シブヤ大学

授業レポート

2019/12/2 UP

イギリス人はなぜ歩くのか?
~「歩く文化」を楽しむ~

講義は暑くもなく寒くもない、よく晴れた日に行われました。座学ではありましたが、歩く話をするのにぴったりの日でした。
受付のそばには先生の著作をはじめとして、ナショナルトラスト運動やフットパスに関するパンフレットが並べられ、自由に見られるようになっています。



その横にはお茶のカウンターが作られ、イギリス土産のクッキーと紅茶が振舞われました。カウンターにはナショナルトラストの記念品の布が敷かれ、先生の家で実際に飾られていたガーランドが吊るされています。



生徒は講義が始まるまでの間、受付で配られたポストイットに「授業に参加した理由」を書いて、教室の前のホワイトボードに貼ります。これを元に、先生が会場の参加者の興味に焦点を当てる形で授業がすすめられていきます。
手元には先生から配られたパンフレット。暮らしていたイギリスのコッツウォルズの風景や、ナショナルトラスト運動の精神的支柱となった三人の人物などが紹介されています。



イギリスは階級社会であり、土地や設備を持って労働者を働かせる層と、そこで働く労働者達の層がはっきりと分かれているのだそうです。大地主の持つ土地は、例えば東京から鎌倉までがずっと一人の私有地であるというような規模だといいます。
元々はこういった私有地の中で働いていた労働者たちでしたが、産業革命によって工場勤めが始まり、休日というものを得たけれどもやれることがない。歩くところもない。そんな時代がきてしまいます。そんな中、ワーズワース、ジョン・ラスキン、ウイリアム・モリスといった表現者たちが、美しい風景の中を歩くのは人間の基本的な願いであると主張し、労働者達とともに「歩く権利」を勝ち取っていく過程が印象深く語られました。また大地主側が、自分たちの所有する風景を社会に還元していくことに誇りを抱くことができるようになったのも、この三人の芸術家の影響がありました。
こうして「歩く権利」と「歩かせる誇り」は姉妹のように育まれ、イギリスに歩く文化が定着することになっていきます。ちなみにイギリス人たちはこうやってお金をかけずに自分たちで楽しみを作り出すことができるので、ディズニーランドが建設されなかったという冗談があるそうです。



美しい風景も私物であるうちは、所有者の気分で突然失われてしまう可能性があります。そこで「歩く人々」は、自分たちの大切にしたい風景は自分たちで所有して守り続けるしかない、ということに思い至ります。ここからナショナルトラストという運動が始まり、未来に残したい森や道、そこに建つ古い建物や文化など、風景を丸ごと一緒に保存する活動が始まりました。



現在イギリス国内には五百万人のトラスト会員がおり、実際に手を動かすボランティアは六万人を数えるという大きな組織に育っています。所有する家は三百軒を超え、管理する土地の広さはなんとイギリス一という大地主になりました。とはいえ維持にはお金がかかるもの。予算のほとんどを保全に使い切ってしまうので、会費や寄付がなかったら一年で潰れてしまうかもしれないそうです。



先生からはフットパスを歩く喜びも語られました。二月ごろから春を迎える田園風景は様々な植物に彩られ、興ざめするような看板もなく、道なき道のような美しいパスを歩き継ぎ、程よく疲れてたどり着いた先には必ずパブがあるのだそう。そうそう、パブというと飲み屋さんかな?と思っていたのですが、パブは「パブリックハウス」なんだそうですよ!公共の家!なるほどです。
一日のうちに四季があると言われるイギリスの気候は、歩いても汗をかかず、蚊もいないんですって。とにかく庭の手入れが楽な気候で、冬もミストと呼ばれる霧があって、ずっと緑が絶えないのだとか。ああ、行ってみたい。



終盤には日本とイギリスの比較の話も出ました。イギリスは緩やかな川の国なので、奥多摩のような岩がゴツゴツした風景はものすごくエキゾチックで「これがほんとうのロックガーデン!」と感激するのだそうです。また、日本にもナショナルトラスト運動があり、先生である小野さんもその活動に携わっています。小野さんから見ると日本のナショナルトラストは景観重視で、古い建物の保全はあまりされていないそう。もったいないと思った小野さんは、自ら地元の飯能で貴重な建物を保全し、なんとシブヤ大学の兄弟校、ハンノウ大学を作って校舎として活かしていくことを決めました。行くしかないですね!



授業後も話が弾み、カフェでの放課後タイム(私は残念ながら参加できなかったのですが)には九人の参加があったと聞いています。

最後に私の感想を記させてください。
先生のお話をうかがって、歴史や文化への関わり方は対象として眺めたり愛でたりするだけではなく、自分でその一部になることもできるのだなと思いました。歴史も文化も「やる」ものなんですね。そうやって引き継がれていくもの。昔、友人に「メッセージは伝えるものじゃなくて、生きるものなんだって」と言われ、その時は意味がよくわからなかったのですが、小野先生が愛する風景を活かしながら保全する姿を見て、こういうことなのかもしれないと想像することができました。

(授業レポート:福田桂 / 写真:槇歩美・杉山遼介)