シブヤ大学は、
“見つける学び場”です。
シブヤ大学は、まちのあらゆる場所を教室に、多様な授業を開催しているNPO法人です。
2006年の開校以来、開催した授業は1,600講座以上。これまでに45,000人以上が参加しています。
新着授業
誰でも参加できます!
誰もが働ける社会をつくる
ソーシャルファームを知って、考えて、動きたくなるワークショップ 2024
【第4回】ソーシャルファームのリアル(雇う人と支える人の目線から)
スマホ時代のクリティカルシンキングを鍛えよう!
閉店したN(エヌ)広場をアップサイクルした八王子のものがたり
哲学とデザインで探る「わたし」と「社会」のつなぎかた
誰もが働ける社会をつくる
ソーシャルファームを知って、考えて、動きたくなるワークショップ 2024
【第3回】ソーシャルファームのリアル(働く人の目線から)
ようこそ江戸怪異の世界 〜現代に通じる人間らしさ
最新授業レポート
終了した授業の内容をお伝えします
啓発ことばってなに? 〜「変な日本語」への違和感に迫る〜
今回の授業は「啓発ことばって何?~「変な日本語」への違和感に迫る~と題し、新語・造語ウォッチャー/ライターの神戸郁人さんを講師にお迎えし開催、20名の参加者が集まりました。まず、本日のコーディネーターから今回の授業を企画した経緯、本日の流れなどについての説明があり、授業が始まりました。前半:神戸さんの講話がスタート<啓発ことばとは、例えばどんなもの?>「人材」ではなく「人財」「仕事」ではなく「志事」「最高」ではなく「最幸」一見、素敵な当て字に見えるのですが、皆さんはどう感じられるでしょうか?どうして字を変えたのでしょう?なんかモヤっとすることはありませんか?かくいう私も、啓発ことばにモヤモヤを感じている者の1人として、今日はそんなモヤモヤを払拭できる期待が高まっています。<本日の授業で考えたいことは大きくは3つ!>・なぜ前述のような当て字にモヤモヤするのか?・そもそも、なぜ一連の当て字が使われるのか?・どうやって「モヤる」言葉と距離を置くか?神戸さんからは、より膨らんだ解釈に発展していくことにも期待したいということで、枠にとらわれない楽しいワークショップになっていきそうな予感のもとで授業が進んでいきました。<啓発ことばに込められているもの>・字面と意味内容の間に落差がある・使い手が言葉に一定の意図を込めているのでは?(=他者の心情に影響を与える目的)神戸さんの著書『うさんくさい「啓発」の言葉』(朝日新書)の表紙には、副題として「“人財“って誰のことですか?」と書かれています。神戸さんによると、この「ジンザイ」ということばの使われ方を見てみると、次のような例があるそうです。・職務上の能力が高く、企業に求められる「人財」となることを読者に促すような、記事の見出しやキャッチフレーズ・「人材」「人財」「人在」「人罪」という同音異義語このような使われ方は、働き手を大切にするという意思表示に見える一方で、企業が働き手を評価、選別する基準にもなっている様子が見えてきて、用いる側の本音と建前が違うことが見えてくることがモヤモヤにつながっているようです。その背景には、社会全体で自律的な「ジンザイ」が求められるようになってきたこともあるようです。授業中、神戸さんの調査の範囲において、バブル崩壊やリーマンショックなどの出来事を経て、経済系メディアが働き手を「人財」と表現する傾向を強めていたことや、「人財」が辞書にも掲載されたという点も紹介され、とても興味深いところでした。 <モヤモヤする当て字文化とどう距離をとれば良いのか?>神戸さんより、思考のためのヒントとして3点挙げられました。・当て字が削ぎ落とす/付け加える要素を把握する・ネガティブ・ケイパビリティを意識する ・自分の人格や生き方を「査定」されない環境をつくる3つのヒントの中のネガティブ・ケイパビリティについては、シブヤ大学の8月10日開催の授業でも取り上げたテーマで、直訳すれば「負の能力」です。その定義として、神戸さんは『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生著・朝日新聞出版)の説明「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」(同書3ページ)を挙げました。「啓発ことば」が象徴するのは、ポジティブ・ケイパビリティ(問題を的確かつ迅速に解決する能力)で、言葉が表象する価値観にそぐわない者の安易な切り捨てに繋がる可能性があるとしています。物事を極端な方向に走らせていかない“寛容“を支えているのがネガティブ・ケイパビリティだということです。世の中の移り変わりの速さにポジティブ・ケイパビリティを求められることも多く、疲弊している感もある中で、神戸さんのお話は、ゆっくり考える・寛容であることの大切さを改めて肯定できる機会となりました。 後半:グループワークへ! <日常生活の中で出会う「モヤる」言葉との距離の取り方>まず、参加者の自己紹介から、自身の身近な「啓発ことば」や、それにまつわる体験の共有をしていきました。様々な「啓発ことば」が出てきて、それにまつわる経験についても話が弾みました。・人間力、女子力、コミュ力等〇〇力・高齢者ではなく幸齢者、一円ではなく一縁、気合いではなく気愛・諦めるではなく明らめる・気ではなく氣・若い人や限られた仲間にしかわからないようなことば などなど。引き続き、一つ一つ出されたことばに共通する事例について考えてみました。・広告っぽい(キャッチー)、感じ方によっては価値観の押し付けにつながる・仲間意識の確認に使われている→踏み絵としての役割を感じ洗脳に近い怖さを感じるものもある・日本語の特性として同音異義語の多さも起因して、啓発ことばが作りやすくなっている。・意味が付加された文字を使うことによる承認欲求や承認欲求の点検的役割が見える。 <「啓発ことば」との向き合い方を検討してみる>適切な思考をもつために、例えば具体的にどのようにしたらよいか、白熱した議論が交わされていきました。・正しい(元になっている)言葉に触れる機会をしっかり持つことで、当て字にこめられた、また付け加えられている要素を認識できるようになる。・外国人に伝えようという機会を作ると、元になることばと当て字の意味の違いが自明確になってくる。・そういう考え方もあるな、興味がなければスルーするなど自然体でいることも大事。・SNS発信(アウトプット)に啓発ことばが多く見られるように感じる。啓発ことばを俯瞰して見られる人がもっとアウトプットする必要があるのではないか。<まとめ>意見が尽きないディスカッションの中、授業も終盤、神戸さんにまとめていただく時間となりました。「啓発ことば」も1つのことばで、ことばに罪はなく、惑わされているのは何故か?誰か?発信側の意図は?などを常に考える姿勢が私たち一人一人に必要であることを心に留めておくことが大切。今回「啓発ことば」について知り、深掘りし、学んだ時間は、急速に移り変わる時代の中でモヤモヤしていた心も洗われた気がします。素敵な時間をありがとうございました! (授業レポート:安西仁美、写真:武田環、安西仁美)
「衣」と「食」で考える~共存する暮らしとは~
「衣」と「食」で考える〜共存する暮らしとは〜今回の授業では、衣料と食の両面から、自然と共生する暮らしをテーマに考える時間を過ごしました。講師を務めたのは、日本リ・ファッション協会の鈴木純子さんと、コミュニティガーデンあいラボ運営の美喜子さん。お二人は、それぞれの専門分野から、現状の課題とその解決策として自然と共存する「衣」と「食」についてお話しくださいました。まずは、鈴木さんの授業です。環境汚染産業ランキング第2位のアパレル産業が環境や社会に及ぼす影響について、定量データとともにわかりやすく説明してくださいました。 例えば、衣服の原材料の70%がプラスチックであること、またコットン栽培が大量の水や化学肥料を使うため、環境だけでなく深刻なダメージを与えること、しかしオーガニック栽培ではダメージを軽減できるなど、驚くべき事実を知りました。「現代奴隷制」という言葉には衝撃を受けました。これは低賃金で過酷な労働を強いられている人々のことを指し、ファッション業界がその一端を担っているという現実から生まれた言葉だそうです。その後の対話の時間では、グループに分かれて、生徒さんそれぞれが自分の意見を交換しました。「洋服に含まれるマイクロプラスティックファイバーが、回り回って自分たちの体内に入る」といった懸念や、「新しいものを作りすぎる現状を抑え、もっと古いものをリメイクして使っていきたい」といった意見がありました。特に子ども服に関しては、サイズがすぐに変わるため、古着を循環させる取り組みがあればいいという発言が印象に残りました。 次に、美喜子さんの授業では、コンポストを通じて「食」と自然の循環について学びました。彼女の言葉で特に印象に残ったのは「経過を知ると、大切にできる。」「コンポストは自然との対話」という言葉です。食の循環という観点から、生ごみを捨てることがどのような影響を与え、環境問題に繋がっているのかを実際の数値データとともに伝えてくださいました。生ごみの80〜90%が水分であり、その水分を燃やすために無駄なエネルギーを使っている現状に気づかされました。23区の区収集可燃ごみを焼却しているということは、毎日4万本分の2リットルペットボトルの水を燃やしていることに相当するそうです!美喜子さんは、地域の学校で「土づくりの循環」を実践しており、地域の人々が一緒にコンポストを行い、野菜作りを体験しているそうです。 コンポストを通じて地域と自然が深くつながり合う循環型の生活を実現させていきたいとのことでした。その後の対話セッションでは、参加者たちは「ベランダでコンポストをやってみようと思った」「生ごみを乾燥させたり、手で絞ってから捨てたい」など、自分たちができる具体的なアクションについて話し合いました。その中でも「自分が学んだことを、もっと身近な人に伝えていきたい」「良いものを大切に長く使いたい」といった思いを共有する場となり、非常に有意義な時間となりました。毎回の対話セッションでは、時間が足りなくなるほど皆さん積極的に意見を交換して盛り上がっていました。 この授業を通して、私たちは「衣」と「食」という日常の一部を通じて、持続可能な暮らし方をあらためて考え直すことができたと思います。「わたし達は循環するひとつながりの「いのち」である」という言葉が印象的で、この授業で学んだことを日常で生かすことでよりそのことを実感できると感じました。学びの多い授業をありがとうございました。 (授業レポート:佐藤華子、写真:岩渕郁枝、佐藤華子)
マイ・リトル・ブッダをつくろう〜人付き合い編〜
「マイ・リトル・ブッダをつくろう!」シリーズは、“授業を通じてブッダの教え(仏教)を学ぶことで明日からの人生をちょっとだけ生き易くすること”を目的にしています。以前に一度授業を行った際(マイ・リトル・ブッダをつくろう!〜仏教の考え方を日常に生かしてみる〜)には大好評をいただいき、シリーズ化を望む声もたくさんいただきました!そこで、今回は「マイ・リトル・ブッダ〜人付き合い編〜」として、人間関係をテーマとして授業を行いました! 現代は、「ストレス社会」という言葉で表現されることはご存知の方も多いでしょう。インターネットが普及したことにより私たちの生活は一層便利になった一方で、SNSやリモートワークの発展・浸透により、対人関係でのストレスは日々、複雑に蓄積されているように思います。人付き合いの悩みは十人十色、このテーマに仏教はどのような教えを説いてくれるのか非常に興味がありました。 先生の秦さんはお寺*1にお生まれになりましたが、お坊さんになりたくなかったそうで 、大学を出て広告代理店へ就職し、今はベンチャー企業でマーケティングのお仕事をされているそうです。しかし、歳をとるにつれ、お寺に生まれたことの意味や仏教に改めて興味を持ち、働きながら大学院に進学され仏教を研究することで修士号を取得されました。今では月一度ほどご実家に戻り、お寺のお手伝いをされているとのこと。ルーツはお寺にありながら、社会へ飛び出し仏教界隈を俯瞰して捉えつつ、アカデミックな領域からも仏教を語ることができる。様々な角度から仏教を捉えている秦先生の授業は、仏教に馴染みのない方でも聞きやすく、いつもとても勉強になります!授業の前半は、秦先生による仏教の概説と人付き合いに対する仏教の考え方についてお話しがありました。仏教はブッダ*2の問いである「どうすれば死に至るまでに、納得できる人生を送れるだろうか」に端を発し、この問いに対する悟り“苦しみが生まれるメカニズムと苦しみを滅する方法”を開いたことが起源だと言われているそうです。しかしブッダは当初、自分の悟りは理解されないと考えていた。そこに神である梵天が現れ、ブッダの悟りを広く普及するべきと進言したことで、ブッダは仏教の普及に努めるようになったようです。このため、仏教の基本スタンスは、“常に全ての人に伝わるとは思っていない。”というところにあるのだとか。 ブッダが悟った根幹には“一切皆苦(すべてのものは苦しみである)”という考え方があり、その中でも特に大きな苦しみを四苦八苦と言い、8つ挙げられています(四苦:生/老/病/死、八苦:愛別離苦/怨憎会苦/求不得苦/五蘊盛苦)。すべて苦しみだという教えは一見すると刺激的ですが、納得させられる点も否めない、という曖昧な解釈が私の現状です(^^;この四苦八苦のなかで、人付き合いや人間関係の悩みに近い言葉は“怨憎会苦”で、その意味は「怨み憎まなければならない人とも会わなければならない。」という...。言い得て妙ですよね。結局、人間は独りでは生きていけないプログラムがなされていることをブッダは悟って言葉にしたのだろうと思いを馳せました。それは現代になっても変わらず、今も社会/職場/学校/親戚/家族etc...という集団の中で個人が存在しているよ、とブッダに伝えたいと思いました。笑 この一切皆苦や四苦八苦などに表現される“苦”が生じる原因は、人間の持つ執着心や自己中心的な考え方にあるとブッダは説き、苦しみから抜け出すための道こそ“自分中心の考え方を手放し、世界を正しく見つめていく”こと。諸法無我は“「私」や「私のもの」という実体は存在せず、すべて関係性において存在している”ことを表現し、縁起は“万物は互いに影響し合う無数の関係性の中に成立し、常に少しずつ変化する”という意味。このブッダのお話を聞いたとき、その全てを咀嚼し理解しきれませんでしたが、一方で大きな気づきもありました。自分中心に物事を考えてしまうから、自分視点で他者を評価(良/悪/好/嫌 など)してしまうことに対し、諸法無我や縁起の考え方を持って状況を俯瞰的に捉えられるようになると、自分視点での他者評価は限りなく存在しないことになり、悩むことは少なくなるのではないか。全ては関係性のなかで成立している、ということを日常的に意識し、定着できるよう頑張りたいと思います! 秦先生による仏教の概説や考え方を学び、後半はグループでのワークショプ(以下、WS)に移ります。WSは①〜③の手順によって進められます。・①:煩悩ワークショップ*3・②:マイ・リトル・ブッダと対面する・③:戒律*4を定め、戒律用紙*5に記入し、戒律をグループ内にシェアする テーマに沿った煩悩を真剣に考え、それをグループ内にシェアするワークショップは恐らく日本中探してもこの授業だけなのかな、と思っています。笑 そしていつも驚くのは、この煩悩ワークショップが大いに盛り上がります。ご自身を悩み煩わしいと思わせている事象や内容、気持ちをシェアすることが大盛況になれるのは、シブヤ大学が開かれた学び場であり、そして授業してくださる秦先生のお人柄なのだと確信しています。今回の煩悩ワークショップでは、授業タイトルにもなっている人付き合いや人間関係をテーマに考えてもらいました。グループ内でシェアされた煩悩も様々で、職場での人付き合いに関する話から、親戚や家族内における事柄まで。そのどれもに対して、聞いている側の方々は素晴らしい傾聴の姿勢を感じられました。 個人の人付き合いに纏わる煩悩をグループ内でシェアした後は、秦先生の授業を通じて学んだブッダの悟りや仏教の考え方により、参加者それぞれの心に宿されたマイ・リトル・ブッダとの対面の時間がとられます。それぞれのマイ・リトル・ブッダは何を語ってくれたのでしょうか。参加者の方々は皆真剣にこの時間に向き合っていたように振返り、有意義な対面の時間を過ごされたのだろうと思います。 最後に、マイ・リトル・ブッダとの対話により得られた考えや工夫を、戒律として定め、その内容を戒律用紙に記入し、グループ内へシェアする時間もとられます。煩悩ワークショップで出された煩悩が様々であった分、戒律も十人十色でしたが、それぞれの戒律には温もりある言葉が書かれていたように捉えています。もし、日常生活で悩み煩わしいと感じるような出来事があったとき、お配りした戒律用紙を取り出し、「そうだった、そうだった。」と授業を振返ったり、気持ちを静めていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。 授業シリーズ「マイ・リトル・ブッダをつくろう!」は日本人にとって非常に身近な仏教を題材とし、その仏教を日常生活に活かすことでメンタルヘルスやウェルビーイングを達成しようとする取組みです。このレポートを閲覧し、ご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひ次回の授業にご応募ください!お待ちしております!(注釈)*1...浄土真宗興正派 晟徳寺@札幌*2...本名:ゴータマ・シッダールタ/約2500年前にシャーキア国の王子として生誕*3...テーマに沿った煩悩を考えたり、持ち寄ったりして、その煩悩をシェアすること*4...修行者の生活規律を定める言葉。この授業では自分ルールのような意味合いを持つ*5...授業に参加いただいた方に、いつでも見返しやすいようなシートをお渡ししました! (授業レポート:太田耕介、写真:鈴木夏奈)
コラボレーション
企業・自治体などとのコラボレーション事例
シブヤ大学に参加しませんか?
シブヤ大学は誰でも気軽に参加できる学び場です。
興味のある授業を受けてみたり、ボランティアスタッフとして学ぶ場をつくったり、関わり方は人それぞれ。
あなたの参加をお待ちしています!