シブヤ大学

授業レポート

2008/3/27 UP

          

15回目を迎えた「やきもの観賞入門編」。今回は前回に引続き「鍋島焼」についての授業ですが、今回のテーマは「技」。

そもそも鍋島焼とは、江戸時代に当時の最高の技術と素材を用いて作られた幕府江の献上品、つまり「至高の磁器」を意味します。幕府に献上されるものだけあって非常に価値が高く、当時の庶民はもちろん、現代でも目にする機会は少ないといわれています。

そんな鍋島焼に用いられる職人の巧みな技術やこだわりを、鍋島焼以前に作られた伊万里焼との比較、時代背景などを追いかけながら、江戸時代にタイムスリップしたかのような授業が始まりました。

まずは17世紀後半に作られ始めた鍋島焼と、近い時期に流行した伊万里焼との比較をしながら技術の特徴の説明へ。
金や銀などを中心とした華やかな色使いを好む伊万里焼に対して、鍋島焼はある程度色のルールが敷かれており、染付けの青、上絵の赤・緑・黄色で描かれていくのが基本の色使いになっています。さらには染付けの作業を必ず行い、下絵をすることや、サイズに関しても五寸(約15㎝)、七寸(約21cm)、尺(約30㎝)といったように大きさに関しても基準をもうけ、形は高台の高い木盃形(よく相撲中継で横綱が飲む盃のような形)をしています。

こんなにも限られた条件を選んで作られるのはなぜなのでしょうか。
鍋島焼は佐賀県伊万里市の「大川内山」にルーツを持ち、当時の幕府に献上する品物の中から生み出されたものだということが分かっています。
当時、中国に近いこともあり、鍋島藩は中国産の陶磁器などを輸入し、殿様に献上していました。しかし、1645年ごろから中国が明から清へと国の政権が移行し、それと同時に日本でも鎖国が始まり物資の輸送が困難になったことから、独自の技法を編み出す状況に追いやられた事が原因となっています。
現に鍋島焼の中には中国の絵画や陶器に似たイメージがありますが、すべて国産であり、日本の山奥の景色を忠実に再現、焼き物の製作に関しても、情報や技術が外部に漏れないようにと山奥という限られた地域の中で、ごく少数の職人でしか体得することができない高い技術を継承していった事が分かりました。

鍋島焼は磁器で出来ており、ろくろで決められた形を作り、型にはめて寸分の狂いのないように調整、磁器を乾かし(素焼き)、染付(下絵付)を行い上薬を塗っていくという工程を踏んで作られていきます。

染付にも様々な技法が存在しており、波の模様や葉の細部までの輪郭を引き、上から色を塗りつぶして模様をだす「濃み(ダミ)」という技法や、「墨弾き(すみはじき)」といい、白く抜くところ(つまり染めないところ)を墨で描き、上からダミ染めて素焼きし、墨の部分が飛んで余白となりこまかい地文様を描くことができる技などがあります。

実際に鍋島焼を見て感じることですが、一つ一つの磁器が寸分の狂いもないようなラインや文様、器の形を見ることによって、現在の文明なしでのこの正確さを保つ事ができる当時の職人の「技術」の高さを参加した生徒は感じる事ができたでしょう。

磁器の模様に関しては派手な柄よりも、季節にまつわる花や草木や、川の流れ、波の動き聳え立つ山並みといった、自然的で風流なものが多く、なおかつ円形の中にらせん状や曲線状の形やわざと白い余白を用いて「空間を愉しむ」といったこだわりも感じさせられ、鍋島焼のすべてが1枚の絵画のように表現され、決められた枠のなかで作品を仕上げる巧な技が際立っていました。

江戸時代の職人の「技」を実際に観賞しながら学ぶことができ、授業中も磁器に吸い寄せられるように見入る生徒さんもいて、独特の世界観、技術の高さに圧倒された1時間半になりました。

(ボランティアスタッフ 福嶋努)