シブヤ大学

授業レポート

2020/9/10 UP

【オンライン開催】となりの能楽師から学ぶ、
古くて新しい考え方【渋谷能×シブヤ大学】

今回は「となりの能楽師から学ぶ、古くて新しい考え方」と題して、能楽師シテ方喜多流の友枝雄人さんと佐藤寛泰さんのおふたりが先生として授業をしてくださいました。


そして今回は、セルリアンタワー能楽堂からの生配信。
授業が始まると早速、舞台上の先生の手持ちカメラへと映像が切り替わりました。
木の柔らかさを帯びて燦然と輝く能舞台。
普段は客席から見上げることしかできない舞台を能楽師の視点から眺めていると考えると、身の引き締まる思いがします。

前半は「映像で知る」時間。
臨場感のある舞台上の映像とともに、おふたりの先生が舞台の基本的な説明をしてくださいました。
個人的に心に残った点をいくつかご紹介します。

― 老松を映す“鏡”。神様が宿る能舞台

能舞台と聞いて多くの人が思い浮かべるのが、舞台の背景となっている大きな松の画ではないでしょうか。

能舞台に描かれている松は、歳をとった古い松「老松(おいまつ)」。老松は「神様が宿る」と昔から信仰の対象にされてきたそうです。また、松は1年を通して葉の緑を保つことから、「めでたい木」でもあります。
そして、老松が描かれている板を「鏡板」と言います。
“鏡”として老松を舞台に映し込むことで舞台上に神様が宿るよう、能舞台には必ず老松が描かれているそうです。

― 柱が支えるのは“自由な舞”

四方にある柱とそれに支えられた屋根、と入れ子のような造りが特徴的な能舞台。「屋内なのにどうして?」と疑問に感じられる方も少なくないと思います。

これは、能が仮面劇であることに起因します。
能面をつけることで演者の視界は大きく奪われます。しかし、四方に柱があることによってそれが目印となり、方向感覚を持った状態で舞を自由に舞うことが出来るといいます。
実際にカメラの前に能面をかざして舞台を覗くと…びっくり!視界の穴はとても小さく、まるで見えません。こんなにも限られた視界のなかであれほど優美な動きをしているのかと思うと驚きです。

― 面が現す“陰と陽”。そして生まれる“多彩な感情”

次にカメラの前に映し出されたのは、若い女性である小面(こおもて)のひとつ「万媚(まんび)」と嫉妬に狂う女性「般若(はんにゃ)」の二つの能面。
よく見ると、うりざね顔にほんのり笑みをたたえている万媚の目の穴は四角く、二本の角と吊り上がった口元が恐ろしげな般若の目の穴はまんまると丸く開けられています。


実はここにはこだわりが。
穴の形をそれぞれ工夫することで、万媚には柔らかな表情の中にも強さを、般若には強さだけでなく人間らしさを与えているそうです。
先生曰く、そうすることで「常に陰と陽のバランスを取っている」。
目の穴ひとつにそんな繊細な表現が隠されていたとは…奥が深いです。

また、角度によって面の見え方は異なるそうです。
面を上に傾けると、遠くに去った恋人に想いを馳せるような遠い眼差しになり、下に傾けると、寂しげに泣いているように見えます。
他にも正面や斜めといったように別の角度から見ることで、もっと色んな表情が出てくるそう。無機質に感じる面にも多彩な感情表現があることが分かると、一気に見え方や感じ方が変わります。



また他にも、年老いた男性の面である尉(じょう)、中年女性の面である曲見(しゃくみ)などいくつか能面を紹介していただきました。
近くでじっくりと見ると、目の形、歯の色、口元のしわなどが面によって異なり、とても細やかに造られていることが分かります。
中には安土桃山時代(!)の面もあり、その歴史の壮大さに改めて感銘を受けました。



後半は、舞台から装束の間(楽屋)へと場所を移して、様々な疑問に答えていただきました。

「“能の世界に入る”ことはどういった感覚?」
おふたりとも能楽師の家系で、幼い頃から子役として舞台に立ってきたそうです。
思春期の頃は、周囲が進路を決めていくなか、一人前の能楽師になるための稽古をする日々に悩むこともあったそう。
そんななかでも、「能楽師になれる選択肢が自分にはある」と良い方向に発想を切り替え、やがて先輩の姿を見て「せっかく能楽師になるのだったらこういう風になりたい」と向上心を抱くようになった、と話されていました。

「どんな気持ちで舞台に立っているの?」
芸能として700年近く続いている能。
時代に合わせて発展しつつも、その様式は変わらず今も継承されています。
 ―「繋がれてきたものに対する重み、畏敬の念をおのずと感じる」
 ―「表現者としてやりたいことをやるだけではいけない」
先生のお言葉から、脈々と受け継がれる日本の伝統芸能を背負う覚悟と自負の念を感じました。
また、様式は同じでも個性はにじみ出てくるそうで、発声や構え、すり足、面の合わせ方…全てにおいて、みな同じではないそうです。

「能のテーマとは?」
能は、ストーリー性よりも、その場面の主人公の心の中の想いや人間性に焦点を当てた内容のものが多いそうです。
嫉妬に苦しむ般若も、どこかには「こんな自分は嫌だ…」という悲しみがあると言います。
能舞台には、プラスの感情の時にはマイナスの感情、マイナスの感情の時にはプラスの感情、と相反する感情が存在しているそうです。
つまり、能のテーマは、人間誰しもが持っている“心”。
演目のなかでは“生と死”についても多く扱われるそうです。
 ―「死ぬということはいかに生きてきたか、ということ」
先生の言葉が胸に刺さります。
古くから継承されている能ですが、そのテーマは一貫して現代にも共通するものだということが分かりました。

「能の見方、楽しみ方は?」
能の鑑賞の楽しみは、“自分の感性がひらいていく瞬間”にあるそう。
演目の中の複雑な感情は、演者の技量を通して、観ている人が感性で受け止めることで伝わるそうです。
かと言って、演者にとって直接表現はNG。
分かりやすく表現してしまうと、観る人が「ただ観るだけ」の状態になってしまい、心の深いところまで届かなくなってしまうからです。
与えられる情報だけで観るのではなく、参加して観ることで鑑賞の楽しさが数倍に広がる、と先生は仰っていました。
あえて見せない“余白”に観る人の感情や記憶、想像力が重なることで、能はより一層奥行きを持ちます。
難解に感じてしまいがちですが、ある意味、内容を正確に捉えようとしなくても、自らの感性を活かすことで感じることが出来る部分、観る人に委ねられている部分があるということなのではないでしょうか。

最後、「譲れないことはある?」という問いに対しては、
友枝先生「能は様式芸。日常のなかで舞台に向き合っていると、改めて基礎が大事だと感じる。基礎がこれからの舞台生活に一番大きな影響を与えると感じる。50代に差し掛かり残された時間が少なくなっているなかで、再度基礎を見直して努めていきたい。」
佐藤先生「伝統芸能は、先人たちが繋いでくれたおかげで現在も観ることができる。正しく後世に継承していきたい。核を大事にした上で色んなものと対応、順応していくことが大事なのだと思う。」
とそれぞれお答えいただきました。



「“いま何ができるか”を考えることは、こうして伝承してきたことに繋がる」
先生のお言葉通り、長く続いた能の伝統も歴史もたどれば「いま」の連続。
そしてその基となるのは、今も昔も変わらない、私たちの「心」。
先生たちのお話から、能をぐっと身近に感じることが出来ました。

みなさんもぜひ一度「おとなりさん」感覚で、能楽堂に足を運んでみてはいかがでしょうか。
そこには650年前の先人たちのドラマがいまも脈々と紡がれています。

(レポート:小野多瑛)