シブヤ大学

授業レポート

2007/5/15 UP

「ちょっと何かを想像して」

「最近寒かったり、暑かったりするじゃないですか。この間、車の窓を開けたら寒くて、すぐさま閉めたんだ。こんな時期なのに暖房をつけたよ。設定温度は28℃を指していた。思わず、『あれ、これって何かな』って思ってシャッターを切ったんだ」写真家の佐内先生は、そんなことを授業のはじめに語った。
今回のCC(コミュニケーション・クリエイティブ)学科の授業は、写真家の佐内先生と箭内先生の2人の先生による授業。2人は富士フィルムの「Photo is・・・」のCMを作っているチームの仲間でもある。先生2人の会話を中心に、「写真」というメディアを介したコミュニケーションのオモシロさを考えていく授業だ。

「写真を撮るというのは心のシャッターを押すことだ」と佐内先生は言う。「昨日まで生きてきた過去に何かがひっかかっているとか、自分の過去にそういった経験があったのではないかとか、そんな瞬間にシャッターを押してしまう。シャッターを押す瞬間は過去に束縛されながらも、未来への予感めいたものを感じている瞬間なんじゃないかなと思う」写真は瞬間を切り取った刹那的なものだからこそ、その瞬間には何か“予感”を感じているのだという。

『ロマンティック』という佐内先生の写真集の話になる。この写真集は佐内先生と被写体が1対1という状況で撮った写真が多いという。掲載されている写真は、佐内先生と被写体の関係性の中でとられた写真だ。恋人同士、家族、何人かの友達、広告の写真を撮る仕事場、写真は被写体とカメラマンの関係性の中で撮られていく。逆に言うと、写真にはカメラマンから見た被写体と自分の関係性が写っているとも言えるのだろう。だから、恋人や好きな人を撮った写真を他人に見られるというのは、ラブレターを他人に見られるような恥ずかしさがあるのかもしれない。

途中から授業は参加者(やシブ大のボランティアスタッフ)を1名ずつトークの仲間に加えて進む。「ちょっと間違えば、撮っている写真だって、ただの変態や色男だと見られかねないのに、佐内君にはそうは思わせない何かがあるよね」と箭内先生は言う。また、こんなことも箭内先生は言っていた「政治家と違って、全て(の瞬間)を『こうでも良いのだ』と肯定して残す(記録する)のが写真なのだと思う」。
「佐内さんとしゃべると、よくわからないけど、本当のことを喋りたくなるような気がする」トークに参加したある女性が言った。その言葉に、会場の参加者は皆首を頷かせる。写真が全て(の瞬間)を肯定して残すという役割を持つのと同様に、写真家である佐内先生にはどこか私達の全てを肯定してくれそうな暖かさを感じるのだ。

「写真」というメディアを介したコミュニケーションのオモシロさを学んだ授業は、佐内先生と箭内先生の“他人を認める”という暖かいコミュニケーションにあふれた授業だった。

(ボランティアスタッフ 増沢輝)