シブヤ大学

授業レポート

2006/12/6 UP

16時になると共に、映画『去年、マリエンバートで』の一部をビデオで上映するところから授業が始まった。黒澤明監督の「羅生門」に触発されたというアラン・ロブ=グリエによる脚本をアラン・レネが監督した映画である。得体の知れない社交界を舞台にした映画からは『植物と文学の素敵な関係』という授業との関係を読み取るのは一筋縄ではいかず、食い入るように画面を見つめてしまう。
 この映画がビオイ=カサーレス著『モネルの発明』とも強い関係性を持つということで、話はラテンアメリカ文学へと展開していく。カサーレスと親交のあったラテンアメリカ文学の代表的作家ボルヘ・ルイス・ボルヘスやガブリエル・ガルシア=マルケスの名前があがり、それとは対極的に位置する英米文学の作家として『ロリータ』などの作品で日本でも知られるウラジミール・ナボコフの話題になる。性的な倒錯であるロリータという言葉を有名にしたこの作品には、多様なメタファーによる文学的な表現の影に、人間をはじめとした動物的な視点ではなく、植物的な視点が描かれているという。単為生殖、自己増殖が可能な存在としての植物、人間は様々な解釈を植物に与えるが、どこか得体のしれなさを持つ存在なのだと銅金博士は語る。ここから哲学の話に向けて加速していく。ドゥールーズ/ガタリによる「千のプラトー」の中心概念であるリゾーム【rhizome】。リゾームはうかがい知れない得体の知れなさをもつ植物の地下茎の広がりのようなものと考えると良い。そして、そのリゾーム的な関係性と対置するのはロジカルな設計による予定調和だという。この二つの対比をわかりやすく表現しているのが、硫黄島を舞台にした映画作品『父親たちの星条旗』であると銅金博士は述べる。硫黄島への上陸に際して、描いてきた設計図を実現するかのような行動をとる米軍。地下に潜り、どこから出現するかもわからない、それこそ掴みどころの無い得体の知れなさを持つ日本軍。「このリゾーム的対立が気になって気になって、考え出したら映画の中身が頭に入ってこなくなった」と語る銅金博士。さらには、20世紀の哲学に多大な影響を与えたとされるマルセル・プルーストによる「失われた時を求めて」。これは人間の話として読むと単なる不思議な話だが、植物に対する昆虫の姿を人間に投影した話なのだと銅金博士は語る。メルヴィルの『白鯨」。柴田元幸の翻訳のすばらしさ。南方熊楠、澁澤龍彦、坂口安吾、梶井基次郎と駆け足に文学界を駆け巡っていく。シュールレアリスムが今の現実を超現実により批判し、現実認識を新たにする為の思想であるように。文学に介在される植物的な宇宙感、つまり植物的な得体の知れなさにより形成される世界は、人間による動物的な現実認識への問いかけのための新たな切り口であるのだろうか。

(ボランティアスタッフ 増沢 輝)