シブヤ大学

授業レポート

2007/5/15 UP

        

風呂敷。何か古臭いイメージが正直あった。この授業を受けるまでは…。

風呂敷を使うシーンはどんなときだろう。誰かに手土産を持っていくとき、お中元や年賀の挨拶、どこかかしこまったときに使うイメージが僕にはあった。しかし、風呂敷はかしこまったときでなくても、日常の買い物のときでもオシャレで機能的に使える魔法の布というイメージに変わってしまった。

■包む機能。
風呂敷には包む、ものを持ち運ぶという独特の機能がある。紙袋やビニール袋がまだ一般的ではなかった時代、みんな家から包むもの=風呂敷をもって買い物に出かけていた。しかし今では、コンビニに行けばビニール袋に入れてくれるし、デパートに行けば紙袋に丁寧に入れてくれる。ものを包んで運ぶということが一般的な生活空間から無くなってしまったのだ。プレゼントを包むということはするが、包装用で持ち運ぶという機能はない。その点からみても、包めるし、袋にもなり、ゴミも出ない。と、いいこと尽くめになるのをお気づきだろうか。つまり、風呂敷を使うことによってゴミの出ない「エコ生活」が始められるのだ。

■風呂敷と泥棒。
風呂敷と聞くと、唐草模様や地味な色を思い浮かべないだろうか。泥棒がこそこそ持っている、ちょっとあまり良くないイメージ。しかし、本来風呂敷の柄は、おめでたいことや幸福な象徴の柄なんだそう。ではなぜ泥棒が使ったのか。それは、先生からこんな話が聞けた。
「昔の泥棒が何も持たず家に侵入し、当時どの家にもあった風呂敷をまず広げて、そこにモノをおき最後に縛って持っていったから。風呂敷の、どんな形にもフィットするという特性を生かした見事な計画的犯行だったんです。昔の人の風呂敷を持って歩くという生活風習があったから、持ち出しても泥棒ということが一目ではわからなかったんです。」
生徒一同「へぇ~」の声。そんなところから風呂敷のイメージが悪くなっていたとしたら、当時の泥棒め!と思ってしまう。

■風呂敷と美意識。
「風呂敷には、日本の美徳や美意識が詰まっています。」そう先生は語った。風呂敷には表と裏があり、包んだときに模様や柄がちょうど手前に来るようになっていたり(持ち運ぶときは周りの人が正面から見えるように逆向きにします)、縦と横の長さを3センチ変え、包み易くしたりと、1枚の布にノウハウが詰まっているのだ。デザインだけでなく、「包む」、「何回も使う」、「運ぶ」、といった機能があることも考えると奥が深い。バッグになったり、プレゼント用の包装になったり、モノがない時代に生まれた「もったいない」の精神が形になって今に残るのが「風呂敷」なのだ。

■風呂敷からFUROSHIKIへ
この日、包んだのはティッシュ箱、お菓子の箱、ワインの瓶2本。先生から配られた資料には、折り紙を折る手順図のような分かりやすいものがあり、それを見ながら、生徒と一緒のペースで包んでいく授業だった。1枚の布が包むものの形に変わっていくのは面白かったし、バッグと違って風呂敷1枚あれば、すべて事足りるのに感動した。しかも、先生がアートディレクターを務める「京都和文化研究所 むす美」をはじめ、様々なお店で風呂敷の新たなデザインを提案したものを見ることができ、風呂敷の用途が多様化していることを知った。オリジナルバッグを作れるという視点からしても、これから風呂敷を使って買い物する人が増えるかもしれない。日本だけでなく、海外でも広がってほしいと、授業を受けて感じた。

Reduce、Reuse、Recycleの3R+R(Respect)。風呂敷が「もったいない」の精神をつなぐツールになっていくのでは、と感じた授業だった。

(ボランティアスタッフ 鈴木高祥)