シブヤ大学

シブヤ大学は、
“見つける学び場”です。

シブヤ大学は、まちのあらゆる場所を教室に、多様な授業を開催しているNPO法人です。
2006年の開校以来、開催した授業は1,400講座以上。これまでに36,000人以上が参加しています。

シブヤ大学とは

最新授業レポート

終了した授業の内容をお伝えします

【オンライン開催】つながる性教育 ~きょうからはじめよう~

【オンライン開催】つながる性教育~きょうからはじめよう~いま、学校を卒業した大人たちの間でも“性教育”が流行っています。以前から、日本は「性教育後進国・性産業先進国」といわれ学校や家で触れる情報と、ネットや街中に溢れるコンテンツとのギャップに違和感や危機感をよく抱きます。今回の授業は、助産師として現場に携わりながら学校現場等で出張授業を行っている、ざいかわゆみこさんを先生にお招きし、日本の学校現場でいまどんな性教育がなされているのかを知り、そこから起きている日本の課題や外国での状況に目を向けた上で、性(=心+生!)について「考え、周りの人と話をする」きっかけをもつ目的で行われました!【先生のご紹介】 ざいかわ ゆみこ(助産師)相模原市南区でSUNFLOWER助産院を開業する助産師。小中高校に性教育の授業を行いつつ、保護者向けに家庭で始める性教育の講演で多数登壇している。2男2女の子育て真っ最中。【授業の様子】(1)ワークショップ①:性教育へのイメージグループに分かれて、『性教育に対するイメージ』を自己紹介と共に発表しました。『性教育に触れたのはいつ?どこで?どんな気持ちになった?』多くが小学校4~6年生の間に学校で男女分かれて話を聞いた思い出が初めての性教育の思い出のようでした。イメージとしては、恥ずかしい、隠したいイメージが多かったです。(2)先生の自己紹介次に先生の自己紹介として、助産師の仕事や普段、小中高生へ「いのちの授業」という性教育講演会をされている様子をご紹介いただきました。(3)講義:現在の日本の性教育日本の学校での性教育は、4年生:保健体育 思春期にあらわれる変化5年生:理科 生命誕生宿泊研修前に月経について中学校:年間3時間、3年間で10時間に満たないという状況です。ちなみに、フィンランドでは年に17時間、隣国韓国は年に10時間だそうです。小中学校の学習指導要領は『はどめ規定』で、妊娠の経過に関しては取り扱わないそうです。(SEX,性交渉、避妊、コンドームという単語の使用に制限)そのため、ざいかわ先生も講演の際は非常に気を遣う場面となっているそうです。 また、ユネスコの年齢別学習目標と主な内容では、5~8歳で赤ちゃんがどこから来るのかを説明する。9~12歳でどのように妊娠するのか、避けられるのかを説明する。避妊方法を確認する。12~15歳で妊娠の兆候、胎児の発達と分娩の段階を説明する。15~18歳で生殖、性的機能、性的欲求の違いを区別する。となっています。なぜ日本はそれほど性教育後進国なのか。日本は妊娠の過程に関して根強いタブー感がある国で、背景には好奇心を刺激して行動を起こさせてしまったらどうするんだ!という意見や、卑猥な話、下品な話というイメージ、さらには裁判を起こされた学校もあることから学校現場では慎重に扱われているそうです。 しかし、性産業に関しては先進国であり(アダルトサイトなど)、矛盾した背景、環境から歪んだ認識につながるリスクが高い状況です。性にはたくさんの側面がありますが、性交の部分にフォーカスされやすいそうです。 性教育の根幹は“自己決定”と“自己肯定”であり、性教育=人権教育です。今回は性教育の根幹、自己決定、自己肯定の部分に焦点をあてます。自己決定・例えば、産む・産まない、何人産む、いつ産むなど・・・。知っているようで知らないいのちの仕組みのこと。・例えば、日本では安全日などの都市伝説を信じる人も多いですがそれも幻想です。日本では避妊方法として8割の人がコンドームと答えますが、それは男性本位となりやすく、避妊率は低いため、他の国ではピルが第一選択となる国が多いそうです。・例えば、性感染症から自分とパートナーを守ること。近年、クラミジア感染が増えているそうです。日本の16歳女子にクラミジア感染しているかを調査した結果は、17.3%で、他国では1~3%程度だったそうです。中には無症状の子もたくさんいます。こうして気づかないうちに不妊になってしまっていることもあるそうです。感染したら自業自得感が強い国が日本です。ざいかわ先生は非常に危険な雰囲気であるとおっしゃっていました。どれだけ注意していてもかかる感染症もあるそうです。自分の体を守るためにも正しい知識を身につけたいですね。・例えば、性の情報。興味があって見に行く時代から様々な情報が降り注ぐ時代になっています。アダルトサイトはファンタジーの世界という認識を持ってほしいそうです。ざいかわ先生は色々な年代の人に“NO、GO,TELL”を伝えているそうです。NOと言ってもいい、怖い・嫌だと感じたらGO、逃げていい、誰かに話てもいいということです。性被害は6割の人が口に出せないといわれています。警察に行くことができるのはたったの2割だそうです。NO,GOを言えなかった自分を責めてしまう人もいます。また、NO,GOがなかったために悪意がなく加害者となってしまうパターンもあるそうです。とにかく、NO,GO,TELLです!!最近先生がどこの学校に行っても学校の先生から話題に挙げられるのはデートDVだそうです。痴漢にも言えることだそうですが、NO,GO、TELLのようにコミュニケーションをしっかりとって自己決定をしてほしいそうです。自己肯定・例えば性器について、いのちをつなぐプライベートゾーンであるはずなのに、恥ずかしいところだから隠しなさいということがあります。それよりも大事なところを守りましょうと伝えていく。保護者からの一番多い相談は子どもの性器いじりだそうです。子どものそうした場面に、やめなさい、汚いなど否定的な言葉で注意すると否定的に受け止めてしまうそうです。また、それらを清潔に保つ方法も知られていない現状があります。・女性の月経へのイメージも、ネガティブな言葉が多いCMのイメージとなっていたり、男の子の性を女の子が習わなかったり、そうしたお互いの無知によるハラスメントも起こります。先生は、これらのような例も含めて子どもを自己肯定させるためにも、産んでやったという感謝の押し付けではなく、あなた自身がこんなに生きる力を発揮して誕生したんだという伝え方をしてほしいそうです。(4)ワークショップ②:こんなとき、あなたならどうする?最初にワークショップを行ったグループに分かれて、4つのお題についてフリーでロールプレイや意見交換を行いました。『近所で、下半身を露出する人が出没する。小学校1年生のわが子にどう説明する?』『恋人ができたといっていた友人が、「禁止されているから」と会ってくれなくなった。DVではないか、どう確認する?』このようなケース質問に対して、1つのお題に絞ってロールプレイのように具体的な策を話し合ったグループもあれば、それぞれが感じた興味関心を意見交換したグループもありました。性についてネガティブな話が多い中でいかにポジティブに話すかというところが難しかったです。(5)先生から近年の調査ではLGBTの方の割合は7.6%と、左利きやAB型の人と同じくらい存在するそうです。2年ほど前からは学校で自己申告する子どもも増えているそうです。ざいかわ先生はそうした状況に、学校の先生方が理解しなければいけないという姿勢になっていることが気になるそうです。特別視するのではなく、みんながみんな多様でいいという考え方、誰もが『多様な性』の1人という“SOGle”という考え方があります。性という文字は心と生でなりたっています。自分という存在を受け入れて、愛することができるように導くことが大切だそうです。私にとってあなたはとても大切な存在ということを伝えてくれる人が1人でもいるといい。とおっしゃっていました。さらに、気軽に婦人科に相談してほしいそうです。どうしても怖いところ、緊張するところ、恥ずかしいところというイメージがありますが小さな悩みや相談でも力になりたいので是非婦人科に来てください。というメッセージもありました。多様なみんなが自己決定と自己肯定ができる社会に、人になってほしいと考えさせられる授業でした。

【オンライン開催】となりの能楽師から学ぶ、 古くて新しい考え方【渋谷能×シブヤ大学】

今回は「となりの能楽師から学ぶ、古くて新しい考え方」と題して、能楽師シテ方喜多流の友枝雄人さんと佐藤寛泰さんのおふたりが先生として授業をしてくださいました。そして今回は、セルリアンタワー能楽堂からの生配信。授業が始まると早速、舞台上の先生の手持ちカメラへと映像が切り替わりました。木の柔らかさを帯びて燦然と輝く能舞台。普段は客席から見上げることしかできない舞台を能楽師の視点から眺めていると考えると、身の引き締まる思いがします。前半は「映像で知る」時間。臨場感のある舞台上の映像とともに、おふたりの先生が舞台の基本的な説明をしてくださいました。個人的に心に残った点をいくつかご紹介します。― 老松を映す“鏡”。神様が宿る能舞台能舞台と聞いて多くの人が思い浮かべるのが、舞台の背景となっている大きな松の画ではないでしょうか。能舞台に描かれている松は、歳をとった古い松「老松(おいまつ)」。老松は「神様が宿る」と昔から信仰の対象にされてきたそうです。また、松は1年を通して葉の緑を保つことから、「めでたい木」でもあります。そして、老松が描かれている板を「鏡板」と言います。 “鏡”として老松を舞台に映し込むことで舞台上に神様が宿るよう、能舞台には必ず老松が描かれているそうです。― 柱が支えるのは“自由な舞”四方にある柱とそれに支えられた屋根、と入れ子のような造りが特徴的な能舞台。「屋内なのにどうして?」と疑問に感じられる方も少なくないと思います。これは、能が仮面劇であることに起因します。能面をつけることで演者の視界は大きく奪われます。しかし、四方に柱があることによってそれが目印となり、方向感覚を持った状態で舞を自由に舞うことが出来るといいます。実際にカメラの前に能面をかざして舞台を覗くと…びっくり!視界の穴はとても小さく、まるで見えません。こんなにも限られた視界のなかであれほど優美な動きをしているのかと思うと驚きです。― 面が現す“陰と陽”。そして生まれる“多彩な感情”次にカメラの前に映し出されたのは、若い女性である小面(こおもて)のひとつ「万媚(まんび)」と嫉妬に狂う女性「般若(はんにゃ)」の二つの能面。よく見ると、うりざね顔にほんのり笑みをたたえている万媚の目の穴は四角く、二本の角と吊り上がった口元が恐ろしげな般若の目の穴はまんまると丸く開けられています。実はここにはこだわりが。穴の形をそれぞれ工夫することで、万媚には柔らかな表情の中にも強さを、般若には強さだけでなく人間らしさを与えているそうです。先生曰く、そうすることで「常に陰と陽のバランスを取っている」。目の穴ひとつにそんな繊細な表現が隠されていたとは…奥が深いです。また、角度によって面の見え方は異なるそうです。面を上に傾けると、遠くに去った恋人に想いを馳せるような遠い眼差しになり、下に傾けると、寂しげに泣いているように見えます。他にも正面や斜めといったように別の角度から見ることで、もっと色んな表情が出てくるそう。無機質に感じる面にも多彩な感情表現があることが分かると、一気に見え方や感じ方が変わります。また他にも、年老いた男性の面である尉(じょう)、中年女性の面である曲見(しゃくみ)などいくつか能面を紹介していただきました。近くでじっくりと見ると、目の形、歯の色、口元のしわなどが面によって異なり、とても細やかに造られていることが分かります。中には安土桃山時代(!)の面もあり、その歴史の壮大さに改めて感銘を受けました。後半は、舞台から装束の間(楽屋)へと場所を移して、様々な疑問に答えていただきました。「“能の世界に入る”ことはどういった感覚?」おふたりとも能楽師の家系で、幼い頃から子役として舞台に立ってきたそうです。思春期の頃は、周囲が進路を決めていくなか、一人前の能楽師になるための稽古をする日々に悩むこともあったそう。そんななかでも、「能楽師になれる選択肢が自分にはある」と良い方向に発想を切り替え、やがて先輩の姿を見て「せっかく能楽師になるのだったらこういう風になりたい」と向上心を抱くようになった、と話されていました。「どんな気持ちで舞台に立っているの?」芸能として700年近く続いている能。時代に合わせて発展しつつも、その様式は変わらず今も継承されています。 ―「繋がれてきたものに対する重み、畏敬の念をおのずと感じる」 ―「表現者としてやりたいことをやるだけではいけない」先生のお言葉から、脈々と受け継がれる日本の伝統芸能を背負う覚悟と自負の念を感じました。また、様式は同じでも個性はにじみ出てくるそうで、発声や構え、すり足、面の合わせ方…全てにおいて、みな同じではないそうです。「能のテーマとは?」能は、ストーリー性よりも、その場面の主人公の心の中の想いや人間性に焦点を当てた内容のものが多いそうです。嫉妬に苦しむ般若も、どこかには「こんな自分は嫌だ…」という悲しみがあると言います。能舞台には、プラスの感情の時にはマイナスの感情、マイナスの感情の時にはプラスの感情、と相反する感情が存在しているそうです。つまり、能のテーマは、人間誰しもが持っている“心”。演目のなかでは“生と死”についても多く扱われるそうです。 ―「死ぬということはいかに生きてきたか、ということ」先生の言葉が胸に刺さります。古くから継承されている能ですが、そのテーマは一貫して現代にも共通するものだということが分かりました。「能の見方、楽しみ方は?」能の鑑賞の楽しみは、“自分の感性がひらいていく瞬間”にあるそう。演目の中の複雑な感情は、演者の技量を通して、観ている人が感性で受け止めることで伝わるそうです。かと言って、演者にとって直接表現はNG。分かりやすく表現してしまうと、観る人が「ただ観るだけ」の状態になってしまい、心の深いところまで届かなくなってしまうからです。与えられる情報だけで観るのではなく、参加して観ることで鑑賞の楽しさが数倍に広がる、と先生は仰っていました。あえて見せない“余白”に観る人の感情や記憶、想像力が重なることで、能はより一層奥行きを持ちます。難解に感じてしまいがちですが、ある意味、内容を正確に捉えようとしなくても、自らの感性を活かすことで感じることが出来る部分、観る人に委ねられている部分があるということなのではないでしょうか。最後、「譲れないことはある?」という問いに対しては、友枝先生「能は様式芸。日常のなかで舞台に向き合っていると、改めて基礎が大事だと感じる。基礎がこれからの舞台生活に一番大きな影響を与えると感じる。50代に差し掛かり残された時間が少なくなっているなかで、再度基礎を見直して努めていきたい。」佐藤先生「伝統芸能は、先人たちが繋いでくれたおかげで現在も観ることができる。正しく後世に継承していきたい。核を大事にした上で色んなものと対応、順応していくことが大事なのだと思う。」とそれぞれお答えいただきました。「“いま何ができるか”を考えることは、こうして伝承してきたことに繋がる」先生のお言葉通り、長く続いた能の伝統も歴史もたどれば「いま」の連続。そしてその基となるのは、今も昔も変わらない、私たちの「心」。先生たちのお話から、能をぐっと身近に感じることが出来ました。みなさんもぜひ一度「おとなりさん」感覚で、能楽堂に足を運んでみてはいかがでしょうか。そこには650年前の先人たちのドラマがいまも脈々と紡がれています。(レポート:小野多瑛)

【オンライン開催】 自然(じねん)に生きる 〜循環型の社会創造〜vol.05 自然体な社会。これからの社会と私たちの生き方

「自然(じねん)に生きる〜循環型の社会創造〜」シリーズも最終回となる第5回目は、「自然体な社会。これからの社会と私たちの生き方」をテーマに、岩波直樹先生をお招きしての授業が行われました。自然と書いてじねんと読む…自然薯の像が消えないまま、シリーズに初参加した筆者でしたが、同じく初参加の方も、「岩波さんのおっかけです」という方も、これまでのこのシリーズの授業に参加されてきた方も、オンラインでありながらゆるやかなつながりを終始感じられた授業となりました。というのも岩波先生のお話に「共感」を深めていった人が多かったからでしょう。そして、この「共感」は授業のキーワードでもありました。現代は、自分という人間が何をしたいですか?という時代にきている、あるいはその過渡期にあるのだそうです。それは、共感して集まる仲間たちと一緒に何かをしていくことに価値が置かれ、また、その「集まり」というのは従来の組織とかコミュニティとかでなくてもよいという時代になるのではないか、とのことでした。そして、そのような時代によりよく生きるにあたり、ちょっとした自分の欲求に正直に動くことを許容する社会の構築が求められているのだと。それは、自分の欲求を抑えこんで「自分は我慢しているのだから(あなたもそれをするな)」を他者にぶつけるのではなく、自分の欲求と他者とのそれとを広げてみせて、もしその間にギャップがあれば、社会的なフィードバックとして返すことがひとりひとりに求められるだろうとのことでした。社会的なフィードバック…というと難しそうですが、前提に「共感」があるようです。そして、共感の種類(方法)はたくさんあっていいのだそうです。何しろ、人の生きているステージがそれぞれなので、それぞれのやり方で共感を示せることが大事なのだと。もうひとつ、現代社会は家庭の中もエネルギーの奪い合いになっているとのこと。その原因として、自分の認識で自分の限界を決めていることがあるのではないかとのこと。そうであれば、自分の認識にこだわらないでいたほうが、もっと他者と共感し合えるのではないか、さらには、自分の限界も超えられるはずではないかとも。大人の認識というのは、ほぼ固定観念なのだそうです(はい、反省…)。子育てであれば、いつだって「子は親の認識を超えていくもの」というスタンスでいると、エネルギーの奪い合いにならないのだろうと。組織であっても、自分が育てたい・育てようとしているもの(プロジェクト、後輩など)はすべて自分の認識を超えていくものだと思えると、他者との関係もゆったりと向き合い、共感も生まれやすくなるのではないかと。もちろん、自分を育てていきたいのであれば、「私も私の認識を超えていくもの」というスタンスが必要なのでしょうね。そこで注目したいのは、成人発達理論です。人間の成長には2軸あるとのこと。ひとつの軸は水平的な成長で、それはアプリを追加するようにして知識やスキルを獲得していく、能力の成長であると。もうひとつの軸は、垂直的な成長で、それはOSをアップブレードするように自己の認識の拡大や枠組みの変容をしていく、心の成長であると。そして、垂直的は成長が大人になっても人は成長することを主張する成人発達理論のベースになっているとのことでした。そうなのですね、大人になってなおも人は成長するのですね。自分の限界を自分で決めてしまわずに、自分の認識を超えていく自分をみていたい。大人になっても自分というOSのアップデートをしていきたい、そうしている他者に共感し、お互いのアップデートを喜び合いたい。だからこそ、このようにして時おりシブヤ大学の学生となって、先生や他の学生、そして「そうなんだ!」と気づく自分に出会いたがっているのかもしれません。共感、価値の他にも、幸せ、ギフト…たくさんのキーワードをお土産としていただきました。そして、それらについて、「自分はどう表現していくか」「私はどうありたいか」といった、まさに「自然(じねん)に生きる」のための宿題もたくさん出された授業になりました。ちなみに、宿題の提出は無期限です。(授業レポート:記伊実香)

サークル

シブヤ大学で知りあった仲間と学ぶ自主活動

シブヤ大学に参加しませんか?

シブヤ大学は誰でも気軽に参加できる学び場です。
興味のある授業を受けてみたり、ボランティアスタッフとして学ぶ場をつくったり、関わり方は人それぞれ。
あなたの参加をお待ちしています!