シブヤ大学

シブヤ大学ツーリズム16 『アーキペラゴ~多島海社会~@香川』
プログラムA 『島に暮らすということ〜国立療養所大島青松園と豊島〜』
【Bチーム:大島「山本さんの授業」+豊島「おじいちゃん、おばあちゃん訪問」】

10:30-00:00
  • 瀬戸内海の島々
  • 森和男さん [大島青松園入所者/自治会長]、山本隆久さん [大島青松園入所者/陶芸部所属]、脇林清さん [大島青松園入所者/写真家]、大澤宏敏さん [大島青松園職員]、砂川三男さん [廃棄物豊島住民会議 元議長 ]、石原正彦さん [豊島神愛館 施設長]、豊島のおじいちゃん、おばあちゃん
参加費
無料
定員
5名
参加対象
どなたでも。

当日の持ち物
動きやすい服装、汚れてもよい靴、雨天時のための雨具(傘やレインコート)、防寒着、洗面具、筆記用具などは必ずご持参下さい。その他の持ち物については左記の注意事項をご確認下さい。
申し込み方法
上記受付期間中、当WEB上の申し込みフォームより<先着順>にて受付
※定員になり次第、受付を締め切らせていただきます。
※1回のお申し込みにつき、1名様のご参加となりますのでご了承ください。
同じ方が同じ授業に2回申し込みは出来ません。
【授業料(実費)】24,800円(バス、ガソリン、食事、宿泊、各種材料・体験の代金)につきましては、事前入金となります。お申込確認時に㈲八栗観光より内容確認および振り込み案内のメールをさせて頂きますので、内容をご確認の上、指定された方法にて5日以内にご入金下さい。
【集合】集合場所へは時間までに必ずお集まり下さい。
【撮影等】本授業では、授業中以外の写真撮影のみ認めます。その他の録音機器等のお持込は固くお断りさせて頂きますので、ご了承下さい。
※1:本授業は、1泊2日の<現地集合型ツアー>となります。
※2:本授業へのお申し込みは「先着順」となっております。
※3:本授業は旅行業法上、㈲八栗観光の旅行企画・実施となります。
※4:定員をオーバーしてお申込があった際にはキャンセル待ちの受付とさせて頂き、後日㈲八栗観光よりその旨をメールにてご連絡させて頂きます。
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<本ページは『プログラムA-(Bチーム)』のお申込ページとなります。>
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※お申し込みの際には以下の3つのコースから1つを選択して下さい。
(A)大島「森さんの授業」+豊島「乳児院訪問」(別ページよりお申込み下さい)
(B)大島「山本さんの授業」+豊島「おじいちゃん、おばあちゃん訪問」(本ページよりお申込可)
(C)大島「脇林さんの授業」+豊島「おじいちゃん、おばあちゃん訪問」(別ページよりお申込み下さい)
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「NPO法人アーキペラゴ」とのコラボレーションにより実現する、瀬戸内海の島々を舞台にした「シブヤ大学ツーリズム」プログラム。今回のツーリズムは、2010年に開催される瀬戸内国際芸術祭に向け、瀬戸内に暮らす地域住民が自らの故郷の魅力を再発見し、人と文化のネットワークを再構成しようとする社会実験に、「シブヤ大学」が特別参加するプログラムです。

「NPO法人アーキペラゴ」とは、四国の多島海~アーキペラゴ~が今なお維持しているネットワーク型社会モデルに注目し、その危うさと可能性を共に資源とみなし、それを未来の社会モデル探求に向けた小さな実験場と見立てて活動を行う非営利組織です。今回のツーリズムプログラムは、2010年の瀬戸内国際芸術祭の開催を控えた彼らが、その舞台となる瀬戸内に暮らす人々と共に、「自律分散しつつも協調する」という多島海ならではの社会モデルを改めて評価し、地域内外の人とその価値を共有することを目的として企画・実施されます。

今回の《シブヤ大学ツーリズム by NPO法人アーキペラゴ》は、瀬戸内の島々を舞台に始まった社会実験に特別参加し、2つのプログラム(A、B)で開催します。

【授業プログラム】
■プログラム総合:『島に暮らすということ〜国立療養所大島青松園と豊島〜』
大島は、香川県の県庁所在地・高松市から船で20分の海に浮かぶ島。現在、国立療養所大島青松園には、ハンセン病の治療を終えた方々が暮らしています。一方、豊島は、高松市から船で30分の海に浮かぶ島。ここに暮らす人々の多くは高齢ですが、豊かさと不便さが共存するこの島に今も暮らし続けています。いっけん四方を海に囲まれて孤立しているように見える島々も、そこに暮らす人々も、実は一つの海によってつながっています。島を一つの社会として捉えたとき、このつながりは何を意味するのでしょうか。2つの島を渡り、それぞれの島に暮らす人それぞれの生き様を知り、それぞれの島に暮らす人それぞれが話し始める言葉に触れながら過ごす時間。それは、他でもなく僕ら自身の生き様や、他者との関係性を見つめなおす時間になるかもしれません。

■プログラム1:『国立療養所大島青松園』
治療を終えた後も島で暮らしている入居者の方々や、日々療養所の運営にあたられている施設スタッフの方と一緒に、彼らの日常を共に過ごします。大島に到着したら、まずは施設スタッフの大澤さんと一緒に海岸を清掃します。3グループに分かれたら、Aグループは島の自治会長の森さんと一緒に島と施設を散策、Bグループは島の陶芸家の山本さんと島の土を加工して陶芸用の土づくり、Cグループは島の写真家の脇林さんと島の写真撮影。その後、全員で納骨堂を参拝させていただき、島を後にします。

「島の日常業務のお手伝い〜海外清掃〜」
<先生:大澤宏敏さん/大島青松園職員>



「Aグループ:森さんのお話を聞きながら島を散策」
<先生:森和男さん(施設入居者/大島自治会会長)>



「Bグループ:山本さんと島の土を使って陶芸用の土づくり」
<先生:山本隆久さん(施設入居者/陶芸家)>



「Cグループ:脇林さんと一緒に島の様子を写真で記録」
<先生:脇林清さん(施設入居者/写真家)>



「納骨堂参拝の後、火葬場と記念碑〜風の舞〜へ」



■プログラム2:『島の人との交流会』
産業廃棄物の不法投棄に苦しんだ時代を自らの力で乗り越え、文字通り豊かな島へと再生を果たした豊島。経済の発展から停滞への流れと同じくして数十年の間に起きた島の出来事、その真っただ中を生きてこられた島の方々と語り、酒を酌み交わします。
<先生:豊島に暮らす皆さん>



■ プログラム3:『アースデイかがわ in 豊島』
産業廃棄物の不法投棄から島の自己治癒力によって再生を果たした豊島が、島自体を広く社会に解放し、島の外の人へも英知を還元しようとする活動が「アースデイかがわin豊島」。今年のテーマは、「豊島で考えよう未来ある暮らし」「そだてつづけよう 瀬戸の里海・里山」です。早朝、島の方々と共に豊島産廃現場の水ヶ浦で海岸清掃の後、島が島の権利を守り通した歴史的瞬間を語り継ぐ場である「公害調停成立記念セレモニー」に立ち会い、産廃現場に隣接する「心の資料館」で産業廃棄物をめぐる島の意思と行動を追体験します。
<先生:廃棄物豊島住民会議元議長 砂川三男さん>



■プログラム4:『島に暮らす人を訪ねる』
Aグループは島の乳児院「豊島神愛館」を訪問。この島になぜ乳児院がつくられたのか、島の乳児院を知った僕らは何を始められるのか、施設の先生や子供たちとの触れ合いの中で、その答えを探します。Bグループは島のおじいちゃん、おばあちゃんのお宅へ訪問。手入れできなくなった庭の草むしりをお手伝いした後は一緒にお茶を飲み、彼女たちが話してくれる言葉の一つ一つに耳を傾けます。

「Aグループ:乳児院を訪ねて子供たちと遊ぶ」
<先生:豊島神愛館 施設長 石原正彦さん>



「Bグループ:島のおじいちゃん、おばあちゃんを訪ねて草むしりのお手伝い」
<先生:島のおじいちゃん、おばあちゃん>



■施設紹介
【1.体験の場 国立療養所大島青松園】
明治40年3月19日に法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定され、同年7月22に日「内務省令第20号・同施行規則」が発令されたことにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになった。第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県。高知県の8県連合で第4区療養所として設置された。本園の創設に際して、明治40年9月26日に設立申請を行い、明治41年1月27日に認可・決定された。そして「第4区療養所」として、明治42年4月1日に発足し、所在地・香川県知事の管理になった。患者定床は200床で、21名の職員定数が配置された。明治43年に「大島療養所」と改称した。その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となった。昭和16年7月1日、所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称し、さらに昭和21年11月2日に『国立療養所大島青松園』と改称した。昭和22年4月から、入所者に患者慰安金が支給された(昭和46年『患者給与金』に変更し、国民年金拠出制障害年金一級相当額の支給に改められた)昭和24年から、スルフォン剤によるハンセン病の治療が予算化され、全入所者に対する治療が開始され、治療による軽快退所が始まった。昭和27年4月、付属准看護学院が併設されて、本園の看護職員の確保対策となった。(昭和53年『付属准看護学校』と改称され、平成11年3月31日に閉校となる。)昭和28年8月、『法律第214号らい予防法』が公布、昭和29年4月から患者家族への家族援護が開始、昭和36年から不自由者の介護要員が患者から職員へ切り替えられ、昭和48年から園内の患者作業が職員による作業に返還された。平成8年4月1日『らい予防法』が廃止され、新患者の治療は一般医療機関において健康保険適応疾患として取り扱われるようになった。さらに、『らい予防法廃止に関する法律』が施行され、入所者は『患者』から『入所者』に改称され、入所者に対する療養の保証や『退所』『再入所』に関する規定が定められた。平成11年10月1日までの入所者数3,923名、退所者数823名、園内死亡者数1,970名。入所者の療養生活は、プライバシーを考慮した個室(単身用・夫婦用)に入居している。園内の設備はあたかも村落のようであり、公会堂・老人福祉会館・売店・理美容室・郵便局・公園・宗教施設等を備え、ここのライフスタイルが生かされている。また、給食センター・電気・水道・洗濯・環境整備等に関する施設と職員配置により、入所者の生活サービスがはかられている。日常生活に介助を必要とする人々は、不自由者センター(老人ホーム・身体障害者ホームのような施設)に入居し、看護師の健康管理や介護員の生活介助を受けて快適な日常を送っている。健康管理や病気治療のために、外来治療棟・リハビリテーション棟・病棟があり、通院・入院による治療を受けている。このような種々の環境の中で、入所者自治会を核として機関誌(青松・灯台)の発行、クラブ活動(カメラ・川柳・俳句・短歌・詩歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸等)が続けられている。これらの活動は、園内のみに留まらず、地元地域や他の組織団体との交流に拡大されてきている。(以上「国立療養所大島青松園」より抜粋)



【2.体験の場 豊島産業廃棄物不法投棄現場「心の資料館」】
不法投棄業者が作業員の休憩所および事務所として使用していた建物をそのまま活用し、豊島住民手作りの資料館として公開している建物。シュレッダーダストの断面や、500人あまりの当時の反対運動参加者名簿、全国から寄せられた何十万通もの署名など、生きた資料がところせましとならぶ。ここで、住民会議元議長の砂川さんが時に淡々と時に切々と語る「豊島事件の経緯」に胸が熱くなり涙する人は後を絶たない。



【3.体験の場 乳児院「豊島神愛館」】
豊島神愛館は戦後間もない昭和22年、故賀川豊彦氏のすすめで、ミルクとハチミツの島・豊島に開所。現在は生後1ヶ月から3歳の、何らかの理由により家庭で育てられない乳児達が献身的な愛のもとにすくすくと育っている。



【4.体験の場 豊島のおじいちゃん、おばあちゃんの家】
元気だった頃には自分で手入れが出来ていた庭。草が生えたり、少しずつ荒れたりしていく様子を、おじいちゃん、おばあちゃんは島の暮らしの中で毎日気にされている。今回は島の公民館便りで、実際に庭の手入れを希望するおじいちゃん、おばあちゃんのご自宅に訪問する。



■スケジュール
【当日の流れ】
<1日目:6月6日(土)> 朝:× 昼:○ 夜:○
10:30 JR高松駅 コンコース内「DAITEMMAI」彫刻前 集合10:40 高松港旅客ターミナルビルへ移動 オリエンテーション11:10 高松港発 大島行き官用船 乗船
11:30 大島港 到着
11:30〜12:15 昼食(大島港付近の海岸にて)
12:15 プログラム1 『国立療養所大島青松園』 開始
12:15〜12:50 大島東海岸の漂着ゴミ清掃/講師:大澤さん
12:50 グループに分かれてワークショップ
Aグループ「国立療養所大島青松園を知る」/講師:森さん
13:00〜16:30 島歩きと施設歩き
Bグループ「島の土で器をつくる」/講師:山本さん
13:00〜16:00 島歩きと施設歩き
Bグループ「島で陶芸用の土をつくる」/講師:山本さん
13:00〜14:30 島歩きと土探し
14:30〜16:00 陶芸用の土づくり
Cグループ「島で写真を撮る」/講師:脇林さん
13:00〜13:30 脇林さんの写真を見る
13:30〜15:30 島歩きと写真撮影
15:30〜16:00 各自の写真の発表会
A、B、Cグループ合同
16:00〜16:30 納骨堂と火葬場(風の舞)へ
17:00 大島港発 豊島行き海上タクシー 乗船
17:30 豊島唐櫃港 到着 バスで宿へ移動
18:00 唐櫃青年自然の家 到着
18:00〜19:00 風呂、発表会準備
19:00 両コース発表会
20:00 プログラム2 『島の人との交流会』 開始
22:00 宿泊準備・移動(※5)
23:00 入浴・就寝(任意)

<2日目:6月7日(日)> 朝:○ 昼:× 夜:×
06:00 起床
06:30 朝食
07:30 宿泊施設 出発
08:00 プログラム3 『アースデイかがわin豊島』 開始
08:00 島の人と一緒に豊島産廃現場の水ヶ浦で海岸清掃
09:00 公害調停成立セレモニー(住民会議主催)
10:00 産業廃棄物の資料館「心の資料館」見学
12:00 昼食(アースデイ会場にて各自購入)
13:00 プログラム4 『島に暮らす人を訪ねる』 開始
Aグループ「乳児院で暮らす子供を訪ねる」/講師:豊島神愛館 施設長 石原正彦
13:30〜14:30 乳児院の施設歩きと施設長のお話
14:30〜15:30 子供たちと一緒に遊ぶ
Bグループ「島のおじいちゃん、おばあちゃんを訪ねる」
/講師:おじいちゃん、おばあちゃん
13:30〜15:00 おじいちゃん、おばあちゃんの家の庭の草むしり
15:00〜15:30 おじいちゃん、おばあちゃんとお茶
16:00 豊島家浦港発 高松港行き高速艇 乗船
16:30 高松港 到着・現地解散
17:00 振り返りミーティング(任意)

※高松空港行きのバス(高松駅発)『16時53分、16時56分、16時58分、17時38分』
※東京行きの空の便(高松空港発)『18時40分(ANA540)19時10分(JAL1414)』

【注意事項】
※1:バス(一部各自負担)、高速艇、海上タクシー、ガソリン、食事(スケジュール中○印のあるもののみ)、宿泊、温泉、各種材料・体験の代金として、お一人あたり「24,800円」をご旅行代金として頂戴いたします。(高松までの往復交通費は含まれません)

※2:このコースは屋外での食事があります。ゴミを削減するために、できるだけマイカップとマイ箸をご持参ください。ご協力よろしくお願いいたします。

※3:1日目に行われる交流会の際のお飲物代(アルコール類、ソフトドリンク類)につきましては、上記1の代金には含まれておりません。当日アルコール類、ソフトドリンク類をご希望の方から「2,000円」、ソフトドリンク類のみご希望の方から「1,000円」を頂戴いたしますので、予めご了承ください。

※4:動きやすい服装、汚れてもよい靴、雨天時のための雨具(傘やレインコート)をご持参ください。夜は冷え込む時もありますので、防寒着をご持参されます事をお勧めいたします。

※5:宿泊施設は参加状況を勘案しながら「唐櫃青年自然の家」あるいは「民宿ティオリーブ」のいずれかへの宿泊となります。どちらの施設の場合にも、相部屋利用となります。タオル等の備え付けはございませんので各自にてご用意ください。トイレ・お風呂・洗面所は共同です。

※6:1日目の夜の「島の人との交流会」では、2つのプログラム参加者が一堂に集い、それぞれの体験をもとに交流していただく時間を用意します。

※7:先生方がご高齢であることもあり、やむを得ない諸事情・天候によっては一部プログラムを変更の上、実施する場合があります。

※8:お申し込み頂いた方には、㈲八栗観光より内容確認および振り込み案内のメールをさせていただきますので、メール到着より5日以内にご入金ください。
<ご注意>キャンセルの際は必ず㈲八栗観光までご連絡いただきますようお願い申し上げます。
(八栗観光 TEL:087-845-0860 担当:薦田(こもだ)・繁本(しげもと))
※9:最小催行人数は本ツアー全体で8名以上とし、添乗員、バスガイドは乗務いたしません。

※10:お客様の個人情報はお客様との連絡のために利用させていただく他、お客様がお申し込みいただいた旅行において運送・宿泊機関などの提供するサービスの手配及び受領のための手続きに必要な範囲内で利用させていただきます。運送・宿泊機関などへの個人情報の提供について同意の上お申し込みください。また、お電話にて受付後、詳しい旅行条件を説明した書面をお送りいたしますので事前にご確認の上、お申し込みください。

【お問い合せ先】
NPO法人アーキペラゴ
TEL:087−848−6881
MAIL:akari@eco.ocn.ne.jp
担当:片山明子(かたやまあきこ)

■教室紹介
【1.大島】
庵治港の北西約2.5kmの海上にある。古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、「墓標の松」として残っている。江戸期には高松藩最大の島として山守りが置かれ、明治時代には10戸ほどが半農半魚の生活を営んでいた。もともとは2つの島からなり、砂洲でつながった。標高67.6mと小柄な山体で、中央の平坦部には明治42年に中国・四国8県連合の大島療養所として設立された国立療養所大島青松園がある。青松園では、昭和6年から入園者自身による自治会(協和会)が発足しており、昭和56年3月には自治会50年史の発刊もなされている。2010年の瀬戸内国際芸術祭の舞台となる島の一つ。



【2.豊島】
瀬戸内海の東部、小豆島の西3.7kmの海上にある。中央部にそびえる壇山(340m)が最高点で海岸沿いと丘陵地に6集落がつくられている。豊島石の加工技術を基盤とした石材加工業が盛んで、また農・水産物の供給地としても重要な地位を占めている。わが国福祉界の草分け的存在である賀川豊彦が力を入れた福祉施設として乳児院、特別養護老人ホーム、精神薄弱者更生施設があり、「福祉の島」と呼ばれるゆえんとなっている。古来から稲作が盛んで豊かなことから豊島と名付けられたと言われる。昭和50年代後半から不法投棄された全国最大級の産業廃棄物問題が全国的な注目を集めていたが、平成12年に県と住民の間の公害調停が最終合意に達し、これをバネに新しい島づくりが動き出している。2010年の瀬戸内国際芸術祭の舞台となる島の一つ。

先生

[ 大島青松園入所者/自治会長 ]

森和男さん

1949年入所。現在68歳。9歳で大島青松園に入所し、高校は島外に通ったものの、人生の大半を大島で過ごす。大島における「自治」とは、辞書通り「自分たちのことを自分たちで処理すること」であり、森さんの症状は軽傷であったことから自治に尽力された。1970年代あたりまでは、埋葬も自治会の重要な任務のひとつであり、仲間が亡くなるたび、山に薪を取りに行って火葬し、手を合わせた。「人がお位牌になるまで、28巻の薪が必要なんです」と話す森さんの表情は、深くてやわらかい。2008年より自治会長となり、先日も高松市で行われた「ハンセン病問題基本法施行記念 講演と映画のつどい」において、ハンセン病療養所の将来構想について積極的に意見を述べられた。

[ 大島青松園入所者/陶芸部所属 ]

山本隆久さん

1952年入所。現在76歳。山本さんの活動の拠点としている陶芸教室は、1989年に国の施策で大島にできたリハビリ施設のひとつ。その時に初めて陶芸が身近なものとなり、いまからおよそ10年前にそこで創作活動を開始。何も分からない状態からのスタートで、美濃市や瀬戸市などの窯元に見学に行くなどして、その世界を深めた。島内の山から土を掘り出し、ふるいに掛けてと、およそ10ヶ月もかかる土づくりから焼き上げまでのすべての工程を手掛ける。「陶芸が社会交流の一助になれば」という願いをもちながらも、「先生という立場ではなく、訪れた人と一緒になって私も学びたい」と知的好奇心はとどまるところを知らない。

[ 大島青松園入所者/写真家 ]

脇林清さん

1948年入所。現在78歳。キヤノンのカメラで8年前から写真を撮り始め、現在はニコンD200/300を愛用。レンズなどのカメラ機材は、官用船で約20分、そこからタクシーで10分くらいのところにある高松市街地の商店街に自分で足を運び、選ぶ。島内にある「大島会館」の廊下では、毎週、脇林さんの新作が発表される。脇林さんしか知らない島内の撮影ベストスポットも。写真を極める一方、キリスト教に対する信仰が厚く、島にあるキリスト教会のひとつ「大島霊交会」の季刊誌「霊交会(大正8年から発刊)」の足跡をたどることをライフワークとしている。霊交会をつくったメンバーが、島の自治会もつくったという点に着目し、島の歴史を後生に伝えることが自らの大事なつとめと自認。

[ 大島青松園職員 ]

大澤宏敏さん

1960年生まれ。O型。20代〜30代は、映像デイレクターとしてローカルCM、瀬戸大橋博覧会、高松市政100周年式典などの映像制作に従事。40代から福祉業務に転身し、現在にいたる。6年前から余暇を活用して、高松市美術館ボランティア「civi」のメンバーに参加。「次世代の美術ファン・将来の芸術家」の発掘を目的に、小中学生を対象にした美術イベント、ワークショップなどを企画・実施している。老後は「大人を慰める」絵本作家になるのが夢。

[ 廃棄物豊島住民会議 元議長  ]

砂川三男さん

香川県生まれ。1975年の豊島産業廃棄物不法投棄事件勃発時より島民の先頭に立って長年行政の厚い壁と戦い抜き、最終合意に導いた長老の一人。産廃問題の最後の糸口を暗中で掴むために、「無謀だ」といわれた県議選に、命がけで石井とおる氏を擁立した勝手連の首謀メンバーでもある。現在も、一人でも多くの人に豊島のことを知ってもらおうと「枕から頭が離れている間はみんなの役に立ちたい」と産廃見学ツアーのガイドを献身的に引き受ける。島の生き仏。今年81歳。

[ 豊島神愛館 施設長 ]

石原正彦さん

1974年、戦後の厳しい社会に投げ出された身よりのない子供たち8人を預かった初代館長の吉村静枝さんと、社会福祉運動の推進者である賀川豊彦さんの意思を受け継ぐ施設長。賀川さんの助言でミルク(牛乳)を求めて豊島に移った吉村さんの時代から、これまでに1,200名以上の子供たちが巣立っている。

豊島のおじいちゃん、おばあちゃん

豊島に生まれ、豊島で育ち、今も豊島に暮らす方たち。
島の歴史を自らの人生として体験してきた偉大なる先人。

教室

瀬戸内海の島々

瀬戸内海は世界につながる海。そこに浮かんだ「日本列島」の中で、四番目に大きな島「四国」。その北東部に位置する半島「香川県」の北に広がる内海(うちうみ)には、実に116の島々が点在し、そこは今も住民の生活の舞台。長い歴史の中で、お互いがお互いを理解し合いながら、海を渡る船を通じてつながることで、共に生きていくための「多島海社会~アーキペラゴ~」は生まれました。それぞれの島には、それぞれの事情があり、それぞれの悩みがあり、ぞれぞれの魅力があります。良いことも悪いことも、海を通じてやって来て、また海へと旅立っていく。その全てを受け止めながら、よどみなく生活は続いていく。強くてもろいバランスの上にかたちづくられたネットワークのイメージ。それはまるで、人と人、国と国の関係性にも似ています。

所在地
香川県