授業レポート
2013/5/7 UP
いろんな家族にやさしい街、シブヤを考える
ダイバーシティ(diversity)=多様性。
近年、この言葉を耳にする機会が増えたのではないでしょうか。
人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用しようと、企業が力を入れていますね。
この言葉、実は”家族のカタチ”にもあてはまるのです。
「ダイバーシティ家族」。
父親がいて、母親がいて、さらに2人の間に子どもがいて・・・。
血のつながっている”標準型家族”だけが、必ずしも正解ではないのです。
この授業は、トランスジェンダーである前田良さんの生き方を事例に、
新しい家族のカタチや自分自身にとって居心地の良い家族像とは何か?を改めて考える機会となりました。
前田さんは、
「ダイバーシティ家族」を体現した生き方をしています。
戸籍上、女性としてこの世に生を受けた前田さん。
しかし、大きくなるにつれ自分の性に違和感を覚えました。
心は男であるはずなのに、身体が女性。
やがて、性同一性障害特例法に基づき、性別適合(性転換)手術を受け、
戸籍上、「男性」として認められました。
そして、2008年に現在の妻である、交際していた女性と結婚。
今では2人の子どもに恵まれ、温かい家庭を築いています。
しかし、その一方で「法律」というどうしても越えられない壁にぶち当たりました。
生殖能力を持たない前田さんと奥さんが選んだ道は、第三者の精子を使う非配偶者間人工授精。
困難を乗り越えながらも、やっと誕生した愛おしい我が子。
しかし、当時住んでいた兵庫県宍粟(しそう)市の市役所に、出生届の父親の欄を空欄にして「非嫡出子」として提出するように言い渡されました。
法律上、人工授精によって授かった子どもは「嫡出子」として認められます。
しかし、戸籍上、男性であるはずの前田さんの場合は受理されませんでした・・・
ドキュメンタリー映像とともに、
前田さん一家の日常や苦悩を拝見したあとは、
前田さんの弁護士を担当している山下敏雅さん、
アナウンサーとしてご活躍される佐々木恭子さん、
本授業のファシリテーターを務める杉山文野さん、
そして前田良さんの4人で、【家族】をテーマにトークセッションが行われました。
杉山さんは、
「家族というベースが安定していると、生きやすい」と言います。
ここでいう、「家族」の在り方は十人十色です。
父母子という標準の家族像だけが正しい訳ではありません。
両親がいなく、施設などで育った子にとって、施設の先生や仲間が家族です。
好きになった人が、家族と考える人もいます。
親友を家族と捉える人もいます。
自分に一番の居心地の良さを見つけることは、
自分自身の「家族」の定義を考えることではないでしょうか。
標準が自分にとって一番幸せとは限りません。
その一方で、戸籍などの法律上のルールにこだわらなければいけない現状があります。
前田さんは、
「出生届に父親の名前がない場合、色々な不都合が生じる可能性がある」と言います。
万が一、母親か父親が亡くなったら、子どもたちはどうなるのか・・・
他の子どもたちと同じように扱われなかったらどうなるのか・・・
【家族】としての幸せの一方で、ルールという困難もあります。
国は、人権を守る義務があるはずなのに、かえってルールが人を生きづらくさせていることもあるのだなと感じました。
前田さんの事例を題材に「家族」についてのトークセッションを聞いたあとは、
ワールドカフェの時間に!
4~6人で1組となって、
・理想の家族像とは何か?
・いろんな家族にやさしい街とは何か?
の設問に対して意見を出し合いました。
生徒さんたちは、トークセッションの話を聞いて、自分なりの家族像をあれこれと考えていたみたいで、かなり議論が白熱していました。
「ワークショップの時間が足りない!」という声がちらほらありました。
生徒さんや講師の方々の話を聞いていて感じたのは、
大切な人と一緒にいる時間の積み重ねが「家族」を形づくるのだということ。
血のつながりだけが、家族を規定する訳ではありません。
いずれ妻や夫になる人は、もともとは他人で、血はつながっていません。
一緒に築き上げていった時間が、「家族」という目に見えないつながりを形成するのだと。
私は、この授業を受講するまで、
人生で一度もLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の方と接したことがありませんでした。
心のどこかで、マイノリティとして捉えていた自分がいました。
何事も標準が正しいと考えていました。
けれども、幸せや自分にとっての居心地の良さは、結局は自分で決めることです。
自分が正しいと思ったことが、”標準”なのです。
前田さん一家をみて、幸せのカタチってたくさんあるんだ、と実感しました。
当たり前と考えていた「家族」のつながりについて、改めて考える素敵な授業でした。
(事務局インターン・矢永奈穂)
近年、この言葉を耳にする機会が増えたのではないでしょうか。
人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用しようと、企業が力を入れていますね。
この言葉、実は”家族のカタチ”にもあてはまるのです。
「ダイバーシティ家族」。
父親がいて、母親がいて、さらに2人の間に子どもがいて・・・。
血のつながっている”標準型家族”だけが、必ずしも正解ではないのです。
この授業は、トランスジェンダーである前田良さんの生き方を事例に、
新しい家族のカタチや自分自身にとって居心地の良い家族像とは何か?を改めて考える機会となりました。
前田さんは、
「ダイバーシティ家族」を体現した生き方をしています。
戸籍上、女性としてこの世に生を受けた前田さん。
しかし、大きくなるにつれ自分の性に違和感を覚えました。
心は男であるはずなのに、身体が女性。
やがて、性同一性障害特例法に基づき、性別適合(性転換)手術を受け、
戸籍上、「男性」として認められました。
そして、2008年に現在の妻である、交際していた女性と結婚。
今では2人の子どもに恵まれ、温かい家庭を築いています。
しかし、その一方で「法律」というどうしても越えられない壁にぶち当たりました。
生殖能力を持たない前田さんと奥さんが選んだ道は、第三者の精子を使う非配偶者間人工授精。
困難を乗り越えながらも、やっと誕生した愛おしい我が子。
しかし、当時住んでいた兵庫県宍粟(しそう)市の市役所に、出生届の父親の欄を空欄にして「非嫡出子」として提出するように言い渡されました。
法律上、人工授精によって授かった子どもは「嫡出子」として認められます。
しかし、戸籍上、男性であるはずの前田さんの場合は受理されませんでした・・・
ドキュメンタリー映像とともに、
前田さん一家の日常や苦悩を拝見したあとは、
前田さんの弁護士を担当している山下敏雅さん、
アナウンサーとしてご活躍される佐々木恭子さん、
本授業のファシリテーターを務める杉山文野さん、
そして前田良さんの4人で、【家族】をテーマにトークセッションが行われました。
杉山さんは、
「家族というベースが安定していると、生きやすい」と言います。
ここでいう、「家族」の在り方は十人十色です。
父母子という標準の家族像だけが正しい訳ではありません。
両親がいなく、施設などで育った子にとって、施設の先生や仲間が家族です。
好きになった人が、家族と考える人もいます。
親友を家族と捉える人もいます。
自分に一番の居心地の良さを見つけることは、
自分自身の「家族」の定義を考えることではないでしょうか。
標準が自分にとって一番幸せとは限りません。
その一方で、戸籍などの法律上のルールにこだわらなければいけない現状があります。
前田さんは、
「出生届に父親の名前がない場合、色々な不都合が生じる可能性がある」と言います。
万が一、母親か父親が亡くなったら、子どもたちはどうなるのか・・・
他の子どもたちと同じように扱われなかったらどうなるのか・・・
【家族】としての幸せの一方で、ルールという困難もあります。
国は、人権を守る義務があるはずなのに、かえってルールが人を生きづらくさせていることもあるのだなと感じました。
前田さんの事例を題材に「家族」についてのトークセッションを聞いたあとは、
ワールドカフェの時間に!
4~6人で1組となって、
・理想の家族像とは何か?
・いろんな家族にやさしい街とは何か?
の設問に対して意見を出し合いました。
生徒さんたちは、トークセッションの話を聞いて、自分なりの家族像をあれこれと考えていたみたいで、かなり議論が白熱していました。
「ワークショップの時間が足りない!」という声がちらほらありました。
生徒さんや講師の方々の話を聞いていて感じたのは、
大切な人と一緒にいる時間の積み重ねが「家族」を形づくるのだということ。
血のつながりだけが、家族を規定する訳ではありません。
いずれ妻や夫になる人は、もともとは他人で、血はつながっていません。
一緒に築き上げていった時間が、「家族」という目に見えないつながりを形成するのだと。
私は、この授業を受講するまで、
人生で一度もLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の方と接したことがありませんでした。
心のどこかで、マイノリティとして捉えていた自分がいました。
何事も標準が正しいと考えていました。
けれども、幸せや自分にとっての居心地の良さは、結局は自分で決めることです。
自分が正しいと思ったことが、”標準”なのです。
前田さん一家をみて、幸せのカタチってたくさんあるんだ、と実感しました。
当たり前と考えていた「家族」のつながりについて、改めて考える素敵な授業でした。
(事務局インターン・矢永奈穂)