授業レポート
2023/5/18 UP
死のワークショップ 「死について知ろう」
2,610人。この数字を見て何か思いあたるだろうか。
2022年の交通事故死者数である。(警察庁が発表している数字)
交通事故で亡くなった人は、おそらく死ぬとき自分が今日、今、死ぬなどと思わずに死んだと思われる。
人間は、有限な存在である。死は等しく誰にでも訪れる。人生をよりよく生きるためにはこのことをしっかり認識したうえで生きることが大切なのだ。「自分らしく生きる」ということが生きることの究極の目標であり、そのためには、自分から積極的に死についても考えなくてはだめなのだ。
人間の有限性と死については、本来こどものころに身近な家族の「死」という”リアル”な体験を通して学んでいくものであった。しかし、それを体験しにくくなってしまっている現代社会では、多感な思春期に学校などで考えさせるべきなのであろうが現代では大学に入るための勉強や教える側の問題、教わる側の問題等があってうまく行われていないのかもしれない。
「死について知ろう」という本講座に積極的に参加された今日の皆さんは、死について何らかの個人的経験をされたであろう方々であり、死を考えてみようという知的なアプローチができる方々だったと思う。
本日の「死について知ろう」は死に関係する機会の少ない若い人たちにもぜひ参加して欲しいと思った。
本講座のコーディネーターの柴田さん。
名前から『父は「恭兵」』
顔立ちから『兄は「一生」』
と言われたら誰もが「やっぱり!」と思ってしまいそうなくらいのイケメンである。
講師の市川さん。
写真には肩書が“葬儀屋”とある。”葬儀屋”というと映画「おみおくりの作法」の俳優エディ・マーサンを想像してしまうのだが、実物の市川さんは身長194㎝の長身でバスケットボールの選手のようだ。こんなかっこいい葬儀屋だったら「おみおくり」を任せてもいいかななどと思ってしまう。
現在は上智大学の大学院で死生学を専門に勉強されている。
第一部
❝死ってなんだ?❞
このテーマをもとに「死」の捉え方を柴田さんが今までに集めたデータを紹介しながら参加者各自に言葉で表現してもらった。それをまとめフィードバックする。
回答は、似ているものはあるが全く同じものはない。
「死」の捉え方はとても観念的なものであることがわかる。他の人が「死」をどう捉えているかをこのような形で感じる体験は今までなかったので新鮮に感じた。
第二部
「死」の死生学的アプローチ
死生学は、「死」に焦点を当てて「生」を捉える学問だそうです。
市川さんが「死」の捉えられ方についての概要、歴史的変遷について講義する。
フランスの哲学者ジャンケレヴィッチの「死の人称性」の説明、歴史家フィリップ・アリエスの死の時代的変遷の説明や中世の教会を中心とした墓場=死のある所の説明が私の知的好奇心をくすぐる。個人的にはここをもっと聞きた~い!と思ってしまった。
第三部
その1
「死ぬまでにやりたい10のこと」
死を意識したときに「自分は本当は何がしたいのだろう」それを改めて問い直し今後のより良い生き方へ反映できるようにする。まず「死ぬまでにやりたいこと」を10リストアップしてみる。
これは発表形式ではなく自分自身のものとして原則非公開のものとして行われた。ただ、公開してもいいですよという方の内容を公開してもらった。おそらく、これも各人各様で全く同じものはなかっただろうと思われる。
その2
「最期の手紙」・・・自分と向き合おう.
与えられた9つの質問リストから2つ選んで、最期の手紙を書こうというワーク。手紙を書く対象は誰でもよい。自分宛でもよいというものだった。昨今、手で手紙を書くという機会はめっきり減ってきており、手紙を書くという行為が皆さん新鮮だったようで黙々と書いておられた。
これも原則非公開として行われ、公開してもよいという方の手紙を読上げてもらった。みんなでそれを傾聴し本日のまとめとなった気がした。
「死について知ろう」を体験してみて
今回のこの講座で「死」のことがどれだけ「知れた」かは、正直何とも言えない。ただ、このような講座を継続的に設けてより多くの人が参加したいと思える魅力的なものを提供できれば、残念な「自殺」は減るだろうと思えた。なぜなら、講座に来れば人と関わるからである。いろいろな人と関われなくなって一面性しか見られない狭い視野になってしまったときに自殺の方向へ向かってしまうからだ。いろいろな人がいていろいろな意見があって絶対の正解なんてなく、自分は自分ということがしっかり認識できれば悲劇は減る。
そのためにもこのような機会を、特に若い人たちに向けて提示していくことが重要だと思った。
(レポート:高野好正、写真:菅井玲奈)
2022年の交通事故死者数である。(警察庁が発表している数字)
交通事故で亡くなった人は、おそらく死ぬとき自分が今日、今、死ぬなどと思わずに死んだと思われる。
人間は、有限な存在である。死は等しく誰にでも訪れる。人生をよりよく生きるためにはこのことをしっかり認識したうえで生きることが大切なのだ。「自分らしく生きる」ということが生きることの究極の目標であり、そのためには、自分から積極的に死についても考えなくてはだめなのだ。
人間の有限性と死については、本来こどものころに身近な家族の「死」という”リアル”な体験を通して学んでいくものであった。しかし、それを体験しにくくなってしまっている現代社会では、多感な思春期に学校などで考えさせるべきなのであろうが現代では大学に入るための勉強や教える側の問題、教わる側の問題等があってうまく行われていないのかもしれない。
「死について知ろう」という本講座に積極的に参加された今日の皆さんは、死について何らかの個人的経験をされたであろう方々であり、死を考えてみようという知的なアプローチができる方々だったと思う。
本日の「死について知ろう」は死に関係する機会の少ない若い人たちにもぜひ参加して欲しいと思った。
本講座のコーディネーターの柴田さん。
名前から『父は「恭兵」』
顔立ちから『兄は「一生」』
と言われたら誰もが「やっぱり!」と思ってしまいそうなくらいのイケメンである。
講師の市川さん。
写真には肩書が“葬儀屋”とある。”葬儀屋”というと映画「おみおくりの作法」の俳優エディ・マーサンを想像してしまうのだが、実物の市川さんは身長194㎝の長身でバスケットボールの選手のようだ。こんなかっこいい葬儀屋だったら「おみおくり」を任せてもいいかななどと思ってしまう。
現在は上智大学の大学院で死生学を専門に勉強されている。
第一部
❝死ってなんだ?❞
このテーマをもとに「死」の捉え方を柴田さんが今までに集めたデータを紹介しながら参加者各自に言葉で表現してもらった。それをまとめフィードバックする。
回答は、似ているものはあるが全く同じものはない。
「死」の捉え方はとても観念的なものであることがわかる。他の人が「死」をどう捉えているかをこのような形で感じる体験は今までなかったので新鮮に感じた。
第二部
「死」の死生学的アプローチ
死生学は、「死」に焦点を当てて「生」を捉える学問だそうです。
市川さんが「死」の捉えられ方についての概要、歴史的変遷について講義する。
フランスの哲学者ジャンケレヴィッチの「死の人称性」の説明、歴史家フィリップ・アリエスの死の時代的変遷の説明や中世の教会を中心とした墓場=死のある所の説明が私の知的好奇心をくすぐる。個人的にはここをもっと聞きた~い!と思ってしまった。
第三部
その1
「死ぬまでにやりたい10のこと」
死を意識したときに「自分は本当は何がしたいのだろう」それを改めて問い直し今後のより良い生き方へ反映できるようにする。まず「死ぬまでにやりたいこと」を10リストアップしてみる。
これは発表形式ではなく自分自身のものとして原則非公開のものとして行われた。ただ、公開してもいいですよという方の内容を公開してもらった。おそらく、これも各人各様で全く同じものはなかっただろうと思われる。
その2
「最期の手紙」・・・自分と向き合おう.
与えられた9つの質問リストから2つ選んで、最期の手紙を書こうというワーク。手紙を書く対象は誰でもよい。自分宛でもよいというものだった。昨今、手で手紙を書くという機会はめっきり減ってきており、手紙を書くという行為が皆さん新鮮だったようで黙々と書いておられた。
これも原則非公開として行われ、公開してもよいという方の手紙を読上げてもらった。みんなでそれを傾聴し本日のまとめとなった気がした。
「死について知ろう」を体験してみて
今回のこの講座で「死」のことがどれだけ「知れた」かは、正直何とも言えない。ただ、このような講座を継続的に設けてより多くの人が参加したいと思える魅力的なものを提供できれば、残念な「自殺」は減るだろうと思えた。なぜなら、講座に来れば人と関わるからである。いろいろな人と関われなくなって一面性しか見られない狭い視野になってしまったときに自殺の方向へ向かってしまうからだ。いろいろな人がいていろいろな意見があって絶対の正解なんてなく、自分は自分ということがしっかり認識できれば悲劇は減る。
そのためにもこのような機会を、特に若い人たちに向けて提示していくことが重要だと思った。
(レポート:高野好正、写真:菅井玲奈)