シブヤ大学

授業レポート

2007/11/1 UP

“意識する”こと

授業開始の合図と共に、着付け衣装に袴姿で教室に入ってきたのは、狂言和泉流の三宅 藤九郎先生。狂言・和泉流19世宗家和泉元秀の次女として生まれ、17歳で姉である史上初の女性狂言師、和泉淳子さんとともに「史上初女性狂言師誕生記念・10世三宅藤九郎襲名披露公演」を行ったこともある日本文化の伝統師である。

“自分の中の「日本」を意識する時はどんな時ですか?”そんな授業のテーマに惹きつけられて集まってきた生徒30人余。まずは、そんな生徒さんたちに向かって、授業の流れを説明する先生。どうやら今日の授業のポイントになるのは“イメージ”という言葉のようだ。

【午前】午前中は生徒に質問を投げかけながらも、レクチャー中心の授業。

「狂言とは、言葉と仕草で演じられる喜劇」だという。仕草でわからないものを、言葉で表現し補っていく(お酒を注ぐ音など、音のある動きを言葉で表現していく)。室町時代から500年以上続く狂言文化。当時と今では、私たちが使う言葉に多少変化はあるものの、生活の中心になる言葉は昔から変わっていない。それゆえ、今も尚、親しみやすい喜劇として楽しめる狂言。”変わらぬところに日本らしい文化があるのだ”という。

狂言は庶民の日常生活が舞台になることが多い。「楽しい」「うれしい」「悲しい」「寂しい」、どこでも、誰にでもありえるようなささやかな感情の動き。この授業での狂言の舞台には背景が無い。見るものは、各々の頭の中で場面を“イメージ”し、想像した世界の中での音や動きに聞き入る。イメージによる自由性を持つのも日本文化としての存在のひとつなのだろうか。

【午後】午後は表現での所作を学びながら、ワークショップ形式での授業。

まずは、直立姿勢から正座、そして再度立ち上がるまでの動きの稽古。簡単なように見えるが、一つ一つの決まりを意識しながら動くと、普段意識しないことの連続で中々難しい。立ち上がった後に左足から動くのだと意識しすぎると、右足から座ることができなくなったり、右足から座るのを意識しすぎると、今度は左足から立てなくなったりしてしまう。

次に小舞「うさぎ」を題材に、謡う練習。ポイントは節をつけながら言葉ではなく、音を出すということを意識して謡うのだという。難しいのだけれども、段々上達していくことが、楽しくてしょうがない。新しいことを学ぶことは楽しいことなのだ。

最後に舞台に入場~退場するまでの動きの流れを、グループで行う。一つ一つの動きを意識しながら、グループでの呼吸を合わせながら、実際に狂言の舞台にたっているような気持ちで行う。一つ一つの動きをキチッ、キチッとしっかりやろうとすると、かえって体がなめらかに進むようになる。

授業が終わるころ、何だか前よりも身の回りの一つ一つの動きや音を意識するようになれた気がする。小さなスタートかもしれないが、昔から変わらない動きや音、表現を感じ取り、“イメージ”し、その良さを知っていくことが、自分の中の「日本」を意識するためのスタートになりそうだ。

(ボランティアスタッフ 増沢 輝)