シブヤ大学

授業レポート

2020/8/5 UP

他者と社会に「共感」というフィードバックを

「自然(じねん)に生きる〜循環型の社会創造〜」シリーズも最終回となる第5回目は、
「自然体な社会。これからの社会と私たちの生き方」をテーマに、岩波直樹先生をお招きしての授業が行われました。

自然と書いてじねんと読む…
自然薯の像が消えないまま、シリーズに初参加した筆者でしたが、
同じく初参加の方も、「岩波さんのおっかけです」という方も、
これまでのこのシリーズの授業に参加されてきた方も、
オンラインでありながらゆるやかなつながりを終始感じられた授業となりました。
というのも岩波先生のお話に「共感」を深めていった人が多かったからでしょう。
そして、この「共感」は授業のキーワードでもありました。


現代は、

自分という人間が何をしたいですか?

という時代にきている、あるいはその過渡期にあるのだそうです。

それは、共感して集まる仲間たちと一緒に何かをしていくことに価値が置かれ、また、その「集まり」というのは従来の組織とかコミュニティとかでなくてもよいという時代になるのではないか、とのことでした。

そして、そのような時代によりよく生きるにあたり、

ちょっとした自分の欲求に正直に動くことを許容する社会

の構築が求められているのだと。

それは、自分の欲求を抑えこんで「自分は我慢しているのだから(あなたもそれをするな)」を他者にぶつけるのではなく、
自分の欲求と他者とのそれとを広げてみせて、もしその間にギャップがあれば、社会的なフィードバックとして返すことがひとりひとりに求められるだろうとのことでした。

社会的なフィードバック…というと難しそうですが、前提に「共感」があるようです。
そして、共感の種類(方法)はたくさんあっていいのだそうです。
何しろ、人の生きているステージがそれぞれなので、それぞれのやり方で共感を示せることが大事なのだと。


もうひとつ、

現代社会は家庭の中もエネルギーの奪い合いになっている

とのこと。

その原因として、自分の認識で自分の限界を決めていることがあるのではないかとのこと。
そうであれば、自分の認識にこだわらないでいたほうが、もっと他者と共感し合えるのではないか、さらには、自分の限界も超えられるはずではないかとも。
大人の認識というのは、ほぼ固定観念なのだそうです(はい、反省…)。

子育てであれば、いつだって「子は親の認識を超えていくもの」というスタンスでいると、
エネルギーの奪い合いにならないのだろうと。

組織であっても、自分が育てたい・育てようとしているもの(プロジェクト、後輩など)はすべて自分の認識を超えていくものだと思えると、他者との関係もゆったりと向き合い、共感も生まれやすくなるのではないかと。

もちろん、自分を育てていきたいのであれば、「私も私の認識を超えていくもの」というスタンスが必要なのでしょうね。
そこで注目したいのは、成人発達理論です。


人間の成長には2軸あるとのこと。
ひとつの軸は水平的な成長で、それはアプリを追加するようにして知識やスキルを獲得していく、能力の成長であると。
もうひとつの軸は、垂直的な成長で、それはOSをアップブレードするように自己の認識の拡大や枠組みの変容をしていく、心の成長であると。
そして、垂直的は成長が大人になっても人は成長することを主張する成人発達理論のベースになっているとのことでした。
そうなのですね、大人になってなおも人は成長するのですね。

自分の限界を自分で決めてしまわずに、自分の認識を超えていく自分をみていたい。
大人になっても自分というOSのアップデートをしていきたい、
そうしている他者に共感し、お互いのアップデートを喜び合いたい。
だからこそ、このようにして時おりシブヤ大学の学生となって、先生や他の学生、そして「そうなんだ!」と気づく自分に出会いたがっているのかもしれません。


共感、価値の他にも、幸せ、ギフト…
たくさんのキーワードをお土産としていただきました。
そして、それらについて、「自分はどう表現していくか」「私はどうありたいか」といった、まさに「自然(じねん)に生きる」のための宿題もたくさん出された授業になりました。

ちなみに、宿題の提出は無期限です。

(授業レポート:記伊実香)