授業レポート
2007/3/30 UP
「日本の裏側で」
ホワイトバンド。あなたはファッションの一部として購入した人ですか。
この授業はそのホワイトバンドのキャンペーンを生み出した林 達雄氏の話。
授業が始まる前、生徒をはじめ、ボランティアスタッフにも林氏からホワイトバンドが全員にプレゼントされた。会場にはいると、モノクロ写真とメッセージがこめられたパネルたちが生徒を座席まで誘導する。アフリカの子供、デモ行進の姿…、世界の現状を訴えるようなモノクロ写真付のパネルは生徒の目をひきつけていた。やがて生徒で席が埋まって行き、授業開始の鐘がなるとスポットライトがあたったタワレコのステージに林氏が登場した。
ゆったりとした口調で林氏は語り始め、授業がはじまった。パワーポイントにまとめた資料をスライドにうつし、彼が何者で何をしてきてなぜホワイトバンドキャンペーンをしようと思ったのかが伝えられていく。
彼は医師だった。25年前アフリカの貧しい現状を救うべく、海外救援活動としてアフリカへ渡ったそうだ。いまではNGOはある程度認知され活動も大きくなっているが、当時の状況は、ただでさえ食糧難のアフリカで現地の人から食料を分けてもらうほど設備も規模も小さかったそうだ。その状況で彼らが見たものは「エイズ」に苦しむ人々だった
貧困が生む悲劇。それがエイズともいえる。生き延びるための薬が貧しさ故に買えない。世界で技術は進化するのに、いま自分がいるアフリカにはない。くやしく、憤りを感じたという。初めてアフリカに渡って活動し、薬をわたせるまでに4年かかったそうだ。
ところで「貧困とは何か?」。林氏によると、世代を超えた問題であり、戦争や災害と比べて静かで「見えにくい問題」ということ。また、人の尊厳と人権が損なわれ、自分ひとりでは解決することのできない社会全体の問題であり、世界の問題でもあるという。(一部省略)
そして、林氏がアフリカでの活動を続けて実感したことがあるという。
それは「過去20年でアフリカはさらに貧しくなった」ということ。
お金の格差が命の格差をうむ。強いものがどんどん有利になる貿易と世界のルールができる。エイズは一部の国しか治療できない。いま、日本の暮らしに慣れている日本人にとって「貧困をなくすためにはどうすればいいのか」について、取り組める人は数少ない…。
そう考えながら林氏は25年間、エイズに感染した人々と時を共にしている。しかし意外だったことは感染した人たちは暗い顔をしていないということだった。彼らは歌い、踊りその時間を楽しんでいた。楽しく踊っていれば、エイズであることを忘れられるからだそうだ。彼らとの別れのとき「また会いましょう」と林氏は告げた。すると「いつ?」と彼ら。林氏「1年後かな」。「So far(1年後じゃおそいわ…)」と彼らは答え笑みが消えたという。事実、1年後その地を訪れると、そのときであった全員がなくなっていたそうだ。
この状況が今もアフリカでは続いている。エイズだけでなく、子供の売買も行われる現状があるという。ホワイトバンドはその状況を少しでも変えるための第一歩の活動だったのだ。日本人だれもが簡単に参加でき、かつエイズという重いテーマを感じることなく、参加できる「何か」として。「政治家や専門家は国の政治の中の法律でしか動けない。元首相の小泉さんにも直談判したこともある。けど変わらなかった。だから、私のような市民一人ひとりが声を上げ活動を続けなければ世論や社会は変わらない」。林氏がホワイトバンドを通じて、伝えたかったのはそれだった。
林氏は2008年に向け、またあらたなネットワークをつくる活動を考えているそうだ。エイズ・アフリカの現状・貧困。豊かな日本に暮らしているなかで我々はどう向き合えるだろうか。まずは、豊かさの追求の前に、貧困にならないこと、なったときの状況を考えることが「豊かさ」をかみ締めることができる気がする。どうだろうか。
現実に起きている問題を、身近なところから考えるきっかけをくれる場。それがシブヤ大学なんだとこの授業を通じて改めて感じた。継続的に、自分からはじめられること。エコだけでなく、さまざまな視点で世界の現状を再確認するのもその1つだろう。
(ボランティアスタッフ 鈴木高祥)
この授業はそのホワイトバンドのキャンペーンを生み出した林 達雄氏の話。
授業が始まる前、生徒をはじめ、ボランティアスタッフにも林氏からホワイトバンドが全員にプレゼントされた。会場にはいると、モノクロ写真とメッセージがこめられたパネルたちが生徒を座席まで誘導する。アフリカの子供、デモ行進の姿…、世界の現状を訴えるようなモノクロ写真付のパネルは生徒の目をひきつけていた。やがて生徒で席が埋まって行き、授業開始の鐘がなるとスポットライトがあたったタワレコのステージに林氏が登場した。
ゆったりとした口調で林氏は語り始め、授業がはじまった。パワーポイントにまとめた資料をスライドにうつし、彼が何者で何をしてきてなぜホワイトバンドキャンペーンをしようと思ったのかが伝えられていく。
彼は医師だった。25年前アフリカの貧しい現状を救うべく、海外救援活動としてアフリカへ渡ったそうだ。いまではNGOはある程度認知され活動も大きくなっているが、当時の状況は、ただでさえ食糧難のアフリカで現地の人から食料を分けてもらうほど設備も規模も小さかったそうだ。その状況で彼らが見たものは「エイズ」に苦しむ人々だった
貧困が生む悲劇。それがエイズともいえる。生き延びるための薬が貧しさ故に買えない。世界で技術は進化するのに、いま自分がいるアフリカにはない。くやしく、憤りを感じたという。初めてアフリカに渡って活動し、薬をわたせるまでに4年かかったそうだ。
ところで「貧困とは何か?」。林氏によると、世代を超えた問題であり、戦争や災害と比べて静かで「見えにくい問題」ということ。また、人の尊厳と人権が損なわれ、自分ひとりでは解決することのできない社会全体の問題であり、世界の問題でもあるという。(一部省略)
そして、林氏がアフリカでの活動を続けて実感したことがあるという。
それは「過去20年でアフリカはさらに貧しくなった」ということ。
お金の格差が命の格差をうむ。強いものがどんどん有利になる貿易と世界のルールができる。エイズは一部の国しか治療できない。いま、日本の暮らしに慣れている日本人にとって「貧困をなくすためにはどうすればいいのか」について、取り組める人は数少ない…。
そう考えながら林氏は25年間、エイズに感染した人々と時を共にしている。しかし意外だったことは感染した人たちは暗い顔をしていないということだった。彼らは歌い、踊りその時間を楽しんでいた。楽しく踊っていれば、エイズであることを忘れられるからだそうだ。彼らとの別れのとき「また会いましょう」と林氏は告げた。すると「いつ?」と彼ら。林氏「1年後かな」。「So far(1年後じゃおそいわ…)」と彼らは答え笑みが消えたという。事実、1年後その地を訪れると、そのときであった全員がなくなっていたそうだ。
この状況が今もアフリカでは続いている。エイズだけでなく、子供の売買も行われる現状があるという。ホワイトバンドはその状況を少しでも変えるための第一歩の活動だったのだ。日本人だれもが簡単に参加でき、かつエイズという重いテーマを感じることなく、参加できる「何か」として。「政治家や専門家は国の政治の中の法律でしか動けない。元首相の小泉さんにも直談判したこともある。けど変わらなかった。だから、私のような市民一人ひとりが声を上げ活動を続けなければ世論や社会は変わらない」。林氏がホワイトバンドを通じて、伝えたかったのはそれだった。
林氏は2008年に向け、またあらたなネットワークをつくる活動を考えているそうだ。エイズ・アフリカの現状・貧困。豊かな日本に暮らしているなかで我々はどう向き合えるだろうか。まずは、豊かさの追求の前に、貧困にならないこと、なったときの状況を考えることが「豊かさ」をかみ締めることができる気がする。どうだろうか。
現実に起きている問題を、身近なところから考えるきっかけをくれる場。それがシブヤ大学なんだとこの授業を通じて改めて感じた。継続的に、自分からはじめられること。エコだけでなく、さまざまな視点で世界の現状を再確認するのもその1つだろう。
(ボランティアスタッフ 鈴木高祥)