シブヤ大学は、
“見つける学び場”です。
シブヤ大学は、まちのあらゆる場所を教室に、多様な授業を開催しているNPO法人です。
2006年の開校以来、開催した授業は1,600講座以上。これまでに45,000人以上が参加しています。
新着授業
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【中・高・大学生対象】
2050年の日常を想像しよう
〜離れていても触れる!?"触覚"を持つロボット体験ワークショップ〜
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2050年の日常を想像しよう
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誰もが働ける社会をつくる
ソーシャルファームを知って、考えて、動きたくなるワークショップ 2025
【第2回】 ソーシャルファームのリアル(働く人の目線から)
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“わたしが決める”をはぐくむ・エンパワメント
〜障がいのある人の学びの現場から〜

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〜ホヤを通して東北に想いを馳せる〜

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~声で映像にいのちをふきこむ~
最新授業レポート
終了した授業の内容をお伝えします

正解のない”はたらく”について
障害や難病など、さまざまな制約を抱えながらも「はたらく」皆さんの声を聞くことで、私たち自身の「はたらく」も見つめ直してみるーー今回お招きしたのは、「障害や難病を越え、互いに学び合い、誰もが自らの望むように生きられる社会」の実現をビジョンに掲げるNPO法人・両育わーるどの理事長で難病当事者でもある重光さん、広報の谷山さん、そして5名の当事者メンバーの皆さんです。授業では、当事者の方々とのヒューマンライブラリーを行いました。ヒューマンライブラリーとは、2000年にデンマークで始まった対話の手法で、社会的マイノリティとされる人々の"生の声"に耳を傾けることで、相互理解を深めることを目的としたものです。今回は30分間、膝を突き合わせるような距離感で、じっくりと話を聞く時間となりました。後半では、重光さんから「RDワーカー」の取り組みについて紹介がありました。RDとは「Rare Disease=希少疾患」の略で、RDワーカーとは、難病を抱えながらも働いている、あるいは働こうとしている人たちを指します。「RD」とは、2008年にスウェーデンで始まった「RDD(Rare Disease Day)」に由来しています。↓授業で使用されたスライドより重光さんはこう語ります。「ヤングケアラーのように、名前があることで社会に認知され、支援の道が開かれる。"RDワーカー"もそんな言葉になっていってほしいと思っています。」現状、多くの難病当事者は、制度のはざまで支援が届かず、そもそも「そこにいること」さえ認識されていないケースもあります。たとえ健常者ベースの労働条件で働けなくても、働き方に柔軟さがあれば、社会とのつながりを持ち続けることは可能です。重光さんたちはその実現に向けて、当事者が自身の症状や特性を伝えるための「トリセツ(取扱説明書)」の普及や、制度提言としての「難病者の社会参加白書」の作成、地方でのモデル事例づくりなど、さまざまな取り組みをされています。難病者の社会参加白書2025(2025.7.7発行)重光さんご自身も、常に強い痛みに耐えながら活動されている方です。その姿勢にはいつも尊敬の念を抱くと同時に、当事者がここまで頑張らなければならない社会のあり方に、非当事者としての不甲斐なさを感じずにはいられません。私たちができることは何かーーまずは「知る」こと、そしてそれを「伝える」こと。少しずつでも、行動していきたいと思います。以下に、当日のヒューマンライブラリーに参加したシブヤ大学ボランティアスタッフの皆さんのレポートをご紹介します。(文:授業コーディネーター・吉川真以、写真:芳賀久仁子)———私は、潰瘍性大腸炎を患っているアンさんのグループに参加。彼女は、高校生の時に発症し、その後、長期間の療養を強いられていたが、うまく合う薬が見つかり、現在は寛解(一時的、または継続的に安定した状態)になっておられ、支援が必要な人をサポートする団体職員として働いているとのことでした。潰瘍性大腸炎は比較的多くの人が罹患している難病であり、症状も軽度の人から重度の人まで幅広い病気とのこと。その中で、アンさんは重度であり、長い間入院されていた。そのため、寛解となった後は、仕事や勉強に時間にご自身の時間を割いて、社会福祉士などの資格をとられ、現在はキャリアカウンセラーの資格にもチャレンジされようとしていました。お話を伺っての感想となりますが、長い時間の入院生活においては社会とのつながりが限定的にならざるを得ず、寛解後にそれを取り戻すように働かれている印象を感じ、働く意味が"社会とのつながり"を意味している、と感じました。また、対話に参加している人からは、今回の講義のタイトルに"働く"ではなく"はたらく"を使っている意味は何だろう、という問いかけもありました。"働く"からだと、労働につながりやすいが、"はたらく"にすると単なる労働だけではなく、家事などにもつながりやすく、社会とのつながりもイメージしやすくなる、という会話もされていました。一方、対話後の重光さんのお話の中でも、いくつか気づきがありました。1つ目は、社会参加と働くとの関係性について。働くを単に"収入の糧"としてだけ捉えるのではなく、"人に愛されること"、"人にほめられること"、"人の役に立つこと"、"人から必要とされること"(日本理化学工業元会長 大山氏のエピソードより)と捉えていくと、就労環境の設計の幅は拡がる可能性を感じました。↓授業で使用されたスライドよりさらに、難病を患うRD(Rare Disease)ワーカーの症状変動に関するものがありました。疾患の症状は人によって異なり、1日の中で体調変動するものから、数か月単位で変動するものまで幅がある、とのこと。よって、症状に応じた就業形態を定義すれば、RDワーカーが就労できる機会・職種は拡がる可能性が高いことが示唆される、と感じました。例えば、1日の中で体調変動するようなRDワーカーには、工数を確保する既存の工数確保型の就労形態ではなく、成果重視型の就労形態をとるなどの検討が進められると、働く場も増えていくと考えます。フレックスタイムの導入などで企業における雇用形態も柔軟性はありますが、まだ、工数前提とした就労形態が多いため、成果重視型の形態が拡がるには時間がかかるようには、個人的には感じています。↓授業で使用されたスライドより今回の講義は、RDワーカーを起点として、"はたらく"を色々な意味で考える良い機会でありました。(レポート:山口圭治)———ヒューマンライブラリーという対話形式が初体験で、すごく面白かったです。筋ジストロフィーやうつ病など、異なる背景を持つ方々がまるで物語のように自身の経験や考えを語ってくださり、その「生の声」から、課題や感情をダイレクトに受け止めることができました。印象的だったのは、当事者の方々が抱える「分かってほしい」という願いと、雇用側が感じる「経験がないから不安」というミスマッチの指摘。これは難病を持つ方々に限らず、健常者である私たちにとっても、お互いを理解する上で大切な視点だと感じました。このギャップを埋めるための「症状の可視化」や「時間的柔軟性のある働き方」といった具体的な取り組みには、本当に感動しましたね。ご自身のできること・できないことを「取扱説明書(取説)」として提供するって、すごく勇気がいることだし、自分と向き合う辛さもあると思うんです。でも、もし機会があれば、僕自身もぜひやってみたいと思いました。医療や福祉だけでなく「就労」というテーマだったのも、病気を患っていない方々にも共感しやすくて良かったです。行政も動き始めて、社会が少しずつ進歩していることも感じられましたし、多様な人々がもっともっと共に働く社会になっていってほしいと心から願っています。(レポート:洌鎌康成)———ヒューマンライブラリーで「黄斑ジストロフィー当事者として高額納税者になる!」というタイトルでお話しされたおざわさんの言葉で印象的だった言葉を書きます。「みんな得意なところと不得意なところがあるから、得意なところを掛け合わせることによって価値が生まれて、高額納税者も目指せると思います」「面接の時は、"私は今までこんなことをしてきました"よりも、"これからこんなことをしたいこんな風になりたい"を話した方が良い」「結果は選べないけど、行動は選べる」最後の言葉は、「仕事をする上で一番大切なことは?」の質問に対しての答えです。どの言葉も、難病などを受け入れて生きる当事者の強さを感じさせられました。(レポート:片山朱実)

対話が大事というけれど・・・ ~対話のリアルと向き合う座談会~
2025年7月19日(土)、渋谷区の上原社会教育館にて、「対話のリアルと向き合う座談会」を開催しました。先生は米国ルイジアナ州在住の学者で博士の矢島祐作さん。矢島さんは、文化とコミュニケーションおよび教育を専門としており、この夏の一時帰国を機に4回目となるシブヤ大学での授業に臨んでくださいました。授業は、約20人の参加者が4つのグループに分かれて自己紹介を行うところからスタートしました。各自が参加理由を共有すると、対話が大事と思いながらも難しさを感じている、対話そのものについてじっくり考えたいといった理由が集まり、この段階ですでに大いに盛り上がっていました。自己紹介の後、矢島さんが「対話の前提」について語り始めます。「対話に正解はありません。相手を尊重することは簡単ではないし、余裕があるときにしかできません。誰しもが差別心や加害性を持っているため、信念同士の衝突が起きやすくなります。また現代では情報量が膨大で、人によって持つ情報が違いすぎるため、前提の共有が難しいのです」矢島さんの説明が終わると、先ほどと同じグループで、この後の座談会で話したいトピックを選びました。提示されたトピックは以下の6つです。(1) 今アメリカで起きていること(2) 対話で人の意見は変わるのか?(3) 異なる意見と対話(4) タブーと対話(5) 暗黙の了解と対話(6) 何のために対話をするのかこれらのトピックのうち、「対話で人の意見は変わるのか?」「何のために対話をするのか」を考えたいという声が多く、座談会ではこの2つのトピックを中心に進めていくことになりました。座談会は、参加者全員が一つの輪になって自由に意見交換を行う形式で進められました。矢島さんはまず、「お酒が好きな人はいますか?」と問いかけます。7~8人が手を挙げました。矢島さんが「もし『お酒をやめたほうがいい』と言われたらどうしますか?」と問いかけると、参加者からは「そのように言う理由を聞きます」「とりあえず話は聞きますが、お酒はやめないと思います(笑)」といった率直な声が次々にあがりました。そこから参加者同士の議論が深まり、「なぜお酒をやめないと言い切れるのですか?」「35年間飲んでいますが、健康に問題が起きたことがないからです」「それはこれまでのことで、これからどうなるかはわかりませんよね?」など、活発な意見交換が展開されました。この様子を受けて矢島さんは、次のように解説してくださいました。「自分が大切にしている考え方や行動は、人からロジックで説明されても変えづらく、自分がそれほど関心を持っていないテーマに関しては、人から説得されやすい。こうした人間の特徴を示した理論を『社会的判断理論』と言います。では、自分が大切にしている考え方や行動は、どうすれば変わる可能性があるのでしょうか。その鍵は『長期的な人間関係』です。長い間一緒にいて仲良くなったり、その人に好意を抱いたりすると、相手の話を素直に受け止め、考えが変わるということが起きやすくなります」続いて、「異なる意見と対話」について話が進み、「洗脳と対話の違い」に関する議論になりました。参加者から「洗脳は対話ではないですよね?」という質問が出ると、矢島さんは「その通りです。対話とはニュートラルで余裕を持って行われるものです」とおっしゃっていました。さらに「何のために対話をするのか」というトピックでは、「新しいアイデアを生み出すため」「相手と仲良くなるため」「希望を持つため」など多様な意見が出ました。また、「今アメリカで起きていること」について、矢島さんは、「アメリカでは政治的な分断も含め、意見が激しく対立し、対話自体が難しい場面に多く出会いますし、人種や宗教といった特定のトピックに対して対話を拒否する人も出てきています。」と現地の状況をリアルに伝えてくださいました。後半は、先ほどとは違うグループに分かれ、「良い対話・悪い対話とは?」「良い変容を生む対話があるとしたらどんな対話?」をテーマに意見を交わします。グループごとの話の内容が全体にシェアされました。「まず、対話に『良い』『悪い』があるのか、という疑問から話が始まりました。わかりあえない中でも話し合う『プロセス』自体に意味があるのではないか、という意見も出ました」「『相手の話をよく聞き、個人の経験に基づいた話をすると、深い対話になる』とおっしゃる方がいました」「そもそも日常生活で違う価値観の人と話すことが少ないので、会話することはあっても、『対話』の経験があまりないかもしれない、と感じました。」「相手がなぜそう考えるのかに思いを寄せる。お互いの『ファウンデーション(自己基盤)』を共有すれば、話が深まる。「感情」や「経験」を共有できる。それが良い対話だと思います」矢島さんは最後に、「対話は意図的に行わなければ成立しません。相手の人格を尊重するコミュニケーションであり、私は対話をあきらめたくありません。人間と人間との深い交わりなのです」と力強く語り、授業は終了しました。分断が進む世の中でも対話を諦めたくないからこそ、対話のリアルと向き合いたいと企画された今回の授業。同じような気持ちを持った人たちが集まり、授業終了後も参加者同士熱心に交流を続け、矢島さんと話し込む人もいらっしゃいました。参加者の皆さん・矢島さん、「対話」について考える意義深い時間をありがとうございました!(授業レポート:水井大輔 写真:槇歩美)

五里霧中⁉な運動会 〜見えない世界はどう見える?〜
今回の授業は、NPO法人日本インクルーシブ・クリエーターズ協会副代表理事の川口育子さんと、同法人代表理事の本間英一郎さんを講師にお迎えして、「見えづらい世界」を体験してみる授業でした。川口さんは、眼の難病で視覚に障害がありますが、見え方は真っ暗ではなくぼんやりと見えていて、条件が良ければ字も読める状態なのだそうです。今回は川口さんの見え方を再現するために、サングラスを使って特殊な眼鏡を作製しました(以下眼鏡と表記)。真っ暗ではなくてぼんやり見えるというモヤモヤした状態で色んな競技を行ってみようという運動会です。講師の方の自己紹介の後、早速参加者全員が眼鏡をかけて順番に自己紹介をしました。まず眼鏡をかけたら「わーっ」という声が上がりました。こんな風に見えるんだというのが感想でした。夜、豆電球だけの明かりをもっと暗くしたくらいの、ぼんやり見える感じを更に輪郭をぼかしたような状態と言えば良いでしょうか?室内なので、照明の明るい方は白く光って見え、人は輪郭が見えて「そこに人がいるな」というのは分かります。白い服の人はよく見えますが、全員で何人いるのかは分かりません。全てがぼんやり、形がなんとなく分かるくらいです。自己紹介でも「右から順番に」と言われても、前の方が話し終えても次が誰なのか分からないし、椅子から立ったり座ったりもおぼつかなくて、これは大変だぞという感じでした。参加者の方の参加の動機は、「ぼんやりと見える世界を体験したい」「自身も目が良くないので学びたい」「コミュニケーションをしたい」などでした。運動会なのでまずは席を立ってラジオ体操です。お馴染みの音楽が掛かると身体は自然に動きますが、隣りの人や机や椅子にぶつかりそうになるし、ジャンプする時は怖かったです。ラジオ体操の後はいよいよ競技に入りました。1、ポップコーン移し椅子に座ってお箸を持って、片方の皿に入れられたポップコーンをもう一つの皿に移す競技。丸い物ががあるのは分かるけど、お箸でつまむのは勘だけが頼りなので難しい。「塩味のポップコーンだと思って食べてみたら、甘いキャラメルコーンだったのに驚いた」など、見えない状態で食事をすることの難しさを少しだけ味わいました。2、真っ直ぐ歩く眼鏡をかけて、壁に向かって真っ直ぐ歩く競技。歩いて壁まで行きましたが、壁にぶつかる恐怖感もあって歩き方がぎこちなくなります。真っ直ぐ歩いているつもりでも、1mから50㎝くらいはズレてました。アイマスクでも体験しましたが、真っ暗だと更に難易度が上がりました。これは、見えないと横断歩道を渡る時に、向こう側の歩道に上がるつもりが左や右に曲がって歩いてしまうことがあり、自分が左右のどっちに寄ってしまったのか、どこから歩道に上がれば良いかわからないという川口さんの体験から考えられた競技です。3、ニア5メートル眼鏡をかけて真っ直ぐ歩き、自分が5mと思う場所で止まり、距離を測定。一番近い人が勝ちという競技。歩数や勘を頼りにここら辺かなぁと思う場所で止まったが、意外と難しい。これは、自宅近辺で「この辺」と思う入り口などでも「気を抜いて歩いているとわからなくなる…知っている場所だけにショック」という川口さんのお話から、距離が感覚だけでどこまでわかるのか、という実験のような競技でした。4、音を頼りに歩く駅でよく聞く「トイレ案内の音」を体育館の何処かで流し、その音源を探す競技。耳をすまして音源を探りながら近づいて行くと、大体皆んな同じ場所で止まっていましたが、コンクリートの反響だと違って聞こえたり、上からの音はまた違うそうで、駅など雑踏の中で探すのは難しいと感じました。目が不自由な人にとって音は重要な情報ですが、「音の発信場所に対して自分がどちらを向いているかで、右なのか左なのかの案内が変わってしまう」という川口さんの話を聞いて「基点」と「方向」の大切さを知りました。5、点字ブロック体験アイマスクをして白杖を待ち、杖先の感覚と足の裏の感触を頼りに床に敷かれた点字ブロックの上を歩いて速さを競う競技。途中で何箇所か90度に曲がっているので、曲がり角で点字ブロックを見失い、探るのが難しい。探っているうちに自分の向かう方向がわからず、逆戻りしそうになった方もいました。皆んなが終わった後で川口さんに模範を見せていただきましたが、皆んなの時間の半分以下でクリアしたのは流石です!点字ブロックは2種類あり、線状の「誘導ブロック」は「方向を示す」、点状の「警告ブロック」は「道の状況が変わることを知らせる」役割があり、駅のホームの端や階段の手前、横断歩道、分岐部分などにありますが、「その先何があるのか」は分かりません。駅の工事でゴムマットの上にゴム製の点字ブロックが敷かれていることは転落など事故にも繋がりかねません。指摘をしても全く改善されないそうです。本当に見えていない人のことは考えていない社会のあり方に憤りを感じました。…と書きましたが、実際に見えない方のお話しを聞いてみるまでは点字ブロックをそれほど意識していなかったと思います。平らで安全なことが分かっている体育館の中ですら、見えない状態で歩くことは恐怖と不安しかありませんでした。外に出て沢山の人や車や自転車などが行き交う道路や歩道を歩いたり、交通機関を使って目的地まで行くことに伴う困難は、想像するに余りあります。競技の後のお話しで「一口に視覚障害と言っても様々な見え方がある」ということも伺いました。暗い場所で見えにくい夜盲や、視界の中央だけが見えない中央反転、逆に川口さんのように中央が見えない視野狭窄、コントラストの低下や眩しさギラつきで見えにくいなど、見え方やその度合いも様々です。先天的な障害か中途障害かでも違うそうで、先天的な障害の方は全体の一割程度でほとんどの方は中途障害だそうです。視覚障害イコール点字、というイメージを持たれていますが、点字が読める方は少ないそうです。お店で点字のメニューを持って来られたり、食事の時にお箸が使えないと思われてスプーンしか付けて貰えなかったりなど、親切のつもりが逆な場合もありますので、本人に聞いて確認することが大切だと感じました。参加者の皆さんの感想をご紹介します。「眼鏡をかけてみて、ほとんど見えないことがこんなにも怖いということを実感しました」「ポップコーンも取れないし、真っ直ぐ歩くのも大変でした」「点字ブロックは、目が見えない方にとってとても大切なものなのに、意見を取り入れて貰えなかったりするということをお話しを伺って驚きました」「視野が制限されるという体験は面白く怖かったです」「街中で障害のある方に対しての声掛けについて”言葉には責任がある”という話が印象的でした。声掛けをして”大丈夫です”と相手が答えたなら、その言葉は言った側の責任。”大丈夫”と答えたからには、相手にそれ以上する必要はない、だから声を掛けて断られても、あなたは気落ちする必要はない。相手に対して”あなたを気にしてますよ”という気持ちが大切で、それに加えて自分自身が発する言葉一つ一つに責任を持つことも大切、と。普段忘れがちなことの大切さも再認識出来ました」などがありました。全体を通して、視覚障害の大変さを体験してみることの大切さを知りました。それから、思い込みや誤解していることも多い、という現実も知れて良かったです。障害の種類や度合いも様々なので、まずは本人に声掛けして聞いてみることが一番なのだと思います。信号待ちの時に信号が変わったことに気が付かない方がいたら「変わりましたよ」と声を掛かるというような小さなことが助かるそうです。なにも目的地まで一緒に行くとかしなくても「小さなことで良いので声を掛けてみてください」とのことでした。これは障害のある無しに関わらず、全ての方に対して相手のことを気に掛けている、尊重しているという気持ちでいることが大切なのだと感じさせられました。まずはちょっとしたことに気が付くこと、そして思い切って声掛けしてみること、障害のある方や色んな方の話に耳を傾けてみることから始めてみませんか?話を聞く、そして実際に体験してみるということを通して、今回の授業で感じたことでした。まずはお友達になってみるのが一番良いそうてす。川口さん本間さん、ありがとうございました。(レポート:片山朱実、写真:安西仁美)
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