シブヤ大学

授業レポート

2007/11/9 UP

「色あざやかな世界」

●第一部 ~ 思考停止しないために、まず「わたし」という世界の曖昧さを自覚する ~
「あなたは本当に知っていますか?本当に見えていますか?」
日常の中に様々なカタチで存在している情報を、わたしたちはきちんと認識しているでしょうか。
例えば、日本語。普段の生活の中で当たり前に使っている日本語という言葉。改めてその意味を問われると説明に困ってしまいます。日本語には明確な定義がありません。普遍的に思える「日本語」も、実は曖昧な情報です。
また、一見確かだと思える「見る」ということ。しかし、見たことで得た感覚からの情報は、物事に対しての「思い込み」によって遮られてしまいます。わたしたちの脳は、過去の経験や先入観によって世界を「見ている」と思い込み、その映像を勝手につくっていってしまいます。
わたしたちが「知っている」、「見ている」ことは実はとても曖昧で、そんな中でうみだされる情報も不確かで変化していくものなのです。

●第二部 ~ 思考停止にならないために必要なメディアリテラシー ~
人々の行けないところ、わからないことを代わりに取材するメディア。わたしたちの生活の中に当たり前にある「テレビ」に求められるのは何よりもわかりやすさ。それは、老若男女、より多くの人に伝わる「わかりやすさ」がないと、視聴率をとることができないからです。視聴率という縛りのために、メディアは人が求める情報を、選んで提供するようになります。

第二部の特別ゲストの森達也さんが繰り返しおっしゃっていたのが「人はわからないことが一番こわい」という言葉。 人はわからなくてこわいものに対し、自分と違うのだと思い安心したい生き物。森さんは、オウム真理教信者のドキュメンタリーの取材をされた中で、世間に「オウムの信者は洗脳された凶悪な集団」という先入観があり、またそうであって欲しいという期待があったのを感じたと言います。
わからないものをわかりやすく、簡潔に知りたい。しかし、自分が理解できないもの、期待しているものに反するものは受け入れたくない。人の恐怖や不安はどこまで行っても消えることはありません。メディアはそこに乗じて煽ります。メディアからのいき過ぎた情報という刺激に人々は慣れ、更に刺激を求める…。

メディアから与えられた情報を、何も考えずに鵜呑みにする。それが「思考停止」の状態です。情報になんの疑問も持たず、ただ受け取っていると、わたしたちの思考は簡単に誘導されてしまいます。それが一方向に行き過ぎてしまうことが危険。そうならないためにメディアからの情報を見極め、取捨選択する「メディアリテラシー」が必要なのです。

●第三部 ~ 思考停止しないために大切なこと ~
わたしたちが普遍的だと思っている情報はとても曖昧で、同じものを見ても、捉える世界はそれぞれ異なっています。物事に対しての「前提」が違っている人間同士のコミュニケーションである「メディア」に、絶対はありません。メディアという媒体は、異なる前提を持った「誰か」の主観によって編集されているもの。
「誰か」が見た世界は言葉や数値、映像、音などを用いてつくりだされ、わたしたちの元に届いているのです。

新聞の見出し、写真、グラフ、アンケート。テレビの映像、音楽…。
これらは、時間、空間という世界の一部を切り取ったもの。メディアで表現されるものは「誰か」の視点であり、「人」が主観で編集しているものに、完全な公正、中立は存在し得ません。
しかし、それは悪いことではなく、自分が感じたものの、表現を選ぶという行為が色んな人の中で積み重ねられ出来上がったものがメディアなのです。「企業や世論、視聴率に左右されず、表現する人が現場で感じたものを裏切らないことが大事」だと、森さんはおっしゃっていました。

生徒さんたちにあらかじめ答えてもらっていた「“あなた自身の先入観かもしれない”と思うことを教えて下さい、という今回のゼミナールの宿題の回答は『人』を規定するものが多かった。」とGENERATION TIMESの伊藤編集長。
自分と人の違いを発見するのは、きっと楽しい。

わたしたち人間は、人と人の間で生きています。人との「間」に存在するメディアの情報は「誰か」のひとつの視点。その視点を少し変えるだけで、世界は無限にカタチを変えるものです。大切なのは、欠けていたり足りていなかったりする、見えない「間」を想像すること…。

「虹は何色ですか?」
見上げた虹の色が、全く同じ色に見える人なんてきっと世界中どこを探してもいないはず。
「あなた」と「わたし」という世界は今も、これからも変化し、違い続ける。
隣にいる人、まだ出逢ったことのない「あなた」が、この虹をどう見て、何を感じているか。想いをめぐらせ、その違いや変わっていくことを楽しむとき、こう思うのではないでしょうか。

世界は違いに溢れている。
だからこそ面白くて、
そして、愛しいのだと。

(ボランティアスタッフ 中里希)