シブヤ大学

授業レポート

2015/2/7 UP

恐怖のホスピタリティ 〜お化け屋敷の”枠”を超える〜


【わたしの「学び」】


 1 お化け屋敷は「怖い」だけでなく、「怖くて楽しい」必要があること。
 2 相手に役割を与えることで、相手をその場に引き込む事ができること。
 3 負荷を減らすのではなく、負荷をかけてあげることもひとつのおもてなしだということ。



【授業レポート:ボランティアスタッフ春日くんの視点】


みなさんお化け屋敷って好きですか?
私はどうにもお化け屋敷が苦手で、子供の頃からどうにかこうにか入らないように苦心していた記憶があります。
でも、どんなにイヤだイヤだといったところで、一緒にいる友人は駄々をこねる私を笑顔でたしなめ、嬉々として私をお化け屋敷の列に並ばせていました。
その時私は思いました。どうして皆、怖い思いをするためにお化け屋敷にわざわざはいるんだろう、と。だってお化け屋敷が怖いのなんてわかりきってるわけです。そして皆、出来ることならば怖い思いはしたくないわけです。それでは、なぜひとはお化け屋敷に入るんでしょうか。

今回の授業は「恐怖のホスピタリティ~お化け屋敷の枠を越える~」。ということで、今まで数多くのお化け屋敷をプロデュースしてこられたお化け屋敷界の第一人者、五味弘文さんを先生にお招きし、恐怖のホスピタリティと題してお化け屋敷について授業していただきました。

授業は2部構成となっており、まずはお化け屋敷という見せ物の成り立ちについてじっくりお話いただきました。そして続いての2部では、なんと教室にゾンビが襲来します。
怖いとわかっているのに入りたくなってしまう、そんなお化け屋敷の成り立ちと、そこから浮かび上がる恐怖のホスピタリティについてをレポートしたいと思います。


◆お化け屋敷の歴史


授業はまずお化け屋敷の歴史から始まりました。
そしてその歴史とは、一言で言えば展示型お化け屋敷から劇場型お化け屋敷への歴史です。

昔のお化け屋敷といえば、たとえばドラキュラやミイラ、お岩さんやゾンビなどが驚かしにやってくる、というものだと思います。それは怖いもののオンパレード。私たちはそんな怖いものらの間をキャーキャー言いながら巡っていくわけです。
そのお化け屋敷のあり方はいわば「展示型」です。
恐怖の対象が展示されているように配置されており、私たちはそれらを怖がりながらも恐る恐る横目で眺めつつ通り過ぎる。

それに対して、五味さんのつくるお化け屋敷は「劇場型」。
例えば五味さんの作ってこられたお化け屋敷にこのようなものがあります。
お化け屋敷に入るや否や私たちは赤ん坊を手渡されます。そしてそれを出口まで連れていくよう言われるのです。もちろんただ連れていくだけでなく、そこには数々の仕掛けがあるそうなのですが……。
とまあこのように、このとき私たちはお化け屋敷のなかでひとつの役割を与えられます。
つまりただお化け屋敷に入り怖いものを眺めるのではなく、ひとつのミッションを与えられその場のストーリーに参加することを強いられるのです。これが劇場型お化け屋敷です。

しかしなぜ、お化け屋敷はお客さんを巻き込む劇場型になったのでしょうか。
その理由はお化け屋敷という見せ物の持つ特異な性質によるのです。


◆お化け屋敷という見せ物の特異性


先ほども書きましたが私はお化け屋敷が苦手です。ではなぜ苦手かというと、ずばり怖いからです。ではなぜ怖いことが苦手かといえば……これは別段理由は述べるまでもないことだと思います。趣味嗜好は十人十色だとは思いますが、基本的にひとは怖いものがイヤです。ひとは恐怖という情動を基本的には避けるように出来ていると思います。
しかし、そうであるのにも関わらずひとはお化け屋敷に魅かれます。
では本来避けたいものである「恐怖」を提供するお化け屋敷にひとはなぜ魅かれるのでしょうか。
その理由を五味さんはこう述べていました。それは、お化け屋敷はただ怖いのではなく怖くて楽しいからである、と。
怖いだけなら確かにひとはそこに魅力を感じないでしょう。でもお化け屋敷は違うのです。ただ怖いだけでなく、そこに怖さを楽しんでもらえる仕掛けがあるのです。
そしてその仕掛けを五味さんは主観と客観という言葉を使って説明されていました。

例えば映画の場合。観客はスクリーンを凝視し、大きな座席にどっしりと腰を下ろして映画のストーリーに集中します。この時観客は映画という見せ物に積極的に没入し、楽しもうとしています。
しかしお化け屋敷は違います。お化け屋敷の場合、お客さんはその場に没入したがりません。お客さんは恐怖を避けるためにお化け屋敷に対して消極的な姿勢をとり、その場に対して客観的でいようとするのです。
そこで、その客観的な姿勢をとるお客さんをお化け屋敷に没入させるために、劇場型という仕掛けが要請されました。客観的に眺める展示型でなく、役割を与えストーリーへの没入を誘う劇場型。そうすることでお化け屋敷に消極的で客観的なお客さんを主観に誘う。
そしてこの動きこそが、恐怖を楽しむというお化け屋敷のメカニズムのミソでもあります。


◆怖くて楽しいということ


お化け屋敷に入るひとの心理は複雑です。確かにお客さんはお化け屋敷で恐がりたいのでしょう。でもその時、お客さんはただ恐がりたいのではなく、満足いく恐怖を得たいと思っている、と五味さんは仰っていました。
では、この満足のいく恐怖とは一体なんでしょうか。
ここで五味さんはこんなお話をされました。

例えばあなたが近所を散歩しているとします。てくてく歩いているとあなたは曲がり角にさしかかりました。そして、なんともなしにその角を曲がろうとした丁度そのときです。突然曲がり角の向こうから人影がぬっと現れました。このとき、虚を突かれた私たちは驚き、立ちすくみ、一瞬恐怖を覚えることでしょう。しかしその人影は、よくよくみてみると自分のよく知る近所の友人でした。そのとき私たちはこう思うはずです。「なんだ、驚かさないでよ」と。
確かに突然現れた人影に私たちは驚き、瞬間恐怖を覚えます。しかし次の瞬間には、私たちはその恐怖を与えた対象を批判的に観察し、恐怖足り得るものかどうか判断しているのです。そして、その観察の結果その対象が恐怖するまでもないとみると私たちは恐怖することを辞めてしまいます。
満足のいく恐怖とは、その批判を乗り越えてなお、私たちを怖がらせられる恐怖のことです。
そしてこの満足いく恐怖のために、客観的に眺めるお客さんに役割を与え、お化け屋敷のストーリーに引き込み没入させ、主観へと誘う必要があるのです。そしてそれこそが、恐怖をおもてなしするということになります。

おもてなしというと、それは普通相手の負担を減らしてあげることとして使われていると思います。例えばホテルでのおもてなしの場合、ベットメイキングをしてくれて、食事の配膳をしてくれて、もしかしたら観光案内などもしてくれるかもしれません。この時のおもてなしは、自分の負荷を相手に請け負ってもらうという図式になっています。しかしことお化け屋敷のおもてなしは違います。お化け屋敷のおもてなしとは、先ほどの図式とはまるで反対で、逆に相手に負荷を負ってもらうということなのです。そしてその負荷こそ、お客さんに担ってもらう役割のことなのです。
ただ恐いことを体験させるのではなく、役割をもって積極的にお化け屋敷を体感してもらう。それこそがお化け屋敷流のおもてなし、恐怖のホスピタリティなのではないでしょうか。


◆ゾンビ襲来!


ここまで、およそ1時間あまりに渡って五味さんからお化け屋敷について講義していただいた訳ですが、続いての2部は今までとは趣向がちがいます。
なんと突然教室にゾンビが襲来するのです。
照明が落とされる教室。閉まるシャッター。騒然となる教室。そしてついに現れるゾンビたち!

……これはなにかというと、2部は五味さん考案の新感覚お化け屋敷「ヒカリエ・オブ・ザ・リビング・デッド」のワークショップなのです。
まず五味さんからこのゲームのルール説明がありました。
以下、ゲームの説明を多少の省略を交えつつお伝えします。

東京はゾンビに支配されてしまいました。もうじきゾンビはここにやってくるでしょう。しかし私たちはこの教室のなかから決して外に出てはいけません。この教室内でゾンビに捕まらないよう逃げなくてはならないのです。
しかし逃げる際には以下のようなルールがあります。


  • 1.歩く速度は決まっています。
     私たちはスピーカーから流れる心臓の鼓動のリズム通りにしか歩くことは出来ません。

  • 2.どこかのタイミングで頭上にある3色のランプのうちいずれかひとつが点灯します。
     ランプが点灯している間、そのランプと同じ色のイスに座れば、ゾンビは襲ってきません。

  • 3.ゾンビに捕まってしまったひとはゾンビになってしまいます。
     教室脇の係員のところまで行きゾンビになって下さい。



説明が終わると、早速ゲームがスタートしました。 みなさん始めのうちは若干の気恥ずかしさもあるのか、ざわざわとする程度だったのですが、ゾンビが教室内に入ってきた途端に大パニック!蜘蛛の子を散らすように皆さん本気で逃げまどい、必死にイスを奪い合っていました。私は教室の端からみていたのですが、確かにこれは怖いです。ゾンビの動きがあまりにもリアルでグロテスクで、スタッフだから襲われないとわかっていながらもつい避けてしまいました。
そして、なによりも怖さを助長するのは移動速度を制限されているということ。
移動制限という負荷がかけられることで、簡単に逃げることが出来なくなり、皆真剣に逃げるようになるからこそ怖さが倍増しているようでした。このゲームは全部で2回行ったのですが、皆さん大盛況ならぬ大盛恐のようでした。


◆お化け屋敷から考えるもう一つのホスピタリティ


おもてなしとは、普通相手の負荷を減らすことを指します。しかしお化け屋敷のおもてなしはそれのまさに逆。相手に負荷をかけることで相手をもてなします。
私たちは普段お客さんにおもてなしをするとなると、どうしても負荷を出来るだけ減らしてあげようと考えてしまいます。しかし相手に負荷をほどよくかけてあげて、その負荷を楽しんでもらうことも、ひとつのおもてなしなのではないでしょうか。
わたしはこのお化け屋敷の授業を通して、ホスピタリティのもうひとつの方法を知ることが出来ました。



【授業レポート:ボランティアスタッフ小野寺さんの視点】


楽しい非日常空間である遊園地の中で、そこだけ異彩を放つお化け屋敷。
肝を冷やす、おそろしい思いをするとわかっていながら、なぜ人はそこに入って行くのでしょう。

今回は、お化け屋敷プロデューサーである五味弘文さんのお話をうかがいました。
お化け屋敷を何度か体験したら、慣れでそんなに怖くなくなるだろうと思っても、やはり毎回恐ろしくてたまらないもの。
それは、お化け屋敷が私たちの予想を超えて、どんどん進化しているからです。

五味さんは、お客さんが見るだけの「展示型」だった従来のお化け屋敷を、参加させる「劇場型」へと変化させました。
お客さんに赤ちゃんを預けたり、手錠などで拘束して自由を奪ったのです。
自分が実際に関わると、恐怖感はいやおうなく高まるもの。
恐ろしさをひしひしと肌で感じるようになります。

誰だって怖い思いはしたくなく、ネガティブ体験は避けて通りたいもの。
それでもなぜか気になってしまう、「怖いもの見たさ」の好奇心も抱えています。
そこから一歩進んで、「見る」だけでは終わらせずに「体験させる」ようになったところに、新しいお化け屋敷の形が見えます。

「100%フィクションだから問題ない」と安心しているお客さんでも、恐怖でいっぱいになると、そんな落ち着いた考えはどこかに飛んでしまうもの。
その緊迫した時間が去った後は、安心感とともにスッキリした爽快感も味わうため、「恐怖は楽しいものだ」と五味さんは語ります。
お化け屋敷は、恐怖で人をもてなす場所なのです。

後半は、参加者全員でゲームを行いました。
簡単なルールが説明されます。
ゾンビに捕まらないよう逃げること。会場内では走らず音楽に合わせて歩くこと。
ゾンビに捕まったら、自分もゾンビになって人を襲うこと。

歩き方の練習をしている時には、みんな冷静でだるそうでもありましたが、ゲーム開始とともに照明が落ち、地の割れるような音とともにゾンビが登場すると、場の空気は一変しました。
リアルなゾンビの動きに息をのみます。
この世のものとは思えない不気味なゾンビが、ぎこちない動きで近づいていくと、人々は必死に逃げ始めます。

じわじわと追い詰められ、恐怖感に耐えられなくなった人の金切り声や叫び声が、あちこちで上がります。
「こわい・・・こわい」「こないで・・・・っ!」
余裕のない人々の声。
さらに、恐ろしさが煽られます。

次第にゾンビの数が増えていくという新たな恐怖。
暗闇の中で、息詰まる攻防が繰り広げられました。

ゲームが終わっても、恐怖冷めやらぬ参加者たちは、呆然としていてすぐには現実に戻ってこれません。
ゾンビがいなくなり、明るくなった会場で、参加者同士で感想を述べ合ううちに、次第になごやかさが戻ってきました。
「まだ心臓のバクバクが止まらない」
「演出のすごさにのまれた」
「ゾンビが来るのが先にわかっていたら、怖くて申し込めなかったかも」
そんな感想が聞こえてきました。

ゾンビに追われるのは、すさまじい恐怖だったと語る参加者たち。
自分がゾンビ化して逃げまどう人を追うのは、楽しかったそうです。

たった10分間のゲームで、通常では得ることのない恐怖感を存分に味わうという、まさに、体験を通してカタルシスを得た状態でした。
日常に戻った参加者たちのほっとした笑顔は、とても自然な温かいもので、そこに五味さんが言われた「お化け屋敷は楽しいもので、怖いだけのものではない」という意味を見た気がしました。


(ボランティアスタッフ: 春日拓也・小野寺里香)