援してくれて背中を押してくださる環境が、夢と現実を近づける手助けになるはずです。

さいごに
矢島さんが自分の夢に向かって真っすぐでいられる秘訣「失敗を失敗のままで終わらせない、成功するまで続ける」「川の流れに沿って生きる」といった素敵な考え方を学ぶことができました。言葉にすると当たり前なようにも聞こえますが、感情や周囲に流されずに実行することは決して簡単ではないと思います。常に心に留めておきたい言葉に出会えました。
(鵜木)

しごとの話 vol.001 「本気で遊ぶ」ということが「しごと」の本質なのかもしれない。


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粕川ゆきさん(いか文庫「店主」・SPBS 店員)

はじめに
粕川さんにお話を伺ったのは、個人的に「いか文庫」の活動に興味があったことももちろんですが、この「あそび」とも「しごと」ともいえない奇妙な(?)活動が、実はこれからの「働く」を考えるヒントになるのではないかと思ったからです。多くの方が「自分の好きなことで食べていけたら」と考えつつも、将来のことを考えると簡単には踏み出せない、といった経験が一度はあるのではないでしょうか。粕川さんを含めて「いか文庫」のメンバーを見ていると、いろいろ考える前にやってしまったほうが早いんじゃないか?とそんなことを思わされます。この記事を読まれた方が、自分がやりたいと思っていることを「とりあえずやってみる」きっかけになるとうれしいです。


<いか文庫とは>
お店も商品も持たない「エア本屋」。主要活動である「いか文庫新聞」の発行に加え、オリジナルグッズ製作や、書店さま、その他企業、団体さまとイベントなども行っている。
公式サイト:http://www.ikabunko.com/


経歴
大学卒業後、スポーツ用品メーカーに入社。29歳のときに「30歳になる前にやりたいことをやろう」と思い転職を決意。本や雑貨が好きだったので、大学の時に通っていたヴィレッジヴァンガード(※)にアルバイトとして入社。様々な売り場で、仕入れやディスプレイ、ポップ制作などを担当。書籍の担当になったのをきっかけに、本を売る楽しさに目覚める。現在は、書店 SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(以下、SPBS) で働くかたわら、エア書店「いか文庫」の「店主」としても活動中。

※ヴィレッジヴァンガード 書籍以外にも幅広い雑貨を扱う複合型書店。売れ筋商品と共に趣味性の高い商品を中心に扱う。商品は担当者の裁量による装飾的な陳列をされ、各店舗ごとに異なったレイアウトになっている。POPや陳列方法で来店意欲を高めている。下北沢店はサブカルチャーの殿堂のような佇まいで、ヴィレッジヴァンガードを象徴する店舗と言われる。現在はショッピングモールを中心にテナント出店を進めている。(ウィキペディアより)


本を売るしごと

-現在、 SPBSに勤務され、「いか文庫」としても本に関わる仕事をされていますが、本を売るという仕事につくきっかけというのは何だったのでしょうか。

ヴィレッジヴァンガードでの仕事がきっかけでした。ヴィレッジヴァンガードは、ポップが特徴的なんです。店長にポップ制作のノウハウを教えてもらって作りました。ポップ制作は広告の製作に似ていて、キャッチコピーやボディコピーを考えたり。それでお客さんをひっかけるというか、だますというか。あと、本の並べ方にもコツがあったり、そういう楽しさに惹かれました。私は作家の西加奈子さんが好きなのですが、ある時、ただ「西加奈子が好きだ!」とだけでっかく書いたポップを制作しました。それがきっかけで、たくさんのひとがその本を買ってくれたんです。その体験がもとになり、だんだんと本を売る楽しさに目覚めていきました。

-今の職場(SPBS)で働かれることになったきっかけについて教えてください 。

ヴィレッジヴァンガードでは5年働いたのですが「本を売る仕事をもっと専門にやりたい」と思っていた時に、たまたまSPBS のインターンの募集を目にして応募しました。そうしたら受かってしまって、二か月間ヴィレッジヴァンガードの仕事と掛け持ちでインターンとして働きました。そこで、ヴィレッジヴァンガードでの書籍販売の経験を買われてアルバイトに誘われて、今に至ります。


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エア本屋「いか文庫」誕生

-「いか文庫」の活動はどのようなきっかけではじめられたのですか。

最初はカフェでの何気ない会話がきっかけでした。「自分で本屋やるなら?」みたいな話 の流れで、当時、私がいかのi-Phone ケースをつけていたので、とりあえず名前は「いか文庫」だと。その流れで「本屋やるならブックカバーが必要だ」となって、その日のうちに知り合いのイラストレーターの方にお願いをしてイラストを描いてもらって、ブックカバーを作りました。そんな感じで、店舗もないのにブックカバーからはじまったのが、エア書店「いか文庫」です。「いか文庫」が誕生した場所でもある、荻窪にある 6 次元というカフェで行われた、ある本に関するイベントの企画のひとつで、本棚をいじらせてもらったのが、「いか文庫」としての最初の仕事でした。その後、飲み友達だった「バイトくん」と、ツイッターを通じて知り合った「バイトちゃん」が「いか文庫」に参加します。それから、新聞を作ってイベントをやったり、やることがどんどん広がっていきました。当時は、自分より周囲がおもしろがっているような状態でした。その後、「いか文庫」として、いろいろな書店とのタイアップでイベントをしたり、オリジナルグッズを販売したりと、いろいろな活動をしていますが、その都度、その分野が得意な友達を巻き込んでやっている感じです。自分一人では全部はできませんから。


「いか文庫」という「しごと」

-粕川さんにとって「いか文庫」の活動は趣味(あそび)なんでしょうか、それとも「しごと」なんでしょうか。

「しごと」という感覚でやっています。なぜ「しごと」という言い方をしているかと言うと、この活動を長く続けて行きたいと思っているからです。こういう活動は、趣味だと一時的なブームで終わってしまうと思っていて、いろんな人を巻き込んで始めた事を全うしたいんです。活動を続ける中で、リアルな本屋とのつながりができ始めていて、各地でフェアなどをやらせてもらっています。そこではお金を頂いてイベントをするのですが、やっぱりそれを趣味とは言えないんです。お金を頂いている以上、それに見合うものを提供したい、というのもあります。それに、エア本屋というちょっとふざけた活動を「しごとです!」と言っているほうが、単純におもしろいじゃないですか。


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続けるためにはお金が必要

「いか文庫」が今のようになるまでに、実は大きなターニングポイントがありました。それは「ほぼ日」に出たことです。バイトちゃんが糸井さんにメールを送ったことから、実現したのですが、そこで糸井さんに会って、けっこうきついことを言われたんです。「お金はどうしてるの?どうやって続けて行くの?」と現実的なことを言われました。自分のやりたいことをやる、そして、それを続けて行くにはお金がいるんだ、という当たり前の事に気付かされました。もちろん自分でもわかってはいましたが、改めて「おとな」に言われてショックを受けたんです。その日は喫茶店で反省会をして、家に帰ってからなぜか号泣しました。糸井さんは「続けて行くことは大変だけど大切なことだから、頑張ってください」とも言ってくださいました、それを聞いて「頑張って続けて、いつか一緒にお仕事できるまでになろう」と思ったんです。(その時のインタビューの様子はこちら


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「いか文庫」の今後

「なんで儲からないことやるの?」というようなことをよく言われます。何かそんなに大きいことをしたいわけじゃないんです。ただ、「本が好きな人を増やしたい」という気持ちはあります。「いか文庫」が、普段本を読まない人が、本屋にいくきっかけ、本を読むきっかけになってくれると嬉しいと思っています。とりあえずは、これからもいか文庫の活動を続けていくことが今の目標です。(インタビュー日2013年8月)

※最近の「いか文庫」の活動を知りたい方はこちらをご覧ください


<こんな人に読んで欲しい>
・自分の好きなことを仕事にしたい人
・本業の仕事以外にやりたいことがある人
・本に関わるしごとがしたい人



<学びのポイント>

・やりたいことを思いついたら、小さなことでもまず行動する、そこからしごとがうまれる かも?
・やりたいことを実現するにはまず仲間をみつけること
・自分の「好き」を仕事にして、それを続けて行くにはやっぱりお金が必要


<関連書籍>
『就職しないで生きるには』(レイモンド・マンゴー)


さいごに
書店員として働きながら、エア書店「いか文庫」の店主としても活動している粕川さん。遊びと仕事の中間のような、ユニークな働き方のお話を通じて、仕事とはなにか、働くとはどういうことなのか、について改めて考えることができた気がします。「自分ごと」としてやりたい何かが見つかれば、例えすぐにはお金を生み出さなくても、それは立派なしごとと呼べるなんじゃないかと、そんなことを思ったインタビューでした。(河田)

しごとの話(インタビュー)とは


しごと課新企画として、2014年はしごとの話(インタビュー)をスタートします。

活き活きと働く方々に取材をさせていただき、インタビュー記事としてみなさまにお届けします。
インタビュー記事を通じて、明日から街に活き活きと働く人が一人でも増えたら、ということを
ちょっとだけ願って、しばらくは不定期の更新になりますが、取り組んでいきます。

しごと課メンバーがこの人に話を聞きたい、と自ら手をあげて、取材のお願い、取材撮影、
記事作成を行います。

もし、記事を読むだけではなく、自分も一緒に話を聞きに行きたい、記事を書いてみたい、撮影してみたい、
という方は(今のところはある程度お仕事などでも経験されている方が有難いですが、未経験の方でも)
まずはご連絡ください。

E-mail: shigoto@shibuya-univ.net (担当 :堀田)
※まずはE-mailでお問い合わせください。

お名前やメールのご連絡先、何をやってみたいか、(もしできることがあれば、こんなことできる!)、
などなどご連絡いただけると助かります。

よろしくお願いします。


11月授業の先生のお話(1)。


ちょっとずつですが、11月授業の先生の話をまとめています。

まずは、和久さんのお話から。

やぼろじと居場所と近所の人々

和久倫也さんは、生まれてから今まで30年以上多摩エリアで暮らしている。大学、大学院も実家から通い、大学院卒業後に建築の設計事務所に入るが家から自転車で通える距離であった。旅行にいくのも好きだが、東京のにしがわ、国立や府中が好きで近所の公園や知り合いの畑などが自分にとっては居心地がいいと感じる。

やぼろじと出会い
数年間働いた建築事務所を辞めて、近所の人との出会いから畑の手伝いをしたり、少しずつリフォームの仕事や設計の仕事もきたりしていた。そして、その畑の大家さんが管理していた国立市の谷保にある古民家と出会う。自分がその古民家をこういう風に使いたいと思っていたわけではなく、近所のおばさんが借りるようすすめてきた。大家さんとの話し合いで古民家の管理を任せてもらえることになり、一年近くかけてワークショップという名の大掃除を行う。出身の大学の研究室の学生や植木屋さんや大工さん、近所のお母さんたち、子どもたちなどと一緒に。そこで、関わる人たちとこの場所にはどんな特徴があるのか、こんな場所にしたいということを話し合い、一年近くかけて「やぼろじ」をつくる。

やぼろじと今
やぼろじの現在ですが、カフェや工房、イングリッシュガーデン、シェアオフィスなどがある。最初はシェアハウスもあったが、今はやっていない。
一年に2回ぐらい、ガーデンパーティーを行っている。流しそうめんをやったり、陶芸家の友人とピザ窯をつくり、ピザを焼いたりしている。また、地元のお母さんたちがスタッフをしている母めし食堂で昼ご飯はまかないをいただいている。

やぼろじと遠くの場所
やぼろじを行っていると、近所の子どもたちやお母さんたち、また、おじいちゃんやおばあちゃんとの関わりが多くなる。ありがたいことに、すごく貴重や歴史や技術を教えてもらえることもある。一方で、近所の縁が強い分、たまに離れたくなることもある。最近は岩手の遠野や屋久島をはじめ、やぼろじと似たような取り組みをしている人たちに会いに行って、勇気をもらっている。

やぼろじと和久さんのこれから
やぼろじは間違いなく自分にとっての居場所の一つである。自分だからやぼろじという場所ができた、自分らしさ、アイデンティティは感じる。また、カフェをやっているお母さんたちがすごく元気になって、その元気な人たちがつくるご飯を食べに近所の親子連れの人たちが集まり、元気をもらえる場所になっている。
そして、だんだんと和久さんの手を離れていっても、まわるようになってきている。今後も和久さんは関わり続けるが、今関わっている地元の人たちで想いを持った人がベースになっていけるようにする。
また、働くことと住むことだけではなくて、どのようなものを食べて、自分の近くに誰が住んでいて、どのようなものでできた家に暮らして、ということは自分自身の仕事にも関わるので、そういうところを掘り下げて仕事をしていきたいと、やぼろじにいながら思っている。


・・・・・・・・・・・・
自分にとって素直に働く、素直に生きる
シブヤ大学しごと課 課長
堀田

しごと課

活き活きと働く人が街に一人でも増えることをめざして授業やインタビューなどを行っています。

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