シブヤ大学

授業レポート

2007/3/1 UP

      

「キンコーンカンコーン」お洒落な酒盛りラウンジの一角で、チャイムの音。場違い!?いや、これも悪くない。中央のステージ前に座るのは、シブヤ大学ではお馴染みとなりつつある杉山フミノ先生と、フミノ先生が人生の師匠と仰ぐ手塚真輝先生。

「AかBかどちらが良いかで相談に行くと、大抵の人はAが良いよとか、Bが良いよとかアドバイスをくれるのだけど、真輝君は違う。『AかB?いやZだろ!』みたいな。予測不可能かつ的確なアドバイスをくれる。だから、今日は真輝君を交えながら、みんなと対話する中で、仕事に対して一つの結論を出すのではなく、次の一歩へのきっかけやヒントを一人一人が何か掴んでいければよいと思う」フミノ先生の進行で、先生方と10数名の生徒達との対話が始まった。

年齢差は多少あるが、10数名のほぼ25歳。仕事と人生は切り離せない宿命だからこそ、誰もが、仕事に対して何かしらの悩みをもっている。

仕事ってなんなのだろうか?仕事と自分がやりたいことは違うのだろうか?
「何かをしたことに対して、お金が発生することが仕事?」
「好きな事をすることややりたい事をすることは、仕事には求めるべきではない?」
「自分がやり続けたいことと、お金をもらってやることが上手に両立できないのが悩み」

お金をもらい、他人に求められる仕事をしていくと、どうしても自分が本来やりたい事と目の前のやるべき事がズレていくように感じることがある。

真輝先生が、その疑問に応えていく。
「仕事に対してどういう対価や気持ちを求めるかで、色んなことが変わってくる。仕事が自分のためにやるものならば、好きだからやりたいとか、あるいはやりたくないものはやりたくないで終わってしまうかもしれない。でも、仕事を通じて、誰かや何かのためになりたいと考えるのならば、パッと見ではやりたくないこともやるべきことかもしれないし、やりたいと思えるかもしれない」

仕事は人生と切り離せないからこそ、一時の感情や嗜好、やる気に左右されるべきではないのかもしれない。だからこそ、僕らは、自分の生き方や行動を支える何かを、他人に自信をもって言える形や言葉で求めている。

では、人は何のために働くのだろうか?人は何のために生きているのだろうか?
「自分の存在を確認するために?」「安定した良い暮らしをするために?」
「誰かを支えるために?」「誰かに必要とされているから?」

「最近、いかに生きるかではなくて、いかに死ぬかを考えるようになった」と真輝先生は言う。

僕らは周りと比べながら、自分がいかに生きたいか、いかに人生を楽しみたいかということを考えるよりも、自分が何のために、誰のために生きて(死んで)生けるかを考えるようになるべきなのかもしれない。

一人の生徒が言っていた言葉が印象深い。
「毎日一生懸命にやって、はじめて今日っていう日が意味のある日になる」
続くように誰かが言った。
「今ベストだということをやること、違ったらそこで方向転換すれば良いじゃない」

会場の悩める空気を象徴するかのようにミラーボールが天井から僕らを照らす。真輝先生は、最後にこんなメッセージを残した。
「まず考えること、どうせどうにかなるだろうではなくて、考え続けること。自分で何かを考えて失敗することは大事なことだから。そして、自分自身を深く掘っていくこと、すぐに顔を上げて息をするのではなくて、何かに没頭することでしか見えないこともある。そうやって、自分自身を深く掘っていく一つに仕事がなれば良いよね」

真剣に生き、真剣に取り組むこと。誰かや何かにしっかりと向き合うこと。逃げないこと。もしかすると、それは、『かっこいい大人の嗜み』なのかもしれない。

(ボランティアスタッフ 増沢輝)