シブヤ大学

シブヤ大学は、
“見つける学び場”です。

シブヤ大学は、まちのあらゆる場所を教室に、多様な授業を開催しているNPO法人です。
2006年の開校以来、開催した授業は1,400講座以上。これまでに36,000人以上が参加しています。

シブヤ大学とは

最新授業レポート

終了した授業の内容をお伝えします

【オンライン開催】【視聴枠】 3.11以降の社会運動を振り返る 〜みんなの「わがまま」入門〜

東日本大震災から10年が経つ今年。皆さんは日常で感じる違和感とどのように向き合っていますか。近年SNS上で、一個人が発するさまざまな声が多くの賛同を得て話題となり、実際に社会が動く場面を見かけるようになってきました。今回の授業では、社会学者の富永京子さんをお迎えし、個人の「わがまま」が社会に影響を与えた事例を中心に、3.11以降の社会運動を紹介いただきました。そして授業の後半では、参加者同士で日常の“モヤモヤ”を伝えあう時間を設け、「わがまま」を社会的なものにする方法やその伝え方を考えてみました。この授業は、シブヤ大学YouTubeチャンネルにてアーカイブ動画を公開しております。全編通してご覧になりたい方は、こちらからご視聴ください。――――――――――皆さんは「社会運動」と聞いて、どのような印象を持つでしょうか。運動の一例として挙げられるデモや集会は自分とは距離を置く行動として捉えられ、「なにか特殊で入りづらい」、「リアルな生活にあると思えない」といったイメージが先行するのではないでしょうか。2011年以降の運動は、脱原発運動や反レイシズム運動、安保法制への抗議行動、#MeToo運動、#KuToo運動、フラワーデモ、グローバル気候マーチ...というように様々なイシューに対して展開されています。その運動は路上のみでなく、家庭内やインターネット上といった様々な場で起こり、また「エシカル消費」といった日常に根差した例も近年増えてきています。ここからは富永さんのお話で印象に残ったトピックを抜粋してお伝えします。-日本人の社会運動に対するイメージ日本人の社会運動への参加率は、フランスやドイツ、オランダといった西欧諸国と比べて大幅に低いことがわかっています。日本人の政治参加/社会運動経験についての調査でも、「政治的な意見のシェア・リツイート」や「デモ」、「陳情」といった行為は参加ハードルが高いものとして捉えられています。一方で、「ボランティア」や「寄付」、「オンライン署名」といった“黙々と関わる”行為に対しては積極的で、日本人は”静かにやる”派が比較的活発だと富永さんは考察します。-なぜ日本人は「運動ぎらい」なのか?日本には、「政治にかかわる人への冷たい目線」が存在します。政治に関わる人々のうち、ボランティアや労働組合の活動に熱心な人々への信頼は高い反面、デモ活動やネット上の政治的主張を行う人々に対しての信頼は低いという傾向があるそうです。また「デモ」に対する世代別イメージにおいても、高齢層は「自分の意見を言うのは当たり前」という思想の元に比較的ポジティブに捉える一方で、若年層からは「迷惑なもの」「過激なもの」としての認識が強いとされています。このイメージギャップには、社会運動が見えにくくなったこと(例:労働組合の組織率の低下)、大学自治の衰退化などの理由が挙げられるのではと富永さんは考察します。「闘争的なもの」から離れた社会、そういったものに触れづらい社会になっているということですが、このまま、日常のモヤモヤを飲み込んでいく社会が当たり前になっていくのでしょうか。-「声を上げる=わがまま」とみなす社会的背景近年はライフコースの多様化により、人々の個人化や流動化も高まっています。誰かが利害に基づいて声を上げても、それが共鳴しづらい社会になりつつあるのです。例えば、同じ会社や組織に所属していても様々な立場や雇用形態の方がいて...そもそも女性だからといって皆が子どもを持つわけでもなく...というように、同じ状況にいても悩みを共有できる人がいないことだってあるわけです。-どうしたら「わがまま」が言えるのか?富永さんは、声を上げにくい社会であるという前提のもと、それでも声を上げることが必要だと訴えます。そもそも私たちが声を上げることを怖いと感じてしまうのには、日本人の「政治的有効性感覚」の低さがあると富永さんは指摘します。声を上げることで社会が変わるかもしれないと思えるかどうか。この感覚を高めるためには「成功の歴史を知ること」「成功の経験を積むこと」がポイントだと言います。社会運動が見えにくくなり、声を上げること自体に冷たい社会では、まずは自分の身の回りのモヤモヤを探してみること、それが社会や政治といかにつながっているのかを考えてみることが、声を上げる(わがままを言う)最初の一歩につながりそうです。―――――後半は、参加者の皆さんが日常で感じるモヤモヤをチャットに書き込み、「社会的なわがまま」につながりそうな声を拾い上げ、富永さんからのフィードバックをいただきました。以下、皆さんから出てきたモヤモヤの抜粋とそれに対する富永さんの返答をまとめたものです。●モヤモヤ:大学のサークルで、ある特定の後輩のことを「こいつ」と言う先輩がいる。「こいつ」と言うのはおかしいのではと伝えたら、そういう関係性だからいいと言われたが、後輩も本当は嫌なのでは?富永さん:マイノリティの人をいじることで、その場の空気を維持していくような差別的構図(マイクロアグレッション)があるのではないでしょうか。先輩後輩の関係性の問題ではなく、空気の問題(場の問題)になってしまっていそうですね。⇒当事者ではないからこそ言えること(富永さんの著書で”お節介”と紹介されています)もたくさんありますよね。●モヤモヤ:他者に家族の話をすると「かわいそう」という反応のみで、私個人の問題に収斂されてしまう。富永さん:日本社会は家族に対して「正常の像」が強い。経営学の「心理的安全性」の概念にも通ずるが、まわりの人々が各人の失敗などを共有できる信頼性をつくることが大切。「皆、何かしらの傷がある」と思うこと、その意識をもって他者に接してみると良いのでは。⇒確かに家族の話題は「重い話」と捉えられがち。政治の話と同じく、他の人にしづらいことですよね。●モヤモヤ:声を上げる際、他の誰か言ってくれるのを待ってしまうフリーライダーの感覚が邪魔をしてしまう人は多いのでは。勇気を持って声を上げた人たちが得られるメリットってあるのでしょうか?富永さん:私自身も「日本はこんなにも社会運動に冷たい国なのに、なぜ人々は運動するのか?」というのが最初のリサーチクエスチョンでした。それに対して運動の当事者から出てきたのは、「楽しいから」「色々な人々に出会えるから」といったポジティブな声でした。社会の先頭に立って活動するイノベーター的な楽しみがあるのかもしれませんね。―――――最後に富永さんから...「このような弱い場(普段会えない人と会える場)をつくることは大切で、ここだから話せたことがある。運動をすることは大きなハードルのように思えるが、既に運動(わがまま)の第一歩は始まっている。自分が声を上げる資格や勇気がないとは思わなくもいいのではないでしょうか。」皆さんも日常で感じる“モヤモヤ”を、まずは隣の人と共有することから始めてみてはいかがでしょうか。富永さん、本日はありがとうございました!(授業レポート:堀部奈々)

【オンライン開催】【参加枠】 3.11以降の社会運動を振り返る 〜みんなの「わがまま」入門〜

東日本大震災から10年が経つ今年。皆さんは日常で感じる違和感とどのように向き合っていますか。近年SNS上で、一個人が発するさまざまな声が多くの賛同を得て話題となり、実際に社会が動く場面を見かけるようになってきました。今回の授業では、社会学者の富永京子さんをお迎えし、個人の「わがまま」が社会に影響を与えた事例を中心に、3.11以降の社会運動を紹介いただきました。そして授業の後半では、参加者同士で日常の“モヤモヤ”を伝えあう時間を設け、「わがまま」を社会的なものにする方法やその伝え方を考えてみました。この授業は、シブヤ大学YouTubeチャンネルにてアーカイブ動画を公開しております。全編通してご覧になりたい方は、こちらからご視聴ください。――――――――――皆さんは「社会運動」と聞いて、どのような印象を持つでしょうか。運動の一例として挙げられるデモや集会は自分とは距離を置く行動として捉えられ、「なにか特殊で入りづらい」、「リアルな生活にあると思えない」といったイメージが先行するのではないでしょうか。2011年以降の運動は、脱原発運動や反レイシズム運動、安保法制への抗議行動、#MeToo運動、#KuToo運動、フラワーデモ、グローバル気候マーチ...というように様々なイシューに対して展開されています。その運動は路上のみでなく、家庭内やインターネット上といった様々な場で起こり、また「エシカル消費」といった日常に根差した例も近年増えてきています。ここからは富永さんのお話で印象に残ったトピックを抜粋してお伝えします。-日本人の社会運動に対するイメージ日本人の社会運動への参加率は、フランスやドイツ、オランダといった西欧諸国と比べて大幅に低いことがわかっています。日本人の政治参加/社会運動経験についての調査でも、「政治的な意見のシェア・リツイート」や「デモ」、「陳情」といった行為は参加ハードルが高いものとして捉えられています。一方で、「ボランティア」や「寄付」、「オンライン署名」といった“黙々と関わる”行為に対しては積極的で、日本人は”静かにやる”派が比較的活発だと富永さんは考察します。-なぜ日本人は「運動ぎらい」なのか?日本には、「政治にかかわる人への冷たい目線」が存在します。政治に関わる人々のうち、ボランティアや労働組合の活動に熱心な人々への信頼は高い反面、デモ活動やネット上の政治的主張を行う人々に対しての信頼は低いという傾向があるそうです。また「デモ」に対する世代別イメージにおいても、高齢層は「自分の意見を言うのは当たり前」という思想の元に比較的ポジティブに捉える一方で、若年層からは「迷惑なもの」「過激なもの」としての認識が強いとされています。このイメージギャップには、社会運動が見えにくくなったこと(例:労働組合の組織率の低下)、大学自治の衰退化などの理由が挙げられるのではと富永さんは考察します。「闘争的なもの」から離れた社会、そういったものに触れづらい社会になっているということですが、このまま、日常のモヤモヤを飲み込んでいく社会が当たり前になっていくのでしょうか。-「声を上げる=わがまま」とみなす社会的背景近年はライフコースの多様化により、人々の個人化や流動化も高まっています。誰かが利害に基づいて声を上げても、それが共鳴しづらい社会になりつつあるのです。例えば、同じ会社や組織に所属していても様々な立場や雇用形態の方がいて...そもそも女性だからといって皆が子どもを持つわけでもなく...というように、同じ状況にいても悩みを共有できる人がいないことだってあるわけです。-どうしたら「わがまま」が言えるのか?富永さんは、声を上げにくい社会であるという前提のもと、それでも声を上げることが必要だと訴えます。そもそも私たちが声を上げることを怖いと感じてしまうのには、日本人の「政治的有効性感覚」の低さがあると富永さんは指摘します。声を上げることで社会が変わるかもしれないと思えるかどうか。この感覚を高めるためには「成功の歴史を知ること」「成功の経験を積むこと」がポイントだと言います。社会運動が見えにくくなり、声を上げること自体に冷たい社会では、まずは自分の身の回りのモヤモヤを探してみること、それが社会や政治といかにつながっているのかを考えてみることが、声を上げる(わがままを言う)最初の一歩につながりそうです。―――――後半は、参加者の皆さんが日常で感じるモヤモヤをチャットに書き込み、「社会的なわがまま」につながりそうな声を拾い上げ、富永さんからのフィードバックをいただきました。以下、皆さんから出てきたモヤモヤの抜粋とそれに対する富永さんの返答をまとめたものです。●モヤモヤ:大学のサークルで、ある特定の後輩のことを「こいつ」と言う先輩がいる。「こいつ」と言うのはおかしいのではと伝えたら、そういう関係性だからいいと言われたが、後輩も本当は嫌なのでは?富永さん:マイノリティの人をいじることで、その場の空気を維持していくような差別的構図(マイクロアグレッション)があるのではないでしょうか。先輩後輩の関係性の問題ではなく、空気の問題(場の問題)になってしまっていそうですね。⇒当事者ではないからこそ言えること(富永さんの著書で”お節介”と紹介されています)もたくさんありますよね。●モヤモヤ:他者に家族の話をすると「かわいそう」という反応のみで、私個人の問題に収斂されてしまう。富永さん:日本社会は家族に対して「正常の像」が強い。経営学の「心理的安全性」の概念にも通ずるが、まわりの人々が各人の失敗などを共有できる信頼性をつくることが大切。「皆、何かしらの傷がある」と思うこと、その意識をもって他者に接してみると良いのでは。⇒確かに家族の話題は「重い話」と捉えられがち。政治の話と同じく、他の人にしづらいことですよね。●モヤモヤ:声を上げる際、他の誰か言ってくれるのを待ってしまうフリーライダーの感覚が邪魔をしてしまう人は多いのでは。勇気を持って声を上げた人たちが得られるメリットってあるのでしょうか?富永さん:私自身も「日本はこんなにも社会運動に冷たい国なのに、なぜ人々は運動するのか?」というのが最初のリサーチクエスチョンでした。それに対して運動の当事者から出てきたのは、「楽しいから」「色々な人々に出会えるから」といったポジティブな声でした。社会の先頭に立って活動するイノベーター的な楽しみがあるのかもしれませんね。―――――最後に富永さんから...「このような弱い場(普段会えない人と会える場)をつくることは大切で、ここだから話せたことがある。運動をすることは大きなハードルのように思えるが、既に運動(わがまま)の第一歩は始まっている。自分が声を上げる資格や勇気がないとは思わなくもいいのではないでしょうか。」皆さんも日常で感じる“モヤモヤ”を、まずは隣の人と共有することから始めてみてはいかがでしょうか。富永さん、本日はありがとうございました!(授業レポート:堀部奈々)

【オンライン開催】【導入編】 超参加型読書会アクティブ・ブック・ダイアローグで読む『人新世の「資本論」』

3月13日日曜日、オンラインにて「超参加型読書会アクティブ・ブック・ダイアローグで読む『人新世の「資本論」』【導入編】」が開催されました。当日の様子をレポート形式でお伝えします。講師としてお越し頂いたのは、NPO法人場とつながりラボhome’s viの理事として企業や組織のファシリテーションを行う荒川崇志(あらかわたかし)さん。荒川先生は、今回の授業のテーマであり、近年新しい読書法として注目されている「アクティブ・ブック・ダイアローグ(以下、ABD)」の伝道師として活動されています。ABDは、「一冊の本を複数人で分担して読み、対話を通じて相互理解を育む」読書法です。それぞれ振り分けられた担当の箇所を他の人が分かるように要約・説明し、その後リレー形式で読んだ箇所をお互いに教え合います。対話を重視したプロセスの中で、参加者同士がそれぞれ気づきを与えあうことができるのが特徴です。今回の授業で扱ったのは、昨年の9月に発売された経済思想家・斎藤幸平さんのベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)。気候危機の根本的な原因として資本主義を痛烈に批判する本書は、発売当初から各主要メディアで取り上げられています。タイトルにある「人新世(ひとしんせい)」とは、「人類の経済活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」を意味します。人類が生み出した産物が地球環境を侵し、その結果人間の力では制御できない大きな問題が生まれている今の時代。斎藤氏は、本書で、そのような時代に個人レベルで行われる温暖化対策の消費活動も、国連が掲げるSDGsも、「現実の危機から目を背けることを許す「免罪符」でしかない」と痛烈に指摘しています。今回の授業シリーズでは、【導入編】と【実践編】に分けて本書を読み解き、私たちがいま本当に向き合わなければならない現実は何なのか、より良い社会を作り出すためにはどうしたらいいのか、対話を通して考えていきます。授業当日は、雨上がりの読書日和。30代から80代まで、男女問わず幅広い年齢層の方々が集いました。「アクティブ・ブック・ダイアローグを一度体験してみたかった」「『人新世の「資本論」』が気になっていた」など、参加の動機や授業開始時の気分を含め、軽い自己紹介から授業はスタート。開始当初は、「緊張する」「難しそう」といった声も聞こえていましたが、荒川先生の和やかな雰囲気に、皆さん「ホッとしました」と笑顔がチラリ。ABDと授業の流れに関する説明を終え、いよいよ実践です。当日は、参加者をそれぞれ5人グループの3チームに分け、同書の「はじめに」を各段落担当ごとに要約・簡単な発表を行いました。「資本主義」や「マルクス」など、やや難解な内容を含む箇所もあり、皆さん真剣に読解、要約メモに励んでいました。それぞれの作業が終わると、次はお互いが読んだ箇所を教え合うリレープレゼンに。あっという間の15分間でした。グループごとの作業を終え、授業は終盤戦へ。それぞれが読んだ箇所やお互いの発表を踏まえて、「今後どのようなことを話してみたいか」「どんなことが気になったか」を共有する対話の時間です。「経済成長も大事だけど、環境破壊も止めないといけない。どちらか一方しか選ぶことはできないのか」「地球規模で起こっている気候変動のことは、一人ひとりが自分ごととして考え行動に移していかなければ何も変わらない」など、皆さん普段の読書では味わえない”15分間”を堪能した様子が伺える議論が繰り広げられました。今回の授業では、【導入編】としてABDを体験しました。授業終了後は、「とても新鮮な体験でした!」「また参加したいです」との感想を頂きました。今回はオンラインでの開催でしたが、次回の【実践編】は対面授業を予定しています。ABDに興味がある方、『人新世の「資本論」』を読んでみたい! という方、是非、参加お待ちしております!(授業レポート:柴崎真直)

サークル

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