シブヤ大学
誰もが働ける社会を作る ソーシャルファームを知って、考えて、働きたくなるワークショップ

ソーシャルファーム(Social Firm)という存在をご存知ですか?

誰もが楽しく働くことができるような職場。挫折があっても、失敗があっても、困難があっても、障害があっても、働きたいと思っている人は多い。そうした人々が働くことができる場所が「ソーシャルファーム」です。

でも、ソーシャルファームは特別な場所じゃないんです。どんな会社でもソーシャルファームになることができる。

このワークショップは、ソーシャルファームとはどういうものか、どんな会社が取り組んでいるのか、どんな人がどんなふうに働いているのか、どうやってソーシャルファームになれるのか、さまざまな人々が楽しく働くことができるソーシャルファームの思想と実践を知り、未来の社会を考え、作る場所です。

第2回テーマ世界のソーシャルファーム〜イタリア・アレッサンドリア「地区の家」の活動から

2024年2月14日(水)19:00-21:00 オンライン

第二回目は、イタリアの北部のまちアレッサンドリア市で「地区の家(Casa Di Quartiere)」という活動をされているファビオさんのお話。ファビオさんの友人で「地区の家」の活動をよく知る多木陽介さんに通訳をしていただきました。

「地区の家」とは、民間の市民団体組織が運営している民間の公民館のような場で、各地それぞれさまざまなかたちがあるそうですが、基本的に、誰もが訪れ、誰もが利用できるオープンな場であり、ソーシャルかつ文化的な機能を持つ場です。「地区の家」はここ10年ほどの間に、イタリア全土に数十ヶ所できたそうですが、まずは多木さんから、なぜイタリアにそんなにも次々と「地区の家」ができてきたのか、その背景を解説していただきました。

多木さんは、背景に本来人々が交流する場であったパブリックスペースが、資本主義や商業主義に侵食されてきた歴史があると指摘します。日本のみならずヨーロッパ、イタリアでも同様で、パブリックスペース=公共空間といいながらも、例えばかつては子どもたちの遊び場だった道路は車の通行のためのものになり、至るところに広告が置かれ、公園はホームレスを排除するようになり、ショッピングモールのような経済行為がなければいられない空間が増え、必ずしも「パブリック=ピープルの、みんなの」ものでなくなった現実に対して、本来の意味での「みんなの場所」、誰が入ってきてもいい、誰が使ってもいい、誰に対しても開かれている場所、本来的に人と人が出会い、交流する場所を取り戻す動きでもあるのだ、と。

アレッサンドリアの場合はまた特殊な事情があり、10数年前に行政破綻した都市第一号だったそうなのです。そのため、特に社会的弱者のための行政サービス、文化的事業に対する助成金などが大幅にカットされたのだそうです。そのため、市民が立ち上がって自らのまちの困っている人たちも含めた支援を始めたのです。そのひとつが、ファビオさんたちの「地区の家」なのだそうです。

アレッサンドリアの「地区の家」を運営するファビオさんたちの組織は、「コムニタ・サン・ベルデット・アル・ポルト(Comunità San Benedetto al Porto)」という、ジェノヴァという都市でドン・ガッロ神父が始めた慈善団体を母体としていて、ドン・ガッロ神父は本当に貧しい人や麻薬中毒から立ちあがろうとしている人たちの社会復帰を支援していた方で、実はファビオさんもドン・ガッロ神父に助けられて立ち直ったひとりだとのこと。弱者に親身になるファビオさんたちの仕事を、多木さんは「自分たちもどん底を知っているから、弱者に対する視線が違う」と評しておられました。

また、第一回目に炭谷茂さんが「ソーシャルファームは、イタリアから始まった」と言っていたことと結びつくのですが、「地区の家」の運営は、日本語では“社会的協同組合”と訳される「コーペラティーヴァ・ソチャーレ」、あるいは「タイプB」と呼ばれている組織で、その目的は法律で「障害者や元囚人など、就労が困難な人を雇用することで、インクルーシブな社会の実現を目的とする企業形態」と決まっているのだそうです。ファビオさんたちの組織もこの形態です。

25年間、ジェノバで働いていたファビオさんは2008年頃からアレッサンドリアに関わりはじめ、2010年に1,500㎡という広大な工場の空き倉庫を活動拠点として改修して活動を始めました。

「ジェノヴァよりもずっと小さいこのまちで働くようになって気づいたことは、このレベルのまちではひとつひとつの小さなことを大都市よりもずっときちんとケアしていくことができる」ということだったとファビオさん。都市を上から眺め、そして小さな地区にズームインしていき、その地域にどんな必要性、どんな弱点があるか、逆にどんな長所があるのかをまず見ていくことはとても重要であり、そして「個々の人々からどんな必要があるか要求があるかをまず聞き出して、個人を対象とするのではなく、個人からスタートしてもっと広い社会的・集団的なレベルの必要性・リクエストに広げていく」プロセスをとても大事にしていると語ってくれました。

例えば、この「地区の家」はアレッサンドリアの旧市街地の、最もマルチエスニックな場所で、「地区の家」建設中から地域の人々と交流し、「子どもの学校の先生と話すためにイタリア語が必要」というある人たちの話から、同様のニーズのある人も多いだろうと外国人用のイタリア語講座を開設したり、「家にある不用品を売りたい」という人たちがいて、そういう人たちは他にもいるだろうと「お隣マーケット」という企画を彼らに提案し、いまでは年数回行われる大きなイベントになったという例を紹介していただきましたが、まさに個々のニーズを聞き取り、社会的に広げるということは“みんなの”活動であり、この「地区の家」が“みんなの場所”であることがよく理解できます。

また、自分たちの活動が、拠点スペースの中だけに閉じこもらず、広場や道路、そして他の団体と協力しあうことで組み立てられていったことは非常に重要だった、とファビオさんは言っていました。コロナ前の2019年までは年間100件ものイベントをやっていたそうですが、自主企画は4、5件。ほかはすべて他の団体からの持ち込みだったので、「非常に多様なバリエーションのある文化的な提案ができたと思う」そうですし、また、古着屋やヴィーガンレストランを開設したり、近隣で障害者や精神的に問題を抱えた人々が働くカフェレストランを運営するコーペラティーヴァ・ソチャーレや近所の修道院跡に作られたユースホステルとも相互に協力しあっており、「これは経済的な協力というよりも、自分たちができること、持っているものを共有すること–––––それぞれのスペースを使い合ったり、経験やプロジェクトをつくっていく能力が一緒になった時、単体ではできなかったプロジェクトを生み出していくイノベーションの能力を集団によって発揮することができるようになる」とファビオさんは言います。

さらに、ファビオさんたちは、基本的に生きていくために必要なものが足りていない人たちにも目を向けていきます。例えば、コロナの時期はホームレスの人たちの健康診断をして回るようになり、それ以来、週に何度かパトロールをして彼らの面倒をずっと見ているのだそうです。温かい毛布、寝袋をあげたり、健康の話を聞いたりすることで、「自分たちだけではどこにどんなリクエストをしたらいいかわからない人たちからも、ちゃんと彼らの必要が聞き出せた」とファビオさんは言います。

また、コロナの時期には、大学生くらいの若者がずいぶんボランティアとして活躍するようになってくれたそうです。当時、他のまちとの行き来もできず大学も閉じてしまったので、ミラノやトリノなどの大きな都市に勉強しにいっていた学生たちがアレッサンドリアに戻ってきてその子たちが地区の家に通うようになりボランティアとなってファビオさんたち先輩からノウハウを学び、ソーシャルな仕事に対して意欲も能力もある若い人が育つようになったのは「素晴らしいことでした」とファビオさん。大学の図書館も閉まっているため、地区の家の前の建物の一角の場所を自主運営する自習室として借り始めたのが最初のきっかけ。当初75人だった登録者も現在では140〜150人になり、自分たちで文化的なイベントを企画したりもしています。こうした若者との交流は、ファビオさんたちにも刺激を与えてくれたのだそう。ファビオさんは「こうして経験を積んでいく中で、それぞれがかなり立派なソーシャルワーカーになっていくと言えると思います」と言います。

ファビオさんは、「社会的な持続性」について話してくれました。「人間というのはただ仕事をしてお金を儲けている存在ではありません。人として他の人たちとつきあい、例えば、弱い立場の人たちにただ仕事をあげるだけではなく、一緒に食事に行ったり、遠足に行ったり、ピクニックに行ったり、いろいろなかたちで休日を一緒に過ごしたり、お昼ごはんを一緒に食べたり、そういうかたちで他の人間と一緒につきあいながら生きていくというのが本当の社会だと思います。そういう部分を見逃してしまうと、例えちゃんと仕事を見つけてあげてお金を得られるようになったとしても、彼は結局地域の社会に溶け込めないでしょう」。人間としてのアイデンティティや幸福感なども大事にしながら交流するという社会をつくっていくステップとして、ソーシャルファームというあり方の基盤がここにあるように感じました。