授業レポート
2022/1/28 UP
「継承の場面」~農家業を継いでみたら~
今年の2月に、「継承」について考えるオンライン授業が行われました。
その授業後に、ゲストのお2人と授業コーディネーターの間で、多種多様な「継承の場面」を紹介しながら、継承することについて参加者と一緒に考えていく機会を継続的につくりたい、という話になったところから、今回のシリーズ授業「継承の場面」が生まれました。
今日は、記念すべきシリーズ第一回目の授業ということで、ゲストには、山梨県で農業を継いだ金丸直明さん、ゆきこさんご夫婦をお迎えしました。金丸さんご夫妻は山梨からオンラインで参加、現地には、2月の授業にもご登壇いただいた元僧侶の鈴木さんにも来ていただきました。
授業は、自分とは縁のないものと捉えられがちな「継承」という言葉が、実は学校生活や地域活動など、どんな人にも身近なものだというコーディネーターの言葉で始まりました。
参加者の皆さんに授業に参加した理由をお聞きすると、近々先祖代々の土地やお墓を継ぐ予定がある方から、農業に興味のある方、継承という言葉にピンと来て参加した方など、様々な声が聞かれました。
ここからは、授業の本題である、”継ぐ”決断をした金丸さんのお話、”継がない”決断をした鈴木さんのお話を簡単に振り返ってみたいと思います。
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●金丸さんの「継承の場面」
山梨県にある金丸文化農園の2代目として、桃やさくらんぼを栽培している金丸さんは、元々は介護職をされていて、農業をやるつもりは全くなかったと言います。しかし、お父様が脳梗塞で倒れ、寝たきりになってしまったことを機に、半ば強制的に2代目を継ぐことになりました。
当時は、継ぐことについて悩んだり葛藤する時間すらなく、「農家になったのに農業が辛い」状況だったと言います。人と接する仕事が好きだった金丸さんにとって、黙々と作業をする農業は苦痛だったそうです。
しかし、その後農業に関心がある都心部の人たちと出会い、「農業や果物をツールに、人とつながる」という楽しさを見つけられるようになると、「やらなきゃいけないこと」だった農業が、徐々に「やりたいこと」に変わっていたと言います。
現在は、お子さんが不登校になったのをきっかけに、子どもや親の居場所づくりを始めたり、金丸文化学園という名前で様々なセミナーを実施するなど、農業だけにとどまらず、幅広い分野で精力的に活動されています。
金丸さんのお話で印象的だったのは、継承元のお母様とのお話です。金丸さんが農業を継いだ当初は、継がせる側と継ぐ側、それぞれの想いがぶつかることも多かったと言います。「継承」というと、業務面の継承ばかりを思い浮かべてしまいますが、結局は、人と人との関係性や、コミュニケーションの問題であること、それが家業の場合には、親子の関係や、家族の問題でもあるのだと改めて実感しました。
私たちにとっても身近な親と子の関係も一つの継承のかたちなのだと思うと、共感できる部分が大きく、参加者の皆さんも頷きながら聞いていました。
●金丸さんにとっての「継承」
最後に、金丸さんにとっての「継承」について、望んで就いたわけではなかったところから自分事にしていく大切さ、「べき論」を自分が好きで楽しめることに変えていく大切さなどを切り口に、お話していただきました。
また、ゆきこさんも、妻という立場で、夫の実家の農業について自分ごとで捉えることは、なかなか難しかったと言います。最初は、農業はこうあるべきだという思い込みや、「なんで私が・・・」といった被害者意識に苦しんだそうです。しかし、自分ごとに思えない自分を許すこと、我慢せずに愚痴を吐き出すことで、少しずつ自分たちらしい取り組みをしてみようと行動に移せるようになったと言います。
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●鈴木さんの「継承の場面」
金丸さんのお話のあとは、1500年の実家のお寺を”継がない”決断をした、元僧侶の鈴木さんにバトンタッチです。
もともとは、30年間住職をされていたお父様のそばで、副住職として僧侶の仕事をされていた鈴木さんは、その後住職を”継がない”決断をし、現在は理学療法士として終末期患者のケアなどを行っています。お父様と継承の話をしたことは一度もないと振り返る鈴木さんでしたが、理学療法士としてホスピスでの活動などに関心があるのは、お坊さんとしての経験が土台になっていると言います。住職というかたちでは”継がない”決断をしたものの、「自分なりの継承」をしているのだと思います、というお話がとても印象的でした。
●鈴木さんにとっての「継承」
とはいえ、先祖代々の家業を継がない決断をするには、かなりの覚悟が必要そうです。きっと多くの人は、責任感、期待を裏切る罪悪感、周囲からの目などにとらわれ、「やります」と言ってしまうのではないでしょうか。
しかし、鈴木さんから出てきたのは、意外な言葉でした。
「自分の人生を生きることが何よりも大切である。自分がしなくても、誰かがやるものだ。流れに逆らうとどこかで必ず無理が出てくる。1500年の歴史を継がないなら、どう生きるか?を考えることが大事だと思っている。継がないと決めたときは、重い鎧が剥がれた感覚だった。」
この言葉を聞いたときの心が軽くなるような感覚は、参加者の皆さんも同じだったようです。教室の空気も少し軽く、明るくなったような、「継承」という重みのある言葉が、少し身近に、前向きなものに変わった瞬間でした。
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お2人のお話のあとは、参加者の皆さんとの対話の時間です。
「継承」という熟語には、「承る」というYESの意味が含まれていますが、必ずしもYESが前提にあるものではないこと、また、自分ごとで捉えるには、仕事でも介護でも、よい後継者、よい社員、よい妻であるべき、という考えを捨てることが大事だという話で盛り上がりました。
全体を通して、重く捉えられがちな「継承」というテーマを、より身近に感じられた時間でした。同時に、事業や伝統の継承だけではなく、親から子へ命をつなぐこと、次の世代に何を残せるか考えること、地球にあるものすべてが「継承」であるという気付きがありました。
授業の最後にもらった、「自分が継承したいものは何か?」という大きな問いを、私自身もじっくり考えたいと思います。
レポート:大澤悠季