授業レポート
2026/6/3 UP
物質の多様性~量子力学の世界~
リンゴは落ちるけど、電子はまわる??
物理学科出身の筆者にとって、この授業の企画案を最初に聞いたとき、量子力学をテーマにした市民向けの授業がいったいどのようなものになるのか、という強い興味を覚えました。と同時に、このテーマで実際どれだけの人が集まるのだろうという危惧も抱いていました。
しかし蓋を開けてみれば、応募は抽選が必要なほどの盛況であり、また、出席予定者の全員が参加するという結果で、正直、驚かされたともに、物理に少し触れた者にとってうれしくもありました。
集まった参加者の動機は多様で、「量子コンピューターに興味があるから」「量子という言葉を最近よく耳にするから」という直接的なものから、「以前、物理学を学んでいたから」「半導体メーカーに転職したので」「インスタで量子と人間関係の話題が出ていたから」というものまで様々でした。
しかし共通していたのは、「最先端技術に深く関わる言葉でありながら、よくわからない。少し知ってみたい」という動機だったように思います。

授業は、冒頭に井村先生が「いつでも質問してください」と述べられたこともあり、開始早々から質問が飛び出す展開となりました。量子力学を語るにはどうしても光量子仮説から入らざるを得ず、プランクの仮説や光電効果に触れるたびに、概念への疑問が次の疑問を呼ぶ連鎖が生まれました。
当初予定されていた周期律や量子コンピューターの話は、前半のうちに原子模型の話題に触れるかどうかというところで時間を迎えることになりました。質問があちこちに飛び、いまどこにいるのかわからないような状態でしたが、それはある意味で、「重力の影響を受けず電磁気的な力によってぼわぁと広がる雲のように振る舞うミクロの世界の姿」と、どこか重なるようにも感じられました。

休憩を挟んだ後半では、参加者が知りたいテーマを3つに絞り、Q&Aスタイルで授業を進める方針に切り替えられました。それでも概念に触れるたびに新たな疑問が重なる展開は続きましたが、井村先生は一つひとつの質問に真摯に向き合い、黒板を活用しながら丁寧に答えようとされていました。
授業の終盤には、量子の応用としての量子コンピューターの原理にも触れ、「量子の世界は私たちの住む世界のすぐそばにある。スマホひとつとっても量子の振る舞いなくしては成り立たない」という言葉で締めくくられました。授業後、先生から「大学の講義では質問がなかなか来ないが、今回は冒頭から質問が飛んでくるスタイルになってよかった」というコメントもあり、双方向のやりとりが実現した手応えをお持ちだったようです。
参加者アンケートでは、「ミクロの世界の入り口に立てた」「量子力学を身近に感じた」「量子コンピューターへの興味がわいた」など、肯定的な声が多く寄せられました。
一方で、「内容が発散し、核心まで到達できなかった」「何をどこまで教えるのかを事前に整理してほしかった」「質問は最後にまとめて受ける形が望ましかった」という改善を求める声もありました。双方向のスタイルが思わぬ広がりや深掘りを生んだという評価と、進行の設計が十分でなかったという指摘が、同時に存在する結果となりました。

個人的ですが、今回の授業を通じてあらためて感じたことがあります。ある学問領域では、当然のこととして扱う概念の背後には、必ずその領域固有の前提が埋め込まれているということです。
たとえば「重ね合わせ」という概念は、物理領域では波の性質を前提として知っていれば自然と導かれるものですが、その前提がなければ「重ね合わせとはそもそも何か」という根本的な問い自体が最初の壁になります。つまり、概念を理解するための前提となる概念が別に存在しており、その前提が共有されていないと、説明が進むほど疑問が積み重なる構造になってしまいます。
講義の中で触れられた、「マクロとミクロの違い」「決定論と確率論」「波でもあり粒でもある」といった対比概念についても、同じ構造を持っています。これらは量子力学の核心に近い対比概念ですが、それぞれの言葉の下に別の前提が潜んでいるため、言葉として印象には残っても、その先の本質へはなかなか踏み込めない。
参加者のアンケートにあった「核心まで到達できなかった」というもどかしさの中には、まさにこの構造から来ている部分もあると感じました。
自然科学は、理論と観察事実を行き来しながら語ることができる点で、市民向けの学びの場における教材として豊かな可能性を持っていると、個人的には思います。一方で、参加者間の前提知識の差をどう扱い、何を共通言語として共有するかを事前に設計することが、理解の深度を左右する重要な鍵となります。今回の授業が「扉を開けていただいた」時間であったとすれば、次回はその扉の先にある世界へ、一歩踏み込む設計ができるかもしれません。
量子力学のなかでテーマをさらに絞った次回の開催を、今から楽しみにしています。
(レポート:山口圭治(主筆)、宮本佳幸、内田雅文 写真:高倉栞、坪井香子、宮本佳幸)
しかし蓋を開けてみれば、応募は抽選が必要なほどの盛況であり、また、出席予定者の全員が参加するという結果で、正直、驚かされたともに、物理に少し触れた者にとってうれしくもありました。
集まった参加者の動機は多様で、「量子コンピューターに興味があるから」「量子という言葉を最近よく耳にするから」という直接的なものから、「以前、物理学を学んでいたから」「半導体メーカーに転職したので」「インスタで量子と人間関係の話題が出ていたから」というものまで様々でした。
しかし共通していたのは、「最先端技術に深く関わる言葉でありながら、よくわからない。少し知ってみたい」という動機だったように思います。

授業は、冒頭に井村先生が「いつでも質問してください」と述べられたこともあり、開始早々から質問が飛び出す展開となりました。量子力学を語るにはどうしても光量子仮説から入らざるを得ず、プランクの仮説や光電効果に触れるたびに、概念への疑問が次の疑問を呼ぶ連鎖が生まれました。
当初予定されていた周期律や量子コンピューターの話は、前半のうちに原子模型の話題に触れるかどうかというところで時間を迎えることになりました。質問があちこちに飛び、いまどこにいるのかわからないような状態でしたが、それはある意味で、「重力の影響を受けず電磁気的な力によってぼわぁと広がる雲のように振る舞うミクロの世界の姿」と、どこか重なるようにも感じられました。

休憩を挟んだ後半では、参加者が知りたいテーマを3つに絞り、Q&Aスタイルで授業を進める方針に切り替えられました。それでも概念に触れるたびに新たな疑問が重なる展開は続きましたが、井村先生は一つひとつの質問に真摯に向き合い、黒板を活用しながら丁寧に答えようとされていました。
授業の終盤には、量子の応用としての量子コンピューターの原理にも触れ、「量子の世界は私たちの住む世界のすぐそばにある。スマホひとつとっても量子の振る舞いなくしては成り立たない」という言葉で締めくくられました。授業後、先生から「大学の講義では質問がなかなか来ないが、今回は冒頭から質問が飛んでくるスタイルになってよかった」というコメントもあり、双方向のやりとりが実現した手応えをお持ちだったようです。
参加者アンケートでは、「ミクロの世界の入り口に立てた」「量子力学を身近に感じた」「量子コンピューターへの興味がわいた」など、肯定的な声が多く寄せられました。
一方で、「内容が発散し、核心まで到達できなかった」「何をどこまで教えるのかを事前に整理してほしかった」「質問は最後にまとめて受ける形が望ましかった」という改善を求める声もありました。双方向のスタイルが思わぬ広がりや深掘りを生んだという評価と、進行の設計が十分でなかったという指摘が、同時に存在する結果となりました。

個人的ですが、今回の授業を通じてあらためて感じたことがあります。ある学問領域では、当然のこととして扱う概念の背後には、必ずその領域固有の前提が埋め込まれているということです。
たとえば「重ね合わせ」という概念は、物理領域では波の性質を前提として知っていれば自然と導かれるものですが、その前提がなければ「重ね合わせとはそもそも何か」という根本的な問い自体が最初の壁になります。つまり、概念を理解するための前提となる概念が別に存在しており、その前提が共有されていないと、説明が進むほど疑問が積み重なる構造になってしまいます。
講義の中で触れられた、「マクロとミクロの違い」「決定論と確率論」「波でもあり粒でもある」といった対比概念についても、同じ構造を持っています。これらは量子力学の核心に近い対比概念ですが、それぞれの言葉の下に別の前提が潜んでいるため、言葉として印象には残っても、その先の本質へはなかなか踏み込めない。
参加者のアンケートにあった「核心まで到達できなかった」というもどかしさの中には、まさにこの構造から来ている部分もあると感じました。
自然科学は、理論と観察事実を行き来しながら語ることができる点で、市民向けの学びの場における教材として豊かな可能性を持っていると、個人的には思います。一方で、参加者間の前提知識の差をどう扱い、何を共通言語として共有するかを事前に設計することが、理解の深度を左右する重要な鍵となります。今回の授業が「扉を開けていただいた」時間であったとすれば、次回はその扉の先にある世界へ、一歩踏み込む設計ができるかもしれません。
量子力学のなかでテーマをさらに絞った次回の開催を、今から楽しみにしています。
(レポート:山口圭治(主筆)、宮本佳幸、内田雅文 写真:高倉栞、坪井香子、宮本佳幸)









