シブヤ大学

シブヤ大学ツーリズム20 『アーキペラゴ~多島海社会~@香川』
プログラムA 『島に暮らすということ〜大島と男木島〜』

10:30-00:00
  • 瀬戸内海の島々
  • 森和男さん [大島青松園入所者/自治会長]、山本隆久さん [大島青松園入所者/陶芸部所属]、脇林清さん [大島青松園入所者/写真家]、大澤宏敏さん [大島青松園職員]、柾木俊幸さん [高松市立男木中学校 校長]
参加費
無料
定員
10名
参加対象
どなたでも。

当日の持ち物
動きやすい服装、汚れてもよい靴、雨天時のための雨具(傘やレインコート)、防寒着、洗面具、筆記用具などは必ずご持参下さい。その他の持ち物については左記の注意事項をご確認下さい。
申し込み方法
上記受付期間中、当WEB上の申し込みフォームより<先着順>にて受付
※定員になり次第、受付を締め切らせていただきます。
※1回のお申し込みにつき、1名様のご参加となりますのでご了承ください。
同じ方が同じ授業に2回申し込みは出来ません。
【授業料(実費)】34,000円(船代、食事、宿泊、各種材料・体験の代金)につきましては、事前入金となります。お申込確認時に㈲八栗観光より内容確認および振り込み案内のメールをさせて頂きますので、内容をご確認の上、指定された方法にて3日以内にご入金下さい。
【集合】集合場所へは時間までに必ずお集まり下さい。
【撮影等】本授業では、授業中以外の写真撮影のみ認めます。その他の録音機器等のお持込は固くお断りさせて頂きますので、ご了承下さい。
※1:本授業は、2泊3日の<現地集合型ツアー>となります。
※2:本授業へのお申し込みは「先着順」となっております。申込締切日は、11月10日(火)0時までとさせて頂きます。(ただし、定員となり次第締め切らせて頂きます。)
※3:本授業は旅行業法上、㈲八栗観光の旅行企画・実施となります。
※4:定員をオーバーしてお申込があった際にはキャンセル待ちの受付とさせて頂き、後日㈲八栗観光よりその旨をメールにてご連絡させて頂きます。
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<本ページは『プログラムA』のお申込ページとなります。>
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※お申し込みの際には以下の2つのコースから1つを選択して下さい。
■プログラムA 『島に暮らすということ〜大島と男木島〜』(本ページよりお申込可)
■プログラムB 『島に暮らすということ〜豊島と小豊島〜』(別ページよりお申込み下さい)
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「NPO法人アーキペラゴ」とのコラボレーションにより実現する、瀬戸内海の島々を舞台にした「シブヤ大学ツーリズム」プログラム。今回のツーリズムは、2010年に開催される瀬戸内国際芸術祭に向け、瀬戸内に暮らす地域住民が自らの故郷の魅力を再発見し、人と文化のネットワークを再構成しようとする社会実験に、「シブヤ大学」が特別参加するプログラムです。

「NPO法人アーキペラゴ」とは、四国の多島海~アーキペラゴ~が今なお維持しているネットワーク型社会モデルに注目し、その危うさと可能性を共に資源とみなし、それを未来の社会モデル探求に向けた小さな実験場と見立てて活動を行う非営利組織です。今回のツーリズムプログラムは、2010年の瀬戸内国際芸術祭の開催を控えた彼らが、その舞台となる瀬戸内に暮らす人々と共に、「自律分散しつつも協調する」という多島海ならではの社会モデルを改めて評価し、地域内外の人とその価値を共有することを目的として企画・実施されます。

今回の《シブヤ大学ツーリズム by NPO法人アーキペラゴ》は、瀬戸内の島々を舞台に始まった社会実験に特別参加し、2つのプログラム(A、B)で開催します。

【授業プログラム】
■プログラム総合: 『島々とアートの可能性〜国立療養所大島青松園と男木島〜』
大島は、香川県の県庁所在地・高松市から船で約20分の海に浮かぶ島。「国立療養所大島青松園」には、ハンセン病の治療を終えた方々が暮らしています。そこは、2010年に開かれる「瀬戸内国際芸術祭」の舞台の一つ。すでに「やさしい美術プロジェクト」のアートディレクター高橋伸行さん(http://gp.nzu.ac.jp/directorblog/)が島に入り、創作活動を開始されています。
今回のツーリズムは、大島の理解はもちろん、そこで展開されているアート活動を軸に、島の内と外(私たち)を結ぶ試みともいえます。ハンセン病と共に歩んだ、大島青松園の施設全体と島の景観を知り、その体感を基に、私たちが瀬戸内国際芸術祭にどのように関わることができるの、そのことが大島と私たちの関係性にどんな変化を生み出す可能性があるのかを考えます。
(※やさしい美術プロジェクトとは、病院とアーティスト、デザイナーとの協働で 「安らぎのある医療環境」「地域に開かれた病院」を創出するアートプロジェクトです。)
2日目に渡る男木島は、高松市から船で約40分の海に浮かぶ島。ここに暮らす人々の多くは高齢ですが、豊かさと不便さが共存するこの島に今も暮らし続けています。大島とは少し違う理由で、過度の少子高齢化を迎えているこの島に、それでもなお暮らし続ける人たちと語らう時間から、僕たちは僕らの自身の未来を感じ取れるかもしれません。この島もまた、瀬戸内国際芸術祭の舞台です。
いっけん四方を海に囲まれて孤立しているように見える島々も、そこに暮らす人々も、実は一つの海によってつながっています。島を一つの社会として捉えたとき、このつながりは何を意味するのでしょうか。2つの島を渡り、それぞれの島に暮らす人それぞれの生き様を知り、それぞれの島に暮らす人それぞれが話し始める言葉に触れながら過ごす時間。それは、他でもなく僕ら自身の生き様や、他者との関係性を見つめなおす時間になるかもしれません。

■プログラム1: 『大島を知る』
昼食をとりながら、大島について学びます。大島の歴史は、ハンセン病の歴史です。ハンセン病は、ハンセン氏によって1873年(明治6年)に『らい菌の体内侵入による慢性感染症である』ことが解ったことに因んで名付けられた疾患。1996年(平成8年)に『らい予防法』が廃止されるまでの間、日本はその患者たちを隔離する政策をとり続けました。大島は、その一つの場所です。現在、すべての患者さん(当時)は治療を終え、後遺症と高齢に伴うケアを主な目的として島に暮らしています。治療を終えているので、彼らは患者ではなく入所者と呼ばれています。
<先生:大澤宏敏さん/大島青松園職員>



■プログラム2: 『島で入所者に会う』
入所者自治会にて、入所者の方とごあいさつ。その後、「納骨堂」「風の舞」を参拝します。今も島に暮らす人たちにとって特別なこの場所で、これまで島に暮らしてきた人たちの存在に思いを馳せます。



■プログラム3: 『名人講座』
(A~Cまでの3班に分かれてのプログラムになります。ツアーお申し込み後、当日までの間にご希望を伺うため、アーキペラゴよりメールなどで連絡をいたします。)

治療を終えた後も島で暮らしている入所者を先生に迎え、3コースに分かれて過ごします。
― 「Aグループ:森さん、野村さんと施設めぐり」
<先生:森和男さん(施設入所者/大島自治会会長)、野村宏さん(施設入居者/入所者自治会副会長)>
大島青松園の施設(大島神社、宗教地区、不自由者棟、病院、船小屋など)を見学し、大島での暮らしについてお話を聞きます。



― 「Bグループ:大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」
<先生:山本隆久さん(施設入所者/陶芸家)>
大島焼きのできるまでを映像で学び、その後ワークショップ「タイルをつくろう」に取り組みます。タイルは、瀬戸内国際芸術祭にて、カフェの内装に使う予定です。



― 「Cグループ:脇林さんと一緒に大島の様子を写真で記録」
<先生:脇林清さん(施設入所者/写真家)>
大島の自然を学び、その自然を記録し続ける脇林さんの写真作品の鑑賞をします。その後ワークショップ「大島の松を撮ろう」に取り組みます。松の写真は、瀬戸内国際芸術祭のギャラリーに展示する予定です。



<夕食について>
大島にて食事、宿泊をします。夕食をつくる設備は充実していないため、食事はお弁当になります。それは、入所者も同じです。高齢者の多い大島では、食事の時間が来れば、それぞれの部屋までお弁当が配られます。私たちはこの夜、入所者とメニューは違うものの、夕食にお弁当という入所者の日常を体験します。
お酒(主にビール)とソフトドリンクは、島内の自動販売機にて購入可能です。おつまみなどは、各自ご持参ください。

■プログラム4: 『校長先生と歩く男木島』
男木中学校には現在、2年生が3名在籍しています。1年生と3年生は0名で、彼/彼女たちが卒業を迎えると休校になることが予定されています。その学校の校長先生の出迎えを受け、港で簡単な自己紹介をした後、校長先生の案内で島内を散策します。
<先生:男木中学校長/柾木俊幸さん>



■プログラム5: 『休校予定の男木中学校で学ぶ』
いまの在校生が卒業すると休校となる男木中学校。中学校の様子を見学した後、その歴史やいまの様子を通して、島で学ぶとは?島で生まれ育つとは?といったテーマを考え、僕ら自身の生き様や、他者との関係性を見つめなおす時間にします。
<先生:男木中学校長/柾木俊幸さん、男木中学校OB/調整中>



■プログラム6: 『それぞれの経験を共有する』
同じ時間、同じ瀬戸内の多島海を旅していた僕らが一堂に会し、お互いが島々で経験した意識の変化や知識、思いを交流し共有します。それは、次に旅する島を探す時間。


■施設紹介
【1.体験の場 国立療養所大島青松園】
明治40年3月19日に法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定され、同年7月22に日「内務省令第20号・同施行規則」が発令されたことにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになった。第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県。高知県の8県連合で第4区療養所として設置された。本園の創設に際して、明治40年9月26日に設立申請を行い、明治41年1月27日に認可・決定された。そして「第4区療養所」として、明治42年4月1日に発足し、所在地・香川県知事の管理になった。患者定床は200床で、21名の職員定数が配置された。明治43年に「大島療養所」と改称した。その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となった。昭和16年7月1日、所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称し、さらに昭和21年11月2日に『国立療養所大島青松園』と改称した。昭和22年4月から、入所者に患者慰安金が支給された(昭和46年『患者給与金』に変更し、国民年金拠出制障害年金一級相当額の支給に改められた)昭和24年から、スルフォン剤によるハンセン病の治療が予算化され、全入所者に対する治療が開始され、治療による軽快退所が始まった。昭和27年4月、付属准看護学院が併設されて、本園の看護職員の確保対策となった。(昭和53年『付属准看護学校』と改称され、平成11年3月31日に閉校となる。)昭和28年8月、『法律第214号らい予防法』が公布、昭和29年4月から患者家族への家族援護が開始、昭和36年から不自由者の介護要員が患者から職員へ切り替えられ、昭和48年から園内の患者作業が職員による作業に返還された。平成8年4月1日『らい予防法』が廃止され、新患者の治療は一般医療機関において健康保険適応疾患として取り扱われるようになった。さらに、『らい予防法廃止に関する法律』が施行され、入所者は『患者』から『入所者』に改称され、入所者に対する療養の保証や『退所』『再入所』に関する規定が定められた。平成11年10月1日までの入所者数3,923名、退所者数823名、園内死亡者数1,970名。入所者の療養生活は、プライバシーを考慮した個室(単身用・夫婦用)に入居している。園内の設備はあたかも村落のようであり、公会堂・老人福祉会館・売店・理美容室・郵便局・公園・宗教施設等を備え、ここのライフスタイルが生かされている。また、給食センター・電気・水道・洗濯・環境整備等に関する施設と職員配置により、入所者の生活サービスがはかられている。日常生活に介助を必要とする人々は、不自由者センター(老人ホーム・身体障害者ホームのような施設)に入居し、看護師の健康管理や介護員の生活介助を受けて快適な日常を送っている。健康管理や病気治療のために、外来治療棟・リハビリテーション棟・病棟があり、通院・入院による治療を受けている。このような種々の環境の中で、入所者自治会を核として機関誌(青松・灯台)の発行、クラブ活動(カメラ・川柳・俳句・短歌・詩歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸等)が続けられている。これらの活動は、園内のみに留まらず、地元地域や他の組織団体との交流に拡大されてきている。(以上「国立療養所大島青松園」より抜粋)



【2.体験の場 男木島】
高松港から船で40分のところにある島。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段(島の散策で歩きます!)は、男木島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(ご存知でしょうか?1957年に松竹が制作、公開した木下惠介監督の映画作品)の舞台になったところです。



【3.体験の場 高松市立男木中学校】
1891年(明治24年)に男木尋常小学校として創立。当時、全校児童数51名。多数在籍時代は、昭和29年81名、昭和35年78名という記録が残されているものの、現在は2年生男子2名、女子1名の合計3名が在校。中学1年生以下の学齢住民はいないため、この3名が卒業した後は休校が確定しており、再開の目処はない。



■スケジュール
<1日目:11月21日(土)> 朝:× 昼:× 夜:○
10:30 JR高松駅 コンコース内「DAITEMMAI」彫刻前 集合10:40 高松港旅客ターミナルビルへ移動・オリエンテーション11:30 プログラム1 『大島を知る』 開始
12:30〜13:30 大島の歴史と現状のお話/講師:大澤さん
13:35 大島行きの船乗り場に移動
13:55 高松港発
14:20 大島着
14:30 プログラム2 『島で入所者に会う』 開始
14:30〜15:00  入所者自治会にて顔会わせ。同時に「やさしい美術プロジェクト」の方とも、ここでお会いします。その後、全員で「納骨堂」「風の舞」を参拝
15:00〜17:00 プログラム3 『名人講座』 開始
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Aグループ「森さん、野村さんと施設めぐり」/講師:森さん、野村さん(施設入所者)
15:00〜16:00大島青松園の施設見学(大島神社、宗教地区、不自由者棟、病院、船小屋など)
16:00〜17:00 大島での暮らしについてなど、お話をお聞きします。

Bグループ「大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」/講師:山本さん(施設入所者/陶芸)
15:00〜17:00 大島焼 窯出し、大島焼のできるまで(映像にて、採土から精製まで、土練りから本焼成までを学びます)その後、ワークショップ「タイルをつくろう」

Cグループ「脇林さんと一緒に大島の様子を写真で記録」/講師:脇林さん(施設入所者/写真)
15:00〜16:20 大島の自然と向き合う〜脇林氏の作品鑑賞〜、ワークショップ「大島の松を撮ろう」
16:30〜17:00 作品発表会
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18:00〜19:00 夕食、懇親会
入浴
22:00 就寝

<2日目:11月22日(日)> 朝:× 昼:○ 夜:○
7:00 起床、島内散策
8:25 大島発
8:45 高松着
9:00〜9:45 朝食
10:00 高松発
10:40 男木島着
10:40〜 プログラム4 『校長先生と歩く男木島』/先生:男木中学校長・柾木俊幸さん
11:30〜13:00 昼食@浜上旅館
13:15〜14:10 プログラム5 『休校予定の男木中学校で学ぶ』/先生:男木中学校長/柾木俊幸さん、男木中学校OB(調整中)
14:30〜 男木港に向けて出発
15:00 男木島発
15:40 高松港着
16:10 高松港発
17:05 豊島着
17:35 宿泊施設「アモーレテシマリゾート」 到着
18:00 プログラム6 『それぞれの経験を共有する』 開始
19:00 夕飯/交流会
21:00 入浴・就寝(任意)

<3日目:11月23日(月・祝)> 朝:○ 昼:× 夜:×
07:30 起床
08:00 朝食
09:00 宿泊施設 出発
09:30 豊島家浦港にて解散

※高松港行きの船『13時50分、17時20分』
※高松空港行きのバス(高松駅発)『16時53分、16時56分、16時58分、17時38分』
※東京行きの空の便(高松空港発)『18時40分(ANA540)19時10分(JAL1414)』

【注意事項】
※1:船代、食事(上記スケジュール内〇印のあるもののみ)、宿泊、各種材料・体験の代金として、お一人あたり「34,000円」をご旅行代金として頂戴いたします。(初日の高松までの交通費及び最終日の豊島家浦港からの交通費は含まれません。)

※2:このコースは屋外での食事があります。ゴミを削減するために、できるだけマイカップとマイ箸をご持参ください。ご協力よろしくお願いします。

※3:2日目に行われる交流会の際のお飲物代(アルコール類、ソフトドリンク類)につきましては、上記1の代金には含まれておりません。当日アルコール類、ソフトドリンク類をご希望の方から「2,000円」、ソフトドリンク類のみご希望の方から「1,000円」を頂戴いたしますので、予めご了承ください。

※4:動きやすい服装、汚れてもよい靴、雨天時のための雨具(傘やレインコート)をご持参ください。海の上、夜間は冷え込みますので、防寒着をご持参されます事をお勧めいたします。

※5:宿泊施設は相部屋利用となります。大島ではタオル、寝間着、歯ブラシ等の備え付けはございませんので各自にてご用意ください。トイレ・お風呂・洗面所は共同です。

※6:先生方がご高齢であることもあり、やむを得ない諸事情・天候によっては一部プログラムを変更の上、実施する場合があります。

※7:お申し込み頂いた方には、㈲八栗観光より内容確認および振り込み案内のメールをさせていただきますので、メール到着より3日以内にご入金ください。
<ご注意>キャンセルの際は必ず㈲八栗観光までご連絡いただきますようお願い申し上げます。(八栗観光 TEL:087-845-0860 担当:薦田(こもだ)・繁本(しげもと))

※8:最小催行人数は5名以上とし、添乗員、バスガイドは乗務いたしません。

※9:お客様の個人情報はお客様との連絡のために利用させていただく他、お客様がお申し込みいただいた旅行において運送・宿泊機関などの提供するサービスの手配及び受領のための手続きに必要な範囲内で利用させていただきます。運送・宿泊機関などへの個人情報の提供について同意の上お申し込みください。

※10:やむを得ない事情でツアーを中止する場合があります。ご了承ください。

※11:インフルエンザの流行の程度によっては、大島に入る前に体調の自己申告を求める場合があります。あらかじめご了承ください。


【お問い合せ先】
NPO法人アーキペラゴ
TEL:087−811−7707
MAIL:info@archipelago.or.jp
担当:片山(かたやま)


■教室紹介
【1.大島】
庵治港の北西約2.5kmの海上にある。古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、「墓標の松」として残っている。江戸期には高松藩最大の島として山守りが置かれ、明治時代には10戸ほどが半農半魚の生活を営んでいた。もともとは2つの島からなり、砂洲でつながった。標高67.6mと小柄な山体で、中央の平坦部には明治42年に中国・四国8県連合の大島療養所として設立された国立療養所大島青松園がある。青松園では、昭和6年から入園者自身による自治会(協和会)が発足しており、昭和56年3月には自治会50年史の発刊もなされている。2010年の瀬戸内国際芸術祭の舞台となる島の一つ。



【2.男木島】
高松港から船で40分のところにある島。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段(島の散策で歩きます!)は、男木島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(ご存知でしょうか?1957年に松竹が制作、公開した木下惠介監督の映画作品)の舞台になったところです。


先生

[ 大島青松園入所者/自治会長 ]

森和男さん

1949年入所。現在68歳。9歳で大島青松園に入所し、高校は島外に通ったものの、人生の大半を大島で過ごす。大島における「自治」とは、辞書通り「自分たちのことを自分たちで処理すること」であり、森さんの症状は軽傷であったことから自治に尽力された。1970年代あたりまでは、埋葬も自治会の重要な任務のひとつであり、仲間が亡くなるたび、山に薪を取りに行って火葬し、手を合わせた。「人がお位牌になるまで、28巻の薪が必要なんです」と話す森さんの表情は、深くてやわらかい。2008年より自治会長となり、先日も高松市で行われた「ハンセン病問題基本法施行記念 講演と映画のつどい」において、ハンセン病療養所の将来構想について積極的に意見を述べられた。

[ 大島青松園入所者/陶芸部所属 ]

山本隆久さん

1952年入所。現在76歳。山本さんの活動の拠点としている陶芸教室は、1989年に国の施策で大島にできたリハビリ施設のひとつ。その時に初めて陶芸が身近なものとなり、いまからおよそ10年前にそこで創作活動を開始。何も分からない状態からのスタートで、美濃市や瀬戸市などの窯元に見学に行くなどして、その世界を深めた。島内の山から土を掘り出し、ふるいに掛けてと、およそ10ヶ月もかかる土づくりから焼き上げまでのすべての工程を手掛ける。「陶芸が社会交流の一助になれば」という願いをもちながらも、「先生という立場ではなく、訪れた人と一緒になって私も学びたい」と知的好奇心はとどまるところを知らない。

[ 大島青松園入所者/写真家 ]

脇林清さん

1948年入所。現在78歳。キヤノンのカメラで8年前から写真を撮り始め、現在はニコンD200/300を愛用。レンズなどのカメラ機材は、官用船で約20分、そこからタクシーで10分くらいのところにある高松市街地の商店街に自分で足を運び、選ぶ。島内にある「大島会館」の廊下では、毎週、脇林さんの新作が発表される。脇林さんしか知らない島内の撮影ベストスポットも。写真を極める一方、キリスト教に対する信仰が厚く、島にあるキリスト教会のひとつ「大島霊交会」の季刊誌「霊交会(大正8年から発刊)」の足跡をたどることをライフワークとしている。霊交会をつくったメンバーが、島の自治会もつくったという点に着目し、島の歴史を後生に伝えることが自らの大事なつとめと自認。

[ 大島青松園職員 ]

大澤宏敏さん

1960年生まれ。O型。20代〜30代は、映像デイレクターとしてローカルCM、瀬戸大橋博覧会、高松市政100周年式典などの映像制作に従事。40代から福祉業務に転身し、現在にいたる。6年前から余暇を活用して、高松市美術館ボランティア「civi」のメンバーに参加。「次世代の美術ファン・将来の芸術家」の発掘を目的に、小中学生を対象にした美術イベント、ワークショップなどを企画・実施している。老後は「大人を慰める」絵本作家になるのが夢。

[ 高松市立男木中学校 校長 ]

柾木俊幸さん

1953年香川県高松市に生まれ、同市にて育つ。教育者である父親の影響もあり教員をこころざし、1976年より教員として坂出市、高松市の小学校の教壇に立つ。専門は理科。香川大学教育学部附属高松小学校、高松市教育委員会などを経て、2008年より現職。再開の目処が立たない高松市立男木中学校の最後の校長となるかもしれない。

教室

瀬戸内海の島々

瀬戸内海は世界につながる海。そこに浮かんだ「日本列島」の中で、四番目に大きな島「四国」。その北東部に位置する半島「香川県」の北に広がる内海(うちうみ)には、実に116の島々が点在し、そこは今も住民の生活の舞台。長い歴史の中で、お互いがお互いを理解し合いながら、海を渡る船を通じてつながることで、共に生きていくための「多島海社会~アーキペラゴ~」は生まれました。それぞれの島には、それぞれの事情があり、それぞれの悩みがあり、ぞれぞれの魅力があります。良いことも悪いことも、海を通じてやって来て、また海へと旅立っていく。その全てを受け止めながら、よどみなく生活は続いていく。強くてもろいバランスの上にかたちづくられたネットワークのイメージ。それはまるで、人と人、国と国の関係性にも似ています。

所在地
香川県