シブヤ大学

授業レポート

2012/11/30 UP

くらしごと

小雨降る11月の土曜日の昼間。
渋谷区幡ヶ谷社会教育館の中学習室にて「みんな、どこで働いて、どこで暮らすの?」の授業が行われました。

「仕事や暮らしを場所という視点から考える」

授業コーディネーターの個人的な想いから始まったこの取り組みは、授業の開催というカタチになって、ようやく実現しました。

自分の仕事や暮らしというテーマは、参加者個個人のパーソナルな内容に触れるため、参加者が緊張した状態で始まることが多いものです。そこで、極力緊張を和らげるように、講師も含めた自己紹介を十分に行い、和らいだ状態で始めました。


ここから講師それぞれのお話。

【講師1:中原さんの場合】

東京と千葉と岡山
中原 寛法さんは、WEBサイトの企画、デザイン、プログラミングを主な仕事としている。フリーランスで仕事を続けてきて、2年前に会社を設立。今は中原さんともう一人社員がいる。会社の本社は岡山(岡山は中原さんの実家がある)。自宅兼事務所は千葉市で大学時代から千葉に住んでいて15年ぐらいになる。もう一人の社員はサーファーで、千葉のいすみ市に住んでいる。週に1度だけ中原さんの家にきて一緒に仕事を行う。クライアントの場所は六本木や渋谷、中目黒などが多いので週に半分近くは打ち合わせなどで東京に行く。

場所とコミュニティ
都内にいるときは同業の仲間、一部仕事仲間と飲むことが多い。こんなデザインやWEBサイトが最近は流行っているとか、面白いとか。
そして、都内から約一時間で自宅のある千葉駅に着く。東京の都心から千葉に行く途中で徐々に灯りが少なくなっていくと、家に近づいていると感じる。千葉駅から家までの帰り道にあるバーによく行く。年齢や仕事などバラバラの人たちが集まっていて、詳細不明だが、居心地がいい。
実家の岡山は小中高の友達がいるが、自分が何をしているのか知らない人ばかり。

場所と時間
7:30起床、たまにジョギングをしている。9:00から朝ごはんで、ほぼ毎日同じものを食べている。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に朝食をとるようにしている。フリーランスの最初のころは時間が不規則だったので、生活時間のリズムを同じにするようにした。昼までに自宅での作業を終えて、午後は都内で打ち合わせをまとめて行うことが多い。

場所と背景
10年ぐらい前にワークシェアリングやフリーランスに関する記事に影響を受けた。そして、周りも就職活動しないような人が多かったこともり、大学院卒業後はフリーランスで仕事を始めた。最初はとくに仕事もお金もないので学生時代と同じアパートで暮らしていた。引っ越しはしたが、そのまま千葉に住み続けている。東京の仕事から帰ってくるときに頭を切りかえられる、とてもここちがいい場所。

場所と将来
結婚したら、住む場所は変わるかもしれない。でも、千葉には愛着があるので、たまに遊びにくると思う。
実家の岡山での仕事は増やしていきたいと思っている。

【講師2:白水さんの場合】

西荻窪と家族とサードプレイス
白水公康さんは、福岡県生まれ、杉並区西荻窪在住。外資系コンピューター会社から、中国系ネット企業を経て、現在は株式会社ゼンリンに勤務(神保町)。
他の2人の先生と違う点として、(1)サラリーマンであるということ、(2)家庭を持っている、(3)アラフィフ世代。
(1)サラリーマンにおける働く場所と住む場所について、会社のロケーションはあまり気にしないことが多い。仕事の内容や職場環境、人間関係、給与、やりがいなどが重要。住む場所については、働く場所によって通勤経路や通勤時間を踏まえて決めることが多い。
(2)家庭を持っていると、実家との位置関係や子育て環境、生活、安全性などの面で場所を決定する。
(3)アラフィフ世代ということでは、ライフプランニングを真剣に考える時期。リタイヤ後の生活基盤を考えたり、親世代の高齢化で実家との関わりを考えたり。

西荻窪と背景
西荻窪に住んだのは偶然。それまでは数年間吉祥寺に住んでいて、引っ越すときに偶然西荻窪に引っ越すことになった。引っ越すまでは西荻窪に行ったこともなかったので、もともと気になっていた、好きだったということではない。

多くのサラリーマンにとって、さまざまな制約がある中で、必ずしも働きたい場所や住みたい場所を選択できるわけではない。であれば、逆転の発想として白水さんから以下について提案がありました。

西荻窪とチャサンポー
提案の1つ目として、関わりのある街を自分が好きな場所に変える。働きたい・住みたい街を選ぶのではなく、与えられた場所を好きになってみる。そのためにも、能動的に街に対して関わる。また、街に知り合いがたくさん増えるだけではなく、取り組みをきっかけに外の人との出会いも増える。白水さんの場合は、西荻でのチャサンポーという地元の店舗などを巻き込んだイベントを行う。

西荻窪とサードプレイス
提案の2つ目として、サードプレイスを持つ。家庭とも職場とも違うコミュニティを持つことが、生活の幅を広げて豊かになることにつながる。白水さんにとってのサードプレイスはギャラリー「みずのそら」@西荻。思考を転換する場として、また、クリエイターと出会いもあり、とてもよい場所。

西荻窪と将来
テレワークやフレックスなど、どこでも仕事ができる技術が発達すると思う。
その中で、自分自身がどのように働いていくかは、これからも考えていく。

【講師3:和久さんの場合】

やぼろじと居場所と近所の人々
和久倫也さんは、生まれてから今まで30年以上多摩エリアで暮らしている。大学、大学院も実家から通い、大学院卒業後に建築の設計事務所に入るが家から自転車で通える距離であった。旅行にいくのも好きだが、東京のにしがわ、国立や府中が好きで近所の公園や知り合いの畑などが自分にとっては居心地がいいと感じる。

やぼろじと出会い
数年間働いた建築事務所を辞めて、近所の人との出会いから畑の手伝いをしたり、少しずつリフォームの仕事や設計の仕事もきたりしていた。そして、その畑の大家さんが管理していた国立市の谷保にある古民家と出会う。自分がその古民家をこういう風に使いたいと思っていたわけではなく、近所のおばさんが借りるようすすめてきた。大家さんとの話し合いで古民家の管理を任せてもらえることになり、一年近くかけてワークショップという名の大掃除を行う。出身の大学の研究室の学生や植木屋さんや大工さん、近所のお母さんたち、子どもたちなどと一緒に。そこで、関わる人たちとこの場所にはどんな特徴があるのか、こんな場所にしたいということを話し合い、一年近くかけて「やぼろじ」をつくる。

やぼろじと今
やぼろじの現在ですが、カフェや工房、イングリッシュガーデン、シェアオフィスなどがある。最初はシェアハウスもあったが、今はやっていない。
一年に2回ぐらい、ガーデンパーティーを行っている。流しそうめんをやったり、陶芸家の友人とピザ窯をつくり、ピザを焼いたりしている。また、地元のお母さんたちがスタッフをしている母めし食堂で昼ご飯はまかないをいただいている。

やぼろじと遠くの場所
やぼろじを行っていると、近所の子どもたちやお母さんたち、また、おじいちゃんやおばあちゃんとの関わりが多くなる。ありがたいことに、すごく貴重や歴史や技術を教えてもらえることもある。一方で、近所の縁が強い分、たまに離れたくなることもある。最近は岩手の遠野や屋久島をはじめ、やぼろじと似たような取り組みをしている人たちに会いに行って、勇気をもらっている。

やぼろじと和久さんのこれから
やぼろじは間違いなく自分にとっての居場所の一つである。自分だからやぼろじという場所ができた、自分らしさ、アイデンティティは感じる。また、カフェをやっているお母さんたちがすごく元気になって、その元気な人たちがつくるご飯を食べに近所の親子連れの人たちが集まり、元気をもらえる場所になっている。
そして、だんだんと和久さんの手を離れていっても、まわるようになってきている。今後も和久さんは関わり続けるが、今関わっている地元の人たちで想いを持った人がベースになっていけるようにする。
また、働くことと住むことだけではなくて、どのようなものを食べて、自分の近くに誰が住んでいて、どのようなものでできた家に暮らして、ということは自分自身の仕事にも関わるので、そういうところを掘り下げて仕事をしていきたいと、やぼろじにいながら思っている。

講師3名の話の終了後には、参加者からの質疑応答、そして、参加者同士で講師の話を聞いた感想や気になったところを話し合った。

講師の話を聞く、参加者どうしで話しあう、そして、一人で考えるという時間を通じて、参加者それぞれが「しっくりくる」暮らしの場所について考える場がつくれたのではないかと思います。

この日一日で何かが解決した、とまではいかないかと思いますが、これから長く続くであろう自分の暮らしと場所について考えていくこと、そのきっかけになればと思います。

(授業コーディネーターしごと課:堀田 顕人)