授業レポート
2007/7/6 UP
今月の戸栗美術館の授業は、やきものの「カタチ」に焦点をあてての授業です。
やきものの器のカタチ、大きさは「土の性質」と「技術」で決まります。
「土」がきめ細かければ薄いお皿ができますし、益子焼のように薄いお皿ができない土もあります。
そして、「技術」に関して中島先生は一尺(30cm)以上の「大皿」の例を取り上げて授業を進めてくださいました。技術の変化は日本の中だけでなく、海を越えた外からの影響を受けて起こったものでした。大皿の歴史を追いかけると、17世紀前半は朝鮮半島の技術を、そして17世紀後半になると中国の技術を輸入し影響を受けているのがわかります。それらの国で流行していたカタチと同じものが日本でもつくられていました。17世紀多く見られた大皿は18世紀になると突然消えてしまいます。しかし、19世紀になるとまた見られるようになります。
いったい何故?
これは大皿が使われる場所を考えると合点がいきます。では、大皿はどこで使われることが多いでしょうか?
少人数の家庭で使われることはあまりないと思います。大皿が必要なのは人が集まるところ。
17世紀は動乱の時代です。人々は何らかの行動を起こすために宴会といっては集まって話し合っていました。人が寄り合う場では大皿が便利だったのです。
18世紀になると徳川幕府が安定の時代に入ったということもあり、人々が集まって話し合いをする機会が一気に減りました。そして、19世紀幕末には、料亭、遊郭が増えてくるようになります。現代でも人が集まるところでは大皿をよく見かけますね。そういった時代背景をみていくと、何故同じお皿がその時々で数多くつくられるのか、数が急に減ったりするのかがわかります。
次に、話は大皿から中世三種の神器と呼ばれ、当時どこの家庭にあった器の話へと移ります。それが「壺・甕・鉢」(壺は口が小さいもの。口が大きいものは甕です。)これらがどのように使われていたかというと…
●壺…大事なものを入れる。お金や種。種は次の年に備えて、ふたをちゃんと閉めて悪いものが入らないようにしていた。
●甕…液体を入れる。水やお酒。現代のように水道がない時代は水は甕に溜めておいた。
●鉢…食べものを調理する。ものをすりおろして調理するというのはすり鉢が出てきたおかげでできるようになったこと。やきものは人々の生活の中で欠かすことのできないものとして存在していました。
さて、皿縁のカタチについても見ていきましょう。縁というと、たいてい丸を思い浮かべるかと思います。しかし、江戸にはおもしろい縁のお皿がありました。花びらの形をかたどった輪花、稜花と呼ばれるもの。ウサギや、鳥、牛など動物のカタチの変形皿。おめでたい瓢箪のカタチのものや、当時富士山を信仰するのが流行ったために富士山のカタチも数多くつくられました。
そして、18~19世紀、数多く使われていたのが蕎麦猪口です。当時の人々はそんなにお蕎麦が好きだったのだろうか、と不思議に思ってしまいますが、蕎麦猪口は小鉢や向付と呼ばれて色々な食事をちょこちょこっと出すような場で使われたり、とお蕎麦を食べるためだけに使われたわけではないようです。
こうしてみていくと、当時の人々が生活する中での流行や、ニーズによって器のカタチが変化してきたのがわかります。ご先祖様もきっと流行を取り入れたり、より便利なものを求めていたんだと思うと、いつの時代も人間って変わらないんだなぁと思いますね。
しかし、いくら同じ人間でも時代が違えば文化や常識は違ってくるもの。時が流れる中でいつの間にか消えてしまっていった使い方もあります。それらを今、私たちが想像するのは難しいですが、今回中島先生は江戸時代にやきものの器がどうやって使われていたのかそのヒントとなるものを見せてくれました。
それが「浮世絵」です。
焼き物が当時どのように使われていたか、浮世絵の中から読み取ることができます。
私たちは器を、たいてい料理を盛り付けるためのものとして考えます。もちろんお刺身を盛ったり、煮付けを出すために使用されていた様子が浮世絵にも描かれています。しかし、浮世絵を見ていると、やきものが食卓だけで使われていたのではないということがわかります。
中にはお化粧をしている女性の浮世絵があり、手前にある鏡台の引き出しの中にやきものを発見しました。そこにあるのは伏せてあるお猪口。このお猪口は「紅ちょこ」といい、お猪口の中に口紅を塗りつけ、指でとって紅をさすためのものです。現代のスティック状の口紅を塗るよりも、その様子を思い浮かべると、とっても色っぽい気がするのは私だけでしょうか。
また、浮世絵の中でお酒を飲むときに、鉢形の器に水をはっておいてそこで杯を洗う「杯洗」というものを見つけることもできます。大きな鉢形の杯洗であれば、色々な杯を浮かべて眺める一種のインテリアのような役割も果たしていたようです。現代であれば杯洗はフルーツを盛るのにいいかもしれませんね、と先生。ここでも、やきものが食事を盛る以外の用途で用いられていたことを発見できます。
ただ注意しなくてはいけないのが、浮世絵は一種のポスターであるということです。江戸の人々の生活がそっくりそのまま描かれているわけではありません。
先生曰く、「浮世絵を見て昔の人が皆こんな格好していたんだ、とかこんな器を使っていたんだ、こんなものを食べていたんだ、と思うのは、今、街中にあるスーパーモデルがすごいお洒落してブランド品を持っているのを何百年も先の人が、私たちは皆こうだったのか、と思うのと一緒です。浮世絵に描かれているのは当時の人々の憧れであるということを頭に置いておくことを忘れないようにして下さい。」とのこと。
また、この授業ではやきものに直接触れられるという特典があります。
聞くのと見るのが違うように、見るのと触れるのも全く違います。きっと生徒の皆さん一人ひとり、直に触れてみて自分の想像とのギャップを感じたのではないでしょうか。ちなみに私は思っていたよりも軽く感じました。そして表面のカタチが目で見るよりもでこぼこしていたのが印象的でした。
これらは誰がつくったのかはもちろんわかりません。それでも、このやきものが確実に人間の手でつくられ、人々の生活の中に存在し、何百年のときを越えて自分のもとへ届いているということ。それは、ガラス越しに見ていたやきものに直接触れて、初めて鮮やかに感じることができたつながりでした。
もしかすると今、わたしたちが日常で使っている器も未来でそんな風に思われるかもしれません。やきもののカタチから過去を感じ、自分につながる今、そして未来に想いを馳せることができた、そんな授業でした。
中島先生、どうもありがとうございました。
(ボランティアスタッフ 中里希)
【参加者インタビュー】
1. シブ大の申し込みをしてくれた娘さんは満員締め切りで出席できなかったという安田隆彦さん、玲子さんご夫妻(娘さん、次回は是非!)
「近くに住んでいるけれど、普段はいつも通り過ぎている場所にシブヤ大学をきっかけに来ることができて良かった。」 (隆彦さん)
「美術館に来て、普通なら触れることができないやきものに実際に触れるって素敵。」(玲子さん)
2. 5月に行われた田植えの授業にも出席された谷口飛鳥さん、石井愛さん
「美術館の展示物に対して、わからないまま見ていることが多いけれど、先生に説明をしてもらったことでさわりの部分がわかってよかった。輪花、稜花のようなやき方って昔は画期的なことだったんだろうなぁと思いました。」(飛鳥さん)
「美術館にあまり興味はなかったのですが、最近茶道を始めたこともあり色々なものに対し見る目を養いたいと思い、参加しました。ありがとうございました。」(愛さん)
やきものの器のカタチ、大きさは「土の性質」と「技術」で決まります。
「土」がきめ細かければ薄いお皿ができますし、益子焼のように薄いお皿ができない土もあります。
そして、「技術」に関して中島先生は一尺(30cm)以上の「大皿」の例を取り上げて授業を進めてくださいました。技術の変化は日本の中だけでなく、海を越えた外からの影響を受けて起こったものでした。大皿の歴史を追いかけると、17世紀前半は朝鮮半島の技術を、そして17世紀後半になると中国の技術を輸入し影響を受けているのがわかります。それらの国で流行していたカタチと同じものが日本でもつくられていました。17世紀多く見られた大皿は18世紀になると突然消えてしまいます。しかし、19世紀になるとまた見られるようになります。
いったい何故?
これは大皿が使われる場所を考えると合点がいきます。では、大皿はどこで使われることが多いでしょうか?
少人数の家庭で使われることはあまりないと思います。大皿が必要なのは人が集まるところ。
17世紀は動乱の時代です。人々は何らかの行動を起こすために宴会といっては集まって話し合っていました。人が寄り合う場では大皿が便利だったのです。
18世紀になると徳川幕府が安定の時代に入ったということもあり、人々が集まって話し合いをする機会が一気に減りました。そして、19世紀幕末には、料亭、遊郭が増えてくるようになります。現代でも人が集まるところでは大皿をよく見かけますね。そういった時代背景をみていくと、何故同じお皿がその時々で数多くつくられるのか、数が急に減ったりするのかがわかります。
次に、話は大皿から中世三種の神器と呼ばれ、当時どこの家庭にあった器の話へと移ります。それが「壺・甕・鉢」(壺は口が小さいもの。口が大きいものは甕です。)これらがどのように使われていたかというと…
●壺…大事なものを入れる。お金や種。種は次の年に備えて、ふたをちゃんと閉めて悪いものが入らないようにしていた。
●甕…液体を入れる。水やお酒。現代のように水道がない時代は水は甕に溜めておいた。
●鉢…食べものを調理する。ものをすりおろして調理するというのはすり鉢が出てきたおかげでできるようになったこと。やきものは人々の生活の中で欠かすことのできないものとして存在していました。
さて、皿縁のカタチについても見ていきましょう。縁というと、たいてい丸を思い浮かべるかと思います。しかし、江戸にはおもしろい縁のお皿がありました。花びらの形をかたどった輪花、稜花と呼ばれるもの。ウサギや、鳥、牛など動物のカタチの変形皿。おめでたい瓢箪のカタチのものや、当時富士山を信仰するのが流行ったために富士山のカタチも数多くつくられました。
そして、18~19世紀、数多く使われていたのが蕎麦猪口です。当時の人々はそんなにお蕎麦が好きだったのだろうか、と不思議に思ってしまいますが、蕎麦猪口は小鉢や向付と呼ばれて色々な食事をちょこちょこっと出すような場で使われたり、とお蕎麦を食べるためだけに使われたわけではないようです。
こうしてみていくと、当時の人々が生活する中での流行や、ニーズによって器のカタチが変化してきたのがわかります。ご先祖様もきっと流行を取り入れたり、より便利なものを求めていたんだと思うと、いつの時代も人間って変わらないんだなぁと思いますね。
しかし、いくら同じ人間でも時代が違えば文化や常識は違ってくるもの。時が流れる中でいつの間にか消えてしまっていった使い方もあります。それらを今、私たちが想像するのは難しいですが、今回中島先生は江戸時代にやきものの器がどうやって使われていたのかそのヒントとなるものを見せてくれました。
それが「浮世絵」です。
焼き物が当時どのように使われていたか、浮世絵の中から読み取ることができます。
私たちは器を、たいてい料理を盛り付けるためのものとして考えます。もちろんお刺身を盛ったり、煮付けを出すために使用されていた様子が浮世絵にも描かれています。しかし、浮世絵を見ていると、やきものが食卓だけで使われていたのではないということがわかります。
中にはお化粧をしている女性の浮世絵があり、手前にある鏡台の引き出しの中にやきものを発見しました。そこにあるのは伏せてあるお猪口。このお猪口は「紅ちょこ」といい、お猪口の中に口紅を塗りつけ、指でとって紅をさすためのものです。現代のスティック状の口紅を塗るよりも、その様子を思い浮かべると、とっても色っぽい気がするのは私だけでしょうか。
また、浮世絵の中でお酒を飲むときに、鉢形の器に水をはっておいてそこで杯を洗う「杯洗」というものを見つけることもできます。大きな鉢形の杯洗であれば、色々な杯を浮かべて眺める一種のインテリアのような役割も果たしていたようです。現代であれば杯洗はフルーツを盛るのにいいかもしれませんね、と先生。ここでも、やきものが食事を盛る以外の用途で用いられていたことを発見できます。
ただ注意しなくてはいけないのが、浮世絵は一種のポスターであるということです。江戸の人々の生活がそっくりそのまま描かれているわけではありません。
先生曰く、「浮世絵を見て昔の人が皆こんな格好していたんだ、とかこんな器を使っていたんだ、こんなものを食べていたんだ、と思うのは、今、街中にあるスーパーモデルがすごいお洒落してブランド品を持っているのを何百年も先の人が、私たちは皆こうだったのか、と思うのと一緒です。浮世絵に描かれているのは当時の人々の憧れであるということを頭に置いておくことを忘れないようにして下さい。」とのこと。
また、この授業ではやきものに直接触れられるという特典があります。
聞くのと見るのが違うように、見るのと触れるのも全く違います。きっと生徒の皆さん一人ひとり、直に触れてみて自分の想像とのギャップを感じたのではないでしょうか。ちなみに私は思っていたよりも軽く感じました。そして表面のカタチが目で見るよりもでこぼこしていたのが印象的でした。
これらは誰がつくったのかはもちろんわかりません。それでも、このやきものが確実に人間の手でつくられ、人々の生活の中に存在し、何百年のときを越えて自分のもとへ届いているということ。それは、ガラス越しに見ていたやきものに直接触れて、初めて鮮やかに感じることができたつながりでした。
もしかすると今、わたしたちが日常で使っている器も未来でそんな風に思われるかもしれません。やきもののカタチから過去を感じ、自分につながる今、そして未来に想いを馳せることができた、そんな授業でした。
中島先生、どうもありがとうございました。
(ボランティアスタッフ 中里希)
【参加者インタビュー】
1. シブ大の申し込みをしてくれた娘さんは満員締め切りで出席できなかったという安田隆彦さん、玲子さんご夫妻(娘さん、次回は是非!)
「近くに住んでいるけれど、普段はいつも通り過ぎている場所にシブヤ大学をきっかけに来ることができて良かった。」 (隆彦さん)
「美術館に来て、普通なら触れることができないやきものに実際に触れるって素敵。」(玲子さん)
2. 5月に行われた田植えの授業にも出席された谷口飛鳥さん、石井愛さん
「美術館の展示物に対して、わからないまま見ていることが多いけれど、先生に説明をしてもらったことでさわりの部分がわかってよかった。輪花、稜花のようなやき方って昔は画期的なことだったんだろうなぁと思いました。」(飛鳥さん)
「美術館にあまり興味はなかったのですが、最近茶道を始めたこともあり色々なものに対し見る目を養いたいと思い、参加しました。ありがとうございました。」(愛さん)