シブヤ大学

授業レポート

2015/10/26 UP

<時代QUEST>
本当の「戦争と平和」の話をしよう

【私の「まなび」】
・未来の世代のためにも今、意思決定できる私たちがこれからの方向性についてしっかり考え決断していかなければならない。
・国の決定権を担う権力者を含め私たちは敗北や多くの犠牲がある戦いをしっかり戦争のイメージとしておくこと。
・正しい反戦活動をするには過去ではなく“現代”の正しい戦争のイメージを持つこと。
・今後は益々、「対国家同士の戦い」ではなく「テロとの戦い」が起こりうる中でより実践的な対策を考えることが重要。




【先生の「ことば」】
・「若者は常に遅れてくる世代だ。あの太平洋戦争で犠牲になったのはほとんどが開戦当時、意思決定権を持たなかった若い世代であった。」
・「“平和”とは、自国の敗北の歴史を自由に学ぶ時間があるということ。」
・「平和という抽象的な言葉に対して、それを実現するのであれば正しい反戦活動をしなければならない。」
・「今後、国vs国という戦いの形態はもう古く、世界の戦争の9割がテロとの戦いになるだろう。」



【授業レポート】
~イントロダクション~

皆さん、「戦争」と聞いてイメージするものはなんですか?
また、「平和」と聞いてイメージするものはなんでしょう?


多くの人が「戦争」と聞いた時にはすぐに武器や兵士の姿など、具体的なイメージを思い浮かべたと思いますが、「平和」の方は何か、もわっとした抽象的な様子しかでてこなかったのではないでしょうか?
多くの人がそうであるように、平和を望むはずなのになかなか「共通イメージ」を持つことは難しい。そうであるがゆえに実現が難しいのではないでしょうか。


現状、平和を訴える言葉としてよく使われているのが「no war」「反戦」で、もちろん「戦争に反対する」という意味です。
では、私たちが思う「戦争」のイメージは本当に正しいのでしょうか?
多くの日本人が戦争と聞くと「太平洋戦争」を思い浮かべるのではないかと思いますが、現代の戦争の形態も70年以上前と同じなのでしょうか?


そんな問題提起から今回の授業はスタートしました。


~第1部「あの戦争」をアップデートする~ 
対談:伊藤剛氏×加藤陽子氏


第1部は日本近現代史の専門家・加藤陽子氏をゲストスピーカーに「過去の戦争の新しい戦争観」についてお聞きしました。


アップデート① 数値から見るあの戦争


太平洋戦争で亡くなった犠牲者の数は310万人と公表されていますが、それってどれくらいの規模感だったか正しく理解できているでしょうか?
当時の人口は今の約半数の6000万人だったと言われています。つまり20人に1人が犠牲になっており、約7割の方が身内に犠牲者が出たというような規模感になります。

また、戦死者の9割が終戦間近の1年半の間に亡くなったとのことで、冒頭でも記した通りほとんどが開戦当時、意思決定権を持たなかった若い世代でした。
当時の国の決断がどれだけの国民を犠牲にしたのか、改めて考えさせられます。




アップデート② 政治と社会の雰囲気
当時の民衆はどのようにして戦争の道を突き進んでいったのでしょうか?
軍部はどのようにして若者を軍に招致したのでしょうか?


なんとなく私たちの頭の中では、“ある日突然、家に赤紙が届いてやむなしに家族と泣く泣く別れて軍地へと送られていった”というような軍の力技的なイメージがあります。
しかし実際は、軍はかなり戦略的に広告やメディアを利用し、ターゲットを的確にうまく絞ったリクルーティングを行っていた側面もあったようです。

例えば当時の軍部の勧誘のチラシを見ると、人気マンガ家や一級のデザイナーが作成していたといいますから、さぞ面白くかっこいいデザインに多くの若者たちが軍の腕力なしに引き寄せられていったのでしょう。


また、世論はどうだったのでしょうか?


私たちの既存のイメージだと、国民は貧しい生活を強いられ反戦の声を訴えようにも国や天皇陛下に逆らうようなことは決して口にはできない。そんな様子を思い浮かべます。


ですが、戦争終盤では国の指導者が止めたくてもとめられないほど、世論は戦争に対して士気が盛り上がっていた、という事実が当時のさまざまな人物の手記から窺い知ることができるそうです。
まさか戦争があそこまでひどくなるとは、その当時の国民も思ってもなかったかもしれませんが、正しい判断ができず、多くの人が世の中の雰囲気に飲まれて行動してしまったことがあの時代から学ぶべき反省点だと感じます。


果たして現代の私たちは正しい情報をもとに適切な判断ができているのでしょうか?
過去と同じ行動を繰り返していないでしょうか?



アップデート③ 戦争と平和の「境界線」


冒頭で戦争のイメージについて考えましたが、それは誰しもが持っているものであり、無論戦争を主導する国の指導者も独自の戦争観を持っています。
特に権力者は過去の戦いから敗北よりも勝利のイメージを取捨し、「戦い=勝利」といったイメージが先行しているのではないでしょうか。

実際に、真珠湾攻撃の作戦計画を海軍側が昭和天皇に上奏する際には、『桶狭間の戦い』を例に引き、奇襲作戦の有効性を説いていたとのことです。


また、長野県旧河野村村長が戦後にこんな言葉を残しました。

「炬燵で林房雄の『青年』を漸く読了。此の如き書が日本人総てに良く読まれていたならば、今回の如き大不祥事は惹起されなかったろうと。何故に過去の日本は自国の敗けた歴史を真実のまゝに伝える事を為さなかったのか」


この村長さんの手記を受けて、加藤先生が「自国の敗北の歴史を自由に学ぶ時間があることが平和ということなのだ。」とおっしゃっていたのが非常に印象的でした。


 戦争を正しく伝えること、理解することがあってこその平和の実現なのだと改めて感じさせられました。


 


~第2部「現代の戦争」をアップデートする~
対談:伊藤剛氏×伊勢治氏


第2部ではアフガニスタン等の実際の紛争現場で「武装解除」を手がけてきた伊勢﨑賢治氏に現代の紛争のリアルについてお聞きしました。

アップデート④ 武装解除による平和


戦争=悪、平和=善。


それは日本人の誰もが理解していることだと思いますが、では実際には一体どうやって戦争が続く社会を平和な状態に戻すのでしょうか?


そのための一つの手段として『DDR』と呼ばれる武装解除のプログラムが存在します。
武装解除とは、紛争が長引く地域に国連PKO部隊が介入し、長期的な停戦合意を促しつつ最終的に武器を置いてもらい、武装勢力を解散させて、戦後の社会に統合させていくプログラムのことです。


武装解除で欠かせないのが「利害調整」です。実際の紛争現場では、「平和の理念」を説き、それに納得するから武器を置くわけではなく、人を殺した自分の罪を訴追されないことが確約され、また何かしら今よりも状況が良くなる環境を提示されることで紛争をやめるのだそうです。シエラレオネの内戦のように、たとえ50万人以上の虐殺を引き起こした武装勢力のリーダーでも新しい政権の閣僚になることもあります。


つまり、「正義」に目をつぶることで「平和」を作り上げる現実があるということです。けれど、武力による武装解除、武力組織のリーダーによる統治国家、果たしてこれが本当の平和と言えるのでしょうか? 


一方で、これ以外に平和をもたらす有効な手段はあるのでしょうか?




アップデート⑤ 現代の戦争形態


私たちの生活はインターネットやスマートフォンなどITの技術発展によって格段と便利になりました。これほどまでに科学技術が進歩した世の中で、「戦争の形態」が変化していないわけがありません。

<民間傭兵会社>
国家同士の軍隊の争いというのはもう古くなってしまいました。今はアメリカ資本の民間に雇われたアフリカ人やアメリカ人などの傭兵が中東で自分の国とは一切関係がなくても戦っています。そのため、現状では彼らを裁く法律がない(軍法では裁けない)という難しい課題に直面しています。


<サイバーテロ>
最近、何かと話題のドローンですが、これはもともと軍事技術を民間化したものです。一般の人でも手に入れられるようになったことで、爆薬を装着して政府機関を攻撃するといった事件も起こり始めました。今や軍隊を使った武力行使をせずとも、一国を危機に陥れることも可能な時代と言えます。


また、防犯カメラの技術を活用して特定の人間のみを追う追跡技術の研究も行われています。これらはそもそも「暮らしを安全にする」という防犯の有効性があるために、「兵器」としての規制は難しいとされています。


<ロボット兵器>
その防犯カメラの技術を用いた人物認証や、熱反応により「武器を所持する人間かどうか」を特定できる技術を備えたロボット兵器AWS(Autonomous Weapons System)もすでに開発されています。


このように、いつまでも太平洋戦争を語り継ぐ際に頻繁に登場する「竹やり」や「焼夷弾」のような古いイメージのままでは、本当に現代の実状に合った反戦活動にはならないのではないでしょうか。




~第3部 これからの戦争と平和の問いを考える~
対談:伊藤剛氏×加藤陽子氏×伊勢賢治氏


アップデート⑥ 正義=平和?


昔よく少年漫画で読んだストーリは正義が悪を倒し平和を勝ち取るというものでした。
それによって「正義=平和」というイメージを持っている人もいるかもしれません。
果たして現実世界でも両者はイコールの関係なのでしょうか?


紛争問題の中で「正義」とは「人権」、また「平和」とは「政治的な安定」とも置き換えられます。
例えば、アラブ諸国で起きたアラブの春ではこれまで軍事政権によって弾圧されていた民衆が人権(正義)を訴えて、それまで政治的に安定していた状態(平和)が崩壊しました。


一方、シリアにおいては、アサド政権による不正義はあったものの、それにより「ある程度の安定」は保たれていました。
すなわち、正義を主張したがゆえに平和な状態ではなくなる、または平和のための不正義ということもありえるのです。





アップデート⑦ テロとの戦い


今後、世界の戦争の9割が国家同士ではなくテロとの戦いになっていくと伊勢﨑さんも加藤さんもおっしゃっていました。


国家同士の戦争という非常に分かりやすい構造の日米戦争を経験した日本とアメリカは、現代の9割を占める小国同士の動乱やテロに対する戦いには非常に経験値が浅いという課題を持っています。
中国を仮想敵国としている日本ですが、中国は常任理事国であり、対テロ戦においてはアメリカは中国と連携を始めているとも伊勢﨑さんがおっしゃっています。


今後、テロとの戦いにおいて世界は旧冷戦構造のような対立構造ではなくどの国家も協力していかなければいけない状況下で、日本はどのような役割を果たしていくべきなのでしょうか?


非常に盛りだくさんの内容で初めて知ったことも多い授業でしたが、非常に今後の世界を考える上では有意義な時間でした。どんな社会を望むにせよ、まずは現状をしっかりと見極めることが何よりも大事だということを一番に学んだ授業でした。


(レポート:加藤白峰/写真:吉川真以)