シブヤ大学

授業レポート

2008/5/22 UP

「ふるさとに帰り、本質に気付く」

また里美に帰りたい。
行きたい、ではなく、帰りたい。
そう思える授業プログラムだった。

日本人のDNAなのか、心がそれを求めていたのか分からないが
「ふるさと」と呼ぶにふさわしい場所。
そして、純粋に素直になれる場所。
古民家で1泊2日過ごした里美村の感想は、それに尽きる。

都市で暮らす僕らだからこそ、農村で感じることは多かった。
「田舎は不便」という固定概念。「農はそこに住む人が行う」という固定概念。
「田舎は面白くない」という固定概念。「自然は当たり前にある」という固定概念。
そういった固定概念がいつの間にか体に染み付いていたが
里美にきて、そうではない、ということを教わった。
いや感じた。

そのことをまずは伝えておきたい。

さて、2日間のレポートはこちら↓
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茨城県北部にある里美村。

東京からバスに揺られること4時間。(普段なら2時間かからないほど)
GWで渋滞にはまったこともあり、予定時間より2時間ほど遅れての到着。
どんどんと田んぼの風景が多くなり、細い路地へと入っていく。
「わぁ~すごい」「漫画の世界みたい」。
緑豊かな山々に、田植えをする地元の人、色とりどりの花。
きょろきょろしている内に、お世話になる沼田邸にバスは到着した。
そこで僕らを出迎えてくれたのは、地元NPO遊学(ゆうがく)のスタッフと地元の農家の方々。
驚いたことに、生徒みんなにかけられた第一声は「いらっしゃい」ではなく
「お帰りなさい。」だった。

■プログラム1「お帰りなさい。」
ニコニコしながらゆったりと話しはじめる遊楽代表理事の白石智洋さん。
おおらかな性格は豊かの自然を表しているようだった。
「言葉で説明するよりも、実際に里美の自然と肌で感じてください。」
そう白石さんは言って、1泊2日の古民家生活は幕を開けた。

渋滞で、お腹の空き具合がピークに達していた僕らを迎えてくれたのは、
山菜のおこわ、よもぎの澄まし汁、筍とフキの甘辛い煮物といった、郷土料理たち。
里美村のもてなしに、声を揃えて、手を合わせて「いただきます。」
大勢で手を合わせるのは、いつ以来だろう。「家族」という存在を思い出す瞬間だった。
バスに揺られてから3時間しか経っていないのに、沼田邸で昼ごはんを食べている頃には、生徒同士が以前から知っている親戚のような感覚があるのがとても不思議だった。

■プログラム2「蕎麦打ち、農体験、食器作り、山菜・筍取り」

午後は、夕食の準備のため、4つのチームに。

■蕎麦打ちチーム。(近くのふれあい館という場所に移動)
「…これを、自分たちでやるんですか?」。地元の蕎麦職人筒井さんの鮮やかな作業を目の当たりにしてちょっと戸惑い気味の生徒たち。恐る恐るそば粉を手で混ぜ、形をつくっていく。が、思い通りにならない…。見るのとやるのとではまったく異なる。
そば粉が指にくっついたり、打ち粉が足りなくて生地を伸ばす作業をやり直したり。味の悪い蕎麦を作ってみんなから文句を言われたらどうしよう…。しかも、指導してくださっているのが職人気質のお父さん。様々なプレッシャーを感じながらも、楽しみながら蕎麦を完成させていった。太くなるそばもあったが、生徒からはやりきった感じがとても伝わってきた。

■農作業チーム。
この里美で有機農業を実践している“野良の会”のひとり、北山さんの田んぼで、草取りを行なった。北山さんは、この里美に移り住んだ移住者でもある。不耕起栽培で米を作っているため、草取りは田植え前の大事な仕事。みんな田んぼに入るため、裸足になり準備万端だ。
一歩踏み込んでみて、みんなびっくり。おたまじゃくしの数が半端じゃない。これは田んぼが無農薬である立派な証拠。耳を澄ませば、いろんな蛙の鳴き声も聞こえてくる。水の中を覗き込めば、タガメやヤゴ、ゲンゴロウなどの虫たちも自由に泳ぎまわっている。蛇にはさすがにみんなびっくりしたけど、ここには、生態系が存在していることを感じることができた。生物多様性社会、環境保全型農業、食育の推進、言葉にすると難しい政策の中に登場する言葉たちが、ここには確かに、そして当たり前に存在していた。
そのあと、北山先生の鶏小屋で明日の朝食のための卵を取りに。親鳥たちが騒ぐ中、卵をいただく。僕らが日常食べている卵は、鶏の子供。そんな当たり前のことは、当然わかっていたけれど、理解していなかった。食とは本当に、命をいただくことだということ。
農家の人たちは、毎日このように作業している。そうやって食のありがたみを感じたとき、今夜の夕食がとても楽しみになった。

■食器作りチーム。
夜の食事用の竹皿とコップ、竹箸を作る作業だ。のこぎり、やすりをつかい、竹から形を作っていく。男女問わず、のこぎりを片手に、ぎぎぎぎぎっぎぃ~。「里見発見団」という地元の地域活性化団体から助っ人にきたおじさまが、これまた鮮やかに竹を割き、形を作っていく。さすが、その土地に生きる人。扱い方になれている。
一方生徒たちは、あぶない手つきだが、小学校の図工の時間のように生徒たちは目を輝かせながら竹とふれあい、食器を作っていった。僕らは日々商品を買い日常を暮らしている。そのせいか、竹細工のちょっとした工夫に、「なるほど」という声が漏れる。ちいさな発見がこのツーリズムにはたくさん隠れていた。初夏の陽気の中、額の汗をぬぐいながら、竹のそれぞれの形を生かした食器たちができあがった。

■山菜摘みチーム。
畑と田んぼが一面に広がる景色を横目に、山菜摘みの山へ向かう。道端に咲く小さな花や草を見つけるたびに足を止め、「これは何の花だろう?」なんて会話が飛び交う。普段アスファルトの隅に咲く花なんて気に留めたことなどなかったのに…。
気が付くと、山菜が次々と目の前に。ぜんまい、わらび、せり、たらの目、山椒・・・
地元の方にひとつひとつ説明を受けながら、思わず「どうやって食べるとおいしいですか?」なんて質問も欠かさない。
時期的に人数分の山菜が採れなかったため、1番見分けがつきやすい山の水菜をたくさん摘むことに。
沼田邸に戻ると、裏庭に生えている竹の子掘り。鍬(くわ)とスコップを担ぎ、ひょこっと顔を出す竹の子を根元から掘り起こす。竹の子掘り初体験の人も多かったようだが、「思っていたよりも重労働だ!」なんて満面の笑みで汗を拭う姿や、ようやく竹の子を掘り起こした瞬間くしゃくしゃな笑顔で喜ぶ姿は、まさに少年・少女だった。

そして、各チームが合流し温泉へ行った後は発表会&待ちに待ったご飯の時間。

■夜の発表会&交流会
プロジェクターを使って、デジカメで撮影したものをスライドショーで見せ、生徒たちがかわるがわる説明をした。
蕎麦、山菜、農作業、食器。それぞれのチームでしか味わえなかった体験を自慢するかのように発表していく。その体験で知った知識・感じたことを素直な気持ちでみんなに共有する姿は、健全な「学びの場」であったし、このツアーの醍醐味でもあると感じた。観光として、楽しむだけでなく、現地のことを知るツアーの本質がこの発表会にあると感じた。

そして、発表後はそのまま夜の夕食・交流会に。昼に作った竹の食器にビールが注がれ、山で採ってきた山菜が天婦羅にされ、太さがまばらだが、味は絶品の蕎麦がゆでられた。
自分たちが体験し、作り、それを食す。その感動は都会の日常では味わえないものであり、きっと心に残るものに違いなかった。

食事をしながら、里美の土地に移り住んだ北山さんの話を聞いた。海外生活13年を得て、里美で農家をすることを選んだ北山さん。自然農法を営みながら、鶏を育て農家の卵を販売し生計を立てている。いまの自給率、いまの食べ物について、実際に自分で食べ物を作っている方からの話は、都会に住んでいる僕らにとっては耳が痛い。いま目の前にある食べ物の命に、ありがとう、という気持ちが自然と湧き上がる。

この里美は、昔は子供の数が一学年140人いたのが、いまは全体で40名ぐらいだという。集落の未来が心配になった。今こうして里見の自然と人の暖かさを感じているが、それが僕らの時代で終わってしまうのではないか、その危険も感じられた。
いまある里美の資源を保ち続けるために、観光としてのツアーではなく、今回のような交流をメインとしたツーリズムが今後大切になってくることを改めて実感した。騒がしい夜が、静かな夜へと変わっていく。

■2日目
ひんやりとした空気の中、7:30に起床。寝ぼけ眼の人、すでに散歩をしてきた人。さっそくの朝食は、炊き立ての白いご飯に、きゃらぶき(サツマイモの茎)と豆腐の味噌汁、納豆、昨日採ってきた卵、のり。シンプルだが、美味しい。久しぶりに朝食を食べた、という人もいた。ご飯がすすむ。卵ご飯は絶品だ。
9:00になり、プログラム4「里美自由時間」がはじまった。自由時間とはいえ、いくつかコースがある。野草でお花、善福寺で禅、滝、温泉。この中で人気だったのは滝の見学だった。自然を感じ、癒される旅だかろうか。続いて禅が人気。
僕が参加したのは、沼田邸に残ってお花体験。とはいっても、みな好き好き。昼寝をしたり、五右衛門風呂に入るために、薪を割って火をおこしたり。

お花チームは、昨日作った竹の食器を利用して、自分が庭で摘んできた花を生ける。個人の感性に表現するかのように花を生けていく。あっというまに、沼田邸の居間は個性溢れる生け花で一杯になり、昼の食卓に彩りを添えた。

皆が各体験から戻ってきたところで、餅つきの開始。なれない手つきで、二人一組で突いていく。自然と「よいしょ~」と掛け声がかかる。はじめてする作業なのに、一体感が生まれ、うすの周りは笑顔で溢れていた。自分たちで作った餅だからこそ、なおさら美味しい。つるりとした食感、伸びるもち。気がつけばおなかが一杯になるほど食べつくしていた。

このまま残って昼寝をしたいが、東京に戻る時間に。なんとも名残惜しい。

今回のプログラムは、特別なイベントをしたという雰囲気が無いことに気づく。なぜなら、山菜を採ったり、田んぼの草をとったり、お花を摘んだり、滝を見たり、ということは、農村からしたら日常的にあること。そこの土地にあるものに触れ、そこに住む人たちと会話をし、そこにある空気をいっぱい吸った。ただそれだけのことだった。
しかし、気持ちも体も充実しているのは、この素朴な里美の自然があったからだ。生徒も楽しかったという声ばかりでとても満足そうだ。

人のためになにかを作るのではなく、人が自然に近づくだけで、こんなにもやさしい気持ちになれ、楽しめるとは思わなかった。その土地に住む人・自然に触れたいから行く。一過性のイベントとしてではなく、地域との交流の架け橋を担うものとして、また地方に行きたい、いや住みたい、そう思える人が増えてくれたら嬉しいと思った。
帰りのバスは、各々の体験の話をする人、すやすや眠る人。思い思いの時間をすごし、茨城ツーリズムは無事幕を閉じた。

(ボランティアスタッフ 鈴木高祥)