シブヤ大学

授業レポート

2015/8/24 UP

「わたしのこと」から「まちのこと」をつくる ~これからの都市コミュニティのあり方を考える~


「子どもと2人で食べるご飯がツライ…」


そんな気持ちから、東京・阿佐ヶ谷にて「もちより食堂」と「おたがいさま食堂」が始まりました。


今回のシブヤ大学の授業の先生は、「もちより食堂」「おたがいさま食堂」の発起人である齊藤志野歩さんです。


「もちより食堂」とは、阿佐ヶ谷の商店街で購入したものを持ち寄って食べる食堂です。2013年に約2ヶ月間ひらかれました。「もちより食堂」から始まった活動ですが、商店街で購入したものを使って地域の人と一緒に料理をつくって食べる「おたがいさま食堂」も開催されるようになり、それは現在も継続しています。


齊藤さんのように、子どもと2人で食べるご飯がつらい人や、一人の家でご飯を食べるのがちょっと寂しく感じる人、いつもの決まった調理方法ではなく、新しい食べ方を知りたい人、など近所の人や遠方の人、子どもから大人まで誰もが自由に、ちょっと立ち寄ってわいわいご飯が食べられます。


おたがいさま食堂の唯一の約束は、“○時までにご飯を作って食べる”こと。


その他に細かいルールはありません。あとは、参加者が話し合って決めていきます。
例えばメニューは、商店街にネパールショップができたことをきっかけに、ネパール料理にチャレンジしたり、買い出しに行った子どもが小麦粉と間違えて米粉を買ってきたので「フォー&パクチー料理」など、その時々集まった参加者と状況に合わせて決まっていくそうです。


2013年に12人の参加者からスタートし、月1回レンタルキッチンを借りて開催してきた「おたがいさま食堂」ですが、2015年4月には、まちの人とご飯をつくったりイベントを開いたりできるパブリックコモンスペース「okatteにしおぎ」がOPENしました。おたがいさま食堂は、月1回のイベントから、まちの日常になっていくのかもしれません。



このような街の人が自由に集まってご飯を食べる「まち食」に集まる人が増える理由は…
「多様性を認め合うこと」です。


みそ汁の出汁の取り方、盛りつけ方ひとつ取っても、参加者の育った環境や出身地などによって様々です。
また、参加者も様々で、いつもと違った食材の食べ方を知りたい人、苦手なことに挑戦できる人、わいわいしたい人、片づけが好きで食べるのが終わった後から活躍する人など色んな事に興味関心を持った人がいます。


でもその違いを否定するのではなく、コミュニケーションを取りながら発見して認め合っていくことで、参加した誰もが楽しめる「まち食」になっているのです。



そこで気になったのが、このような活動が自分の住んでいる街でもあればいいけど、私にはできそうもない、ということ。
齊藤さんは仕事で不動産投資会社に勤めていらっしゃったから、容易に「まち食」というコモンスペースを作る事ができたのでは…


そんな思いが頭に思い浮かんできました。
この問いに対して、齊藤さんにプレゼンで答えていただきました。


齊藤さんも、子供以外の人と一緒にご飯を食べたいと思いついたところから、スムーズに街に食堂を開けるところまで辿り着いたのではなかったそうです。
まずは地域のお祭りのお手伝いから、街がどう動いているのか知るところから始めました.
次に、徐々に増やしていた仲間と作戦会議を開きました。
そこで決まった事は、試しに「おたがいさま食堂」を、回数を決めて開こうということ。


みんなで考えて、話し合ったけれど、どれだけ価値があって、どれだけ大変かはやってみないと分からない。だから、無理のない回数をやる事から始めました。その間には、運よく、ご近所さんから一時的に使えそうな場所を紹介してもらったものの、事情があって使えなくなるといったこともあったそう。



齊藤さん曰く、「いつでもやめられる気軽さ」が大事、とのこと。
また、地域で何かやってみたいという人に向けて齊藤さんは「“わたしのこと”から始まっていいんだよ」


と仰っていました。
 
周りの人のために、地域の人のために…


公共性の高い事をいきなり始めようとすると、「地域活性化」みたいに少しかしこまった活動になる。
でも地域のことじゃなくて、わたしのこと、から始まって良いということ。

公共と私は、一見すると相反するように見えるけれど、私が集まって何か始めていく、そのプロセスが公共である。
だから、わたしのことから始まって良いということ。 
「わたし」という視点から始めてもいいんだと考えることで、少し気軽そうに思えませんか?



最後に。

もし、わたしのこと、地域のことに興味を持った方がいらっしゃるとしたら、
「ご一緒にいかがですか?」
この一言から、「もちより食堂」「おたがいさま食堂」のような活動は始まっているのかもしれません。



(レポート:田窪美江)