今のブログを書き終え、メールをチェックすると、先日知り合った方からのメールに松下幸之助さんの文章が添付されていた。「道を切り拓く人」というブログに書き切れずにいたこと。
そうなのだ。道を切り拓く人は、どこかの特別な人ではない。

我々もまた、一人ひとり自分の道をゆく。

追伸、堀井さん、メールありがとうございます。
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 自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かけわけかきわけ汗する時もある。

 この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

 あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

 他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。

道を切り拓く人

岸田周三さんの回を視る。求道者という表現の通り、彼はひたすら自らの道を進んでいる。
打算のない、ただひたすらその道をゆこうとする姿に惹かれる。


NHK プロフェッショナル 仕事の流儀HPから

岸田さんはフレンチシェフだが、どんな分野で何に取り組んでいるかということはあまり問題ではない。ひとりの人間が、夢中に、没頭して、何かに取り組む姿はとても魅力的だ。
スポーツ選手であれ、芸術家であれ、職人であれ、どんな仕事であれ。

昨日インタビューさせて頂いた、小久保さんが大切にされている言葉を思い出す。

"Exploration is the physical expression of the intelectual passion."
「探検とは知的情熱の肉体的表現である」

彼もまた、今は天文学という分野において、未開の地を切り開く探検家だ。

同じ番組で以前放送されたイチロー選手の回を思い出す。
未踏の地を、感性とこれまで積み重ねてきた知と経験を頼りに、
更に誰も経験したことのない場所に行こうとしている。

ひとりの人間が、打算なく、ひたむきに道を切り拓いていく姿は、多くの人を感動させる。

少しずつ少しずつ

小久保英一郎さんへの取材のため、三鷹にある国立天文台へ。
小久保さんは昨年4月にTOKYO SOURCEさんとの協働で行った授業
で講師を務めて下さった方で、理論天文学の分野でご活躍されています。

昨年の手塚くん以来、更新されておりませんが(苦笑)、
実はこの「働くって、なんだ?」、少しずつ少しずつ進んでおります。
インタビューも今回の小久保さんで8人目。
目標の15人まで、ようやく折り返しました。

今回編集を担当して下さっている弘文堂の加藤さん。がんばりましょう!!

環境を変える意味

左京
 例えば、会社で働いてる人がいて、「違う道があるんじゃないかなって思ってるんですよ。でもどうなるかわかんないし」って言われたら、どう答える?

手塚
 職場を変えるとか立場を変えるとかっていうことがきっかけにはなるけど、本質的には変わらないって思ってるから。俺がホスト辞めました、明日からどっかの会社に就職しますって言っても何も変わらないと思うんだよね。だから、それってそんなに重要な問題じゃないんじゃない? っていう話から入るかな。それよりも自分がどうなりたいか、自分が今日何をするのか、自分がどういう人間になりたいかっていうことを考えたうえでの方法じゃないかな。結婚式に出るんだったらスーツ着てくし、虫取り行くんだったら網もってくしっていうレベルの話。本質は変わんねーじゃん。

 そんなに職種とか仕事によって変わることはないと思う。前、左京君が言ってたけど、どんな場所でどんなことをしたって結局は、みんなそれぞれいろんな目的があって、今は目の前のちっちゃな目標だったり、ひょっとしたら遠くの目標かもしれないけど、何があったって一生懸命がんばってる人間っていうのは、結局は日本を良くしようと思ってがんばってるんだっていうのは、結構俺のなかででかい言葉で、あぁそっか、ってすごい自分のなかで納得した。

 結局、一緒なんだよね。何やっても一緒だっていうのは、俺が突っ走ったところに何があるのかって言ったらよくわかってなかったし、今がんばってることってなんか交わんないんじゃねーかなって思ってたけど、結局はがんばるってことは自分の成長することと日本をよくすることと。人にお金をもらうってことは、人に気持ちよくなってもらった対価なわけだから、結果的にはそれは日本をよくすることにつながる。

左京
 それが世界であってもいいわけだよね。

手塚
 そう、世界であってもいいわけだし。一緒なんだなってその時思ったから、結局自分が成長することが全てかなって。仕事や職種っていうのはその上での手段であって、そこから対価を得る、お金を得ることっていうのは本当に二の次、三の次なんじゃないかって気がする。
 
 今100%魅力のある仕事で100%需要があるものに対して、相当のお金の対価が出るかって言ったら、そんなことないから楽しいわけじゃない? ちょっとしかがんばんないのにすごい儲かる人もいるけど、どんだけがんばっても全然儲からない人もいるからおもしろいわけじゃない? だから、常にマネーゲームを求めてたって、それはそれでゲームとしておもしろいけど、それは仕事でもないし、働くことでもない。なんとなく。


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 さっきのドンペリさんの話に戻るけど、やっぱり、働くことの根本っていうのは自分のために田畑を耕すこと、その次には神様のために最高のワインをつくること、そういう純粋なことの気がする。全部自分のため。
 俺自身のことを考えれば、俺はどんどん変わっていく自分に会いたい。その変わる手段・武器としての仕事。お坊さんになって、毎日毎日冷汁を食べることと、俺がIT社長になって毎月1億円稼ぐこと、その時の魅力に対しての差異はまったくない。自分がその時に本当に成長したい道筋が違うだけであって、そこに差異はないね。
 
 職種としてホストを選んで、あんまり堂々と思ってない部分があるからこそ自分自身っていうものをすごく考えられるのかもしれないけどね。僕たちはこんなに良い商売してますよっていう風に言える職種だったらここまでたぶん考えなかったと思うし。自分自身を納得させなくても、お客さんの笑顔を見てこんなに僕は幸せなんですっていう話できっと終わってたかもしれない。だけど、そうじゃないから自分自身を納得させるためにそういうことを考えるようになったのかもしれない。
 逆によかったのかもしれないよね。あんまり素晴らしいものをつくって、お客さんに喜んでもらって、あぁ僕は生きててよかったですっていうようになっちゃってたらきっとそれに満足して、楽しくそのままきちゃってたかもしれないから。

(次回はアートディレクターの寄藤文平さんです)

神様に捧げるワイン

左京
 今までの話を聞いても十分真輝君は仕事をしてると思うんだけど、あらためて、仕事ってなんだろう。

手塚
 働くとか仕事ってことを考えた時に、まずその前に“生きる”っていうことがあるわけでしょ。そのために食べなきゃいけない。ご飯を食べなきゃいけないから、昔の人たちは自分たちで狩りをしたり、畑を耕したりしたわけだよね。それはまず一番わかりやすい“働く”じゃない?

 この間フランス行った時に聞いたんだけど、一番最初にドンペリを作った人は修道院のお坊さんをしていたドンペリさんで、その人が何でドンペリを作ったかというとね、世界で一番美味しいワインをつくって神様に捧げようと思ってつくったんだって。
 神様に捧げるために世界で一番美味しいワインをつくろうと思ったのがきっかけでその結果ドンペリができた。

左京
 おもしろい。

手塚
 でしょ? 結局は仕事って誰かのために何かをすること。最初は自分のために何かをすることが仕事だったんだけど、今度は神様のために何かをすることが結果的には仕事になっちゃう。それで、収益を上げるわけだから。
 仕事っていうのは自分のためじゃなくて、過剰な収入を得ること。それはつまり、人のためにやることなんだよね。そしてそれをみんながお金を払って買う。

左京
 そうだとすると、真輝君の仕事は来てるお客さんに楽しんでもらっていい時間を過ごしてもらって、ありがとうってお金を払ってもらう。そのお客さんのためにやってるってことでしょ? 

手塚
 そうだね。でも今の俺の役割は、お客さんに楽しんでもらうっていうよりは……、結果的にはそこからお金が入ってくるけど、今の俺がやるべきことってうのは、そういう場所を作っている人間を育てることなのかな。今の俺がやろうって思ってることは、商店の入り口、八百屋さんの入り口で「いらっしゃい、いらっしゃい」って言ってるところから、一歩中に入った感じだね。
 
 でも結局は一緒だけどね。お店を大きくしたいっていうことが目的だから。単純にお店を大きくしたいって言ったら、利益を求めることに聞こえちゃうかもしれないけど、そこには自分自身のモチベーションを上げる理由がそれぞれあるんだと思うんだよね。大金持ちになりたい、歌舞伎町のキングになりたい、俺の場合はたぶん、さっきから言っているように自分自身が成長すること、今やろうと思ってることをやり切った時の自分に出会うこと。
 だから、ひょっとしたら、俺はこんなものつくったんだっていうのをこいつらに売らしたらどうなんだろう、やったら楽しいのかもしれない。こいつらはそれに伴って、いろんな面で成長してくれて、そしたら自分でお店を持って俺の店とは違うところでお店をやりたいって言うかもしれないしね。


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 この先どういうふうに仕事をしていきたいかって考えたときに、たぶん街をつくりたいんだよね。俺は。
 街ってさ、例えば動物病院があったり、お医者さんがあったり、パスタ屋さんがあったり、蕎麦屋さんがあったり、それぞれ最低限必要な役割のものは絶対あるんだよね。それが大きいか小さいかだけの差で。だけど、全体でひとつの街として見て考えたときに、それぞれの役割をもったそれぞれのものがあるじゃない。
 
 だから、街っていうのは本当の街じゃなくて、なんとなくわかる? それぞれの役割を持ったものが、自分ではどうにもできない人間たちが集まってきているなかで、俺たちはこんな街を作ったんだっていうのが作りたいのかもしれない。ダメな人間たちからはいあがってきて。俺だってもともとホストなわけだし、これからもホストで生きてこうって思ってるのは、やっぱりそういう若い人間たちと会ったからだし。俺はもうホストじゃない、経営者だって言っちゃったら、なんか嫌なんだよね。そんな俺たちでも街をつくれるんだよって、だから要は言ってみれば人生の敗者復活戦なわけだよ。

 きっと誰もが敗者復活戦なんだろうけどね。勝ち進んだ人間なんて世の中で一人もいないと思うんだよ。どっかで挫折してどっかでダメになるわけじゃん。だから今は敗者復活戦をまとめてみんなでやろうよっていう感覚はあるかもしれない。それが街っていう形でできたら面白いし、理想なのかなっていうのはある。

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左京
 「街」のなかにあるいろんな役割っていうのは、今お店にいる若いスタッフがそれぞれのやりたいことで、それはバラバラはわけだけど、ホストをこのまま続けていく人もいれば、何か自分の店を持つ人もいる、そういうふうに自分のやりたい役割みたいなものを見つけるきっかけをつくってあげたいし、必要だったら独立していけばいい。そのなかでそれぞれが機能していくっていうか、自分の役割をちゃんとやって生きていく状態が理想。

手塚
 そう、一回ホストっていうフィルターを通ってからその役割になるっていうのはすごくおもしろいかなって。

左京
 学校みたいだね。手塚学校だ。

手塚
 でも、卒業するには、その学校で良い成績を残せないと俺は嫌なの。学校にいる時に残せない人間を外に出すっていうのはね。学校で良い成績残せなくても、それ相応の才能ある人間にこういう学校が良いと思うよ、おまえはこういう道が良いと思うよって言ってやることが本当の理想かもしれない。

 だけど、まだその段階になるためには、俺たちの学校自体の資金力だったりエネルギーがまだ足りないよね。その部分が一番の悩みかもしれない。だから早くこの学校をでかくしたい。この学校を早くでかくしちゃえば、もっともっと教材変えたいってなれば教材買えばいい話だし、学校でかくしたいから建築やれよっていったら建築やらせればいい話だし。そういうことを考えると今をがんばれるかな。

左京
 それは単純に資金力とかだけじゃなくて一回手塚道場みたいなところで、自分の役割に対峙した時に大事になってくることを伝えていって欲しいっていうか、やれるようになって欲しい。そこが手塚学校のすごい大事なコアだと思う。

手塚
 そうだね。

左京
 別に資金力があるからって、手塚道場に来た人にお前にはこれが向いてるんじゃないの? って言ってすぐに辞めさせるってことじゃないと思う。やっぱり学校はくぐんなきゃいけないんじゃないの? じゃないと出さないよ、真輝君は。「よし、合格!」って言って、「街に出てよし」って言ってからじゃないと嫌でしょ?

手塚
 嫌だね。それはあるね。でも、だから楽しくなったんじゃないかな。多少、未来が見えてくるかな。

(続きます!)

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今をがんばることの意味

左京
 がんばれないことってあると思うんだよね。これじゃないのかな、とか。もっと違う方向があるんじゃないのかな、とかって、たぶん社員のなかにもいるでしょ? きっと。
 
 今はここにいるけど、自分は本当は別の才能があると思うからあんまり目の前のことには真剣になれなくて、みたいな。そういう時、相談とかどう答えるの?

手塚
 そういう時はね、うーん。前まではおしつけちゃう部分とかあったけど、今はもうちょっと自分自身がしっかりしなくちゃなっていうのがある。この学校っていうのは、ウチの店はこういう方針でこういうふうにやってくんだよ、って今なら話を具体化して、もっとみんなで同じ方向を見れるようにしなくちゃいけないと思うんだよ。
 
 そこでやっぱり、考えが違うっていう人間は出ると思うし、今もいると思うけど、それはそれでしょうがない。それに、じゃあ、この店を利用してステップアップに使ってやろうって思える関係はWIN-WINなわけじゃない? 現状で言えば。ウチの店で売り上げ上げることは店にとっても良いことだし、彼にとっても良いことなんだから、そういう人間が増えてもいいと思うの。これからはね。IMG_1269.jpg
 実際、「Smappa!」で10人くらいでやってる時に比べれば、そういう人間も多いと思うんだよ。だけど、それはそれかな。
 自分が求めてるものだったり、自分のビジョンをもうちょっと俺ははっきりさせないと、見失っちゃうようになっちゃうのかな、っていう不安がある。時間が惰性に過ぎていって、ある程度のビジョンを語ったとしても、結果がついてこなかったり、わかりづらかったりすれば、今まで俺についてきた人間たちにも不安だって起きるわけじゃない? 日々の生活に疲れることだってあるし。

 だから早くわかりやすくしなきゃな、っていうのはある。結局、今がんばることの意味をもっとわかりやすく人に教えないと、だね。

左京
  今、かんばることの意味か。それなんだろうね? 今、自分がそこにいる場所でがんばることの意味。さっきからその話なんだけどね。

手塚
 うん。結局どんな状況になってもやれることなんかひとつで、今日一歩足を踏み出すことだけなんだよっていう言い方をよくするけど、自分が今乞食だから何もしないんだとか、俺は100万円持ってるから何もしないんだとかじゃなくて、結局今やることは、今100万円持つ人間にはなれないけど、一歩踏み出すことだけじゃない? 
 だからどうなったってやんなきゃいけないんだよって言っても、やっぱり実際にそれは結果がついてこなかったり、実は、本当は前に進んでるのに自分では気づかないことってよくあるじゃん? 人って。そうするとモチベーションは下がるよね。そういう人間は悩むだろうし。

 でも、とにかく客が入ろうが、暇だろうが、どんな状況のなかでも、ひたすら自分の質を高めることが出来るかどうかが大切なんだって。そんなことを、ちゃんとわかりやすく説明できるようにならないとダメなのかなって、俺は。

 

IMG_1274.jpg左京
 今がんばることは後につながる、というか。

手塚
 そうだね。つながるってことをもっとわかりやすくしないと。誰だってそうじゃん? 俺だって、今がんばってるからって何かいいことあるかって言ったら別にないし、でも1ヶ月、2ヶ月経ったときに、自然と何かができてたりして、あぁそういうことかって思うときもあるかもしれないし。形として結果として出るときってそんなにないからね。
 
 モノつくったりすることはわかりやすいけどさ。だけど、そうじゃない。そう考えると、求めるものは自分自身の成長しかない。そこの魅力をもっとそれぞれが感じないと。昨日よりも今日がんばることが意味ねぇなって思っちゃったら、ダメだよね。俺自身もそうだと思うし。その魅力ぐらいかな。俺にとって。
 そんなこと言わないでも自分自身の目標しっかり持ってがんばれる人間はいるけどね。 

左京
 結構どの仕事でもいいっていうかさ、よく思うんだけどどの仕事にもあてはまる感じしない?

手塚
 うん。俺もどの仕事やってても一緒だって言うもん。何やったって一緒だし、どうせがんばんなきゃいけないんだし、保障なんかないし。今、やるかどうかっていうだけだと思うし、一生懸命やってれば、チャンスなんて勝手に舞い込んでくると思うし。

 今がんばることを覚えるっていうのが一番わかりやすいかな。若いこには。がんばり癖がついてれば、なにしたってがんばるから。

(続きます!)

心境の変化

左京
 最初に真輝君と会った時って「Smappa!」オープンさせた頃の後かもね。あんまり楽しくないっていう状況はもう終わってた。その頃自分のなかで何か変わってきてたの?

手塚
 俺が本当に変わったのは店をオープンさせて、従業員、若いやつらを面倒みるようになってから。オープンから1年くらい経ってからかな。責任を感じるようになったのかもね。それが一番じゃない?

 でもまあ、ひょっとしたら本当にそいつらのことを思ってるかっていったら、結局自分自身のエゴなのかもしれないけどね。でも、それが本当に原動力になったのは事実でもあるし。最初は、お店を継続するっていうことに対してもいつでも辞めちゃえばいいやって思ったからね。

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左京
 その時は感覚がまだプレーヤーだったんだろうね。その後に、ひとりのプレーヤーじゃなくて監督のような立場になってきた。

手塚
 そう、初めて。結局1年以上経つまではずっとそうだったんだよね。でもそれくらいから、自分自身が成長することをずっと魅力に思ってたのが今度は自分自身の身内だと思うようになった人間たちが成長する姿を見ることにも、すごく魅力を感じるようになったかもしれない。

左京
 人を成長させることが、逆に真輝君にとっても成長かもしれないし。

手塚
 それもあるかもしれない。その部分にも魅力を感じるようになった。

左京
 たぶん、それがないとやれないと思うんだよね。真輝君の性格的に。
 その人のためだけって結構できないじゃない?

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手塚
 出来ない、出来ない。人のためって思ってやることは結局自分に返ってくると思うけどね。今の俺だったらね。

 やっぱり、裏切られることの方が多いからね、俺たちは。信用して良かったなって思うことよりも。9割裏切られて、信用して良かったなっていうのは1割くらい。お客さんに対しても自分自身に対しても。だから源氏名っていうものがあるわけだし、履歴書なんて嘘っぱちでいいわけだし、生い立ちなんて関係ないし、要はすべてがフラット、0から始められる街が歌舞伎町なのかもしれない。

 だから瞬間最大風速だけでいいわけだから。人のこと考えてる人間なんかいないと思うし、あとくされのない街だからこそ、それが誰でも来れる街の魅力だしね。裏切られることに慣れちゃってるんだよね。でもだからこそ、信用したり、されたりする、当たり前のことがものすごく嬉しく感じられる。

(続きます!)

個人商店から経営者になったけど。

手塚
 ホストの仕事は自分の中で23歳くらいまでやるっていうのがあったから、23,4歳くらいになってから考えようって思ってた。一生やるわけじゃないっていうのはわかってたけど、どっかできっかけがくるんだろうなって23,4,5くらいの頃の自分に勝手に期待してたんだよね。なんかチャンスがくるんじゃないかって。

左京
 それで実際、23,4歳の頃は何してたの?

手塚
 バリバリやってたよ。でも、悩み始めてた。

左京
 ちょうど「Smappa!」オープンくらい?

手塚
 「Smappa!」オープンするのが25歳くらいかな。それまでいたお店を、取り敢えず辞めて違うことやろうと思って。そしたら今度は出来ることが何もなかった。自分がやれることが分かんなかったんだよね。

 例えばその時『深夜特急』読んでたからバックパッカーになろうとか思ってたし、それかお寺に入ってお坊さんになろうかなーくらいしか思わなかったし仕事を知らないから職種も思い浮かばない。世の中に他にどんな仕事があるかもわからないから、勢いでお店始めた。別に独立して、「よっしゃ、俺は新宿でのし上がってくぞ」なんて思ってなかった。


IMG_1276.jpg左京
 でも、個人商店のままでもよかったわけでしょ。

手塚
 それに関しても不安があったんじゃない? 今度はずっとこのまま続けていくことはできないし自分の成長っていう意味でも、もう本当に繰り返しになってたから。ある程度極めたっていう言い方は変だけど、自分のなかで、ある程度の方程式ができちゃったら、次に新しいお客さんができたって、その方程式に当てはめるだけの繰り返しになっちゃってる。

 それが本当に儲かるコツなのかもしれないけど、それが出来ちゃったらあんまり魅力はなくなっちゃった。稼ぐことはできただろうし、個人商店を続けることもできたけど。

左京
 自分でお店をやるのは初めてだったわけでしょ? それまで個人商店っていう舞台のなかの、いちプレーヤーだったのが、全然違う役割になる訳だよね。

手塚
 当時は全然違う役割だとは思ってなかった。別に店やることが難しいとは思ってなかった。肩肘はらずに自分がやりたいことをやるっていう感覚で店始めた。

 

IMG_1273_03.jpg左京
 そこに新しいチャレンジみたいなものは?

手塚
 あったと思うよ。あったけど、水商売のホストっていう仕事が自分の中で、世間から見たときのイメージとして別に良くはないっていうのがあったから、店出したからってよくやったなーとか全然なかった。すげーがんばった、今日達成したーみたいなのは全くなかったよね。

左京
 とりあえずそれしかないと。

手塚
 そんな感じだった。そう、とりあえずそれしかなかった。

左京
 あんまり楽しくなかったの?

手塚
 全然楽しくなかった。店オープンさせて、別に楽しいとか・・・・・・、変わんなかった。

左京
 個人商店が大きくなってる時はさ、分かりやすい結果が出たり、自分なり商売の仕方が出来たりしてそこは楽しかったわけでしょ? 自分の成長を感じられるわけだから。でも、そういうのはその時はなかった?

手塚
 一軒目を出したくらいの時は全然思わなかった。本当何も考えてなかったし、ビジョンもなかったし、本当ノリだね。高い買い物、高い車を買ったのと同じような感じだね。でもひとつ変わったのは環境かな。いろんな人たちと接する機会が増えた。

 その頃ね、敬語の使い方とか忘れてたもん。敬語を喋ることなんかなかったから。だから、親に保証人になってもらわないとテナントの契約できないってなって実家に帰る時に、妹に「俺、お父さんのこと何て呼んでたっけ」って聞いたもん。「お父さん? オトン?」とかね。「敬語で喋ってたっけ」とか聞いた。どうやって喋ってたか感覚がもうなかった。忘れてた。

(続きます!)

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その先にあるのは、成長する自分。

手塚
 例えばね、何かの仕事をする時に書類をまとめるとか、それ自体が嫌な作業だったとしても、その一歩先のことを考えれば、目の前のことが苦でなくなることってあるじゃない? 

 それと同じで、大学受験の時は受験勉強のその先にある魅力と、目の前で直面している勉強のおもしろみとにズレがあったんだよね。

左京
 先に対する魅力ってさ、さっき真輝君が言ってたように、同じ4年間を過ごすんだったら大学よりも歌舞伎町で働くことを選んだ方が自分自身がより成長できるということになるよね。

 だから、真輝君のなかで大事なのは、より成長できる選択肢を選ぶっていうことだよね。例えば一般的には、その先にあるのは、お金だったり、世のため人のためみたいなこともあるかもしれないけど、それよりも、その先で自分自身が成長できるっていうことがすごく大事なのかな。

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手塚
 それかもしんない。自分自身の変化が一番かもしれない。
 だから、例えば、「結婚したいですか?」 って聞かれたりして、結婚したくはないけど、子供は欲しいなって思って、何で子供が欲しいんだろうなって考えたら、子供ができた時の自分に会いたいんだよね。
 子供を持ったときの自分がどんな人間になるんだろうかって。そういう自分自身の変化が一番楽しいよね。

左京
 それは仕事をするうえですごく大事なところかもしれないよね。

手塚
 例えば旅行に行ったりするのもそうじゃない? 
 どこかに旅行した時にその旅先でどんな自分であったとかより、「こんな人に出会ったんですよ」、「こんなことがあって楽しかったんですよ」 ってみんな言うけど、それよりも本当は自分がどう思ったかが実は重要なんだよね。

 自分よりも他者のことを優先して喋る人って多くない?

左京
 うんうん。

手塚
 じゃなくて本当は自分が楽しかったこと、そこでどう思ったかが一番重要なことでね、自分の成長が本当は重要。

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左京
 そう考えると、たぶんホストっていう仕事が個人の裁量で、明日行かなければ0だし、自分の個人商店が流行って行列ができればどこまでもお店が流行るみたいな・・・・・・、そういう働き方が真輝君にはすごくしっくりきたんだね。

手塚
 しかもわかりやすかったから。今だったら会社があって、その会社にはそれぞれの役割があって、チームとしてその役割を果たすっていうことも考えられるけど、若い頃はそこまで考えてなくて。直接的な結果が欲しいもんじゃない? 

 若い時に今月がんばった俺は、何十人のなかで何番だったっていうのは中学生の時の学区内テストと同じ感覚でやってたと思う。テスト返してもらって学校で何番でしたっていう結果、みたいなのをもらう時の感覚とほとんど一緒。

 でも、それがホストの仕事の時はクラスで一番っていうのと同じ感覚で、毎月頑張った結果をお給料がいっぱいですっていうふうにわかりやすくもらうから。だから仕事っていう感覚ではなかったな。

(続きます!)

第1回 手塚真輝氏・ホスト

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1977年、埼玉県生まれ。大学中退後、歌舞伎町の某有名ホストクラブに入店。入店後、約1年でナンバーワンに登り詰める。2003年に独立、現在は歌舞伎町でホストクラブ「APiTS」、「Smappa! HYPER」とバー「BRIAN BAR G」の計3店舗を経営。歌舞伎町でゴミ拾いをするホストによるボランティア団体「夜鳥の界」リーダーも務める。

【働くという感覚がない】

左京
 “働くって、なんだ?”っていうテーマでインタビューしたいって言われて最初どう思った?

手塚
 まず、「働いたことがないな、俺」、だから何を答えたらいいのかなって思った。俺たちの場合、もともと、「今日入りました」、「明日辞めます」っていうのが通用する業界。そして、いればお金になるというわけでもない。そういう感覚がいわゆる“働いてる”みたいな感覚と違うのかもしれないね。

 ホストって、一人ひとりが個人商店の店主で、俺は手塚商店っていうのをホストクラブという「場」を借りて開いてる。その代わり手数料をお店に払う。これがホストクラブの基本的なスタイルなのね。

左京
 なるほど。

手塚
 そうそう。だから「僕辞めます」って言ったら、その個人商店をたたむのと一緒なの。

左京
 今、真輝くんは場を作ってる(=ホストクラブを経営している)訳だけど、その前の個人商店時代はどんな感じだったの?

手塚
 うーん、子供の頃の感覚と同じかな。例えば、ラグビーの試合があります。それに向けて練習します。その感覚とそんなに変わってないかもしんない。その結果の対価をお金で得てるってだけで。

 結局さ、そんなのって、自己満足みたいな部分があるじゃない?試合に出て活躍したいことについて、それがなぜかなんて真剣に考えたりしないじゃん。たぶんすごく純粋に目立ちたい、活躍したい、それでみんなに誉められたい、そんな気持ちがあったんだと思うけど、その感覚とたぶんそんなに遠くなかったかもしれない。ラグビーと違うところは、手塚商店が流行ればお金を得られるっていうことくらい。みんなに誉められて、俺もうれしいし、くらいの感覚かもしれないよね。あんまり、仕事っていう感覚ではなくってさ。

左京
 その感覚は大学を中退する時くらいも?

手塚
 たぶんずっと。それに、新宿の夜の世界っていうのが、あまりにも今まで自分が出会ってきた人達と別世界に生きてきた人たちばかりだった。本当に不良しかいない時代だったの。それまで真面目に生きてきて、まったく異世界の人たちの中に飛び込んだとき、逆にいっちゃえば俺が不良なんだよね。

 自分の方が異端児なの、周りの人達に比べると。そういう環境に自分を置いた方が、今まで真面目に生きてきた自分にとって、4年間大学に行くよりためになるかなと思って。

左京
 うんうん。

手塚
 俺ね、まず大学に行く理由として、医学部に行きたかったの、ずっと。子供のころから医学部に行きたかったけど、それが叶わなかった時点で、あんまり大学に行きたくないっていうか。大学に通うこと自体の魅力がなくなったかもしれない。

 もともと、性格的にひとつのことを、つきつめて考えるほうで、例えば今日はこっからここまでのデータ入力作業をやりましょうって言われたら、それを一日中、ひとつずつ処理するような仕事が向いてるタイプなの。俺は覚えてないけど、子供の頃、小学校の国語の授業で、この小説のこのページを要約して下さいって言われたりすると、みんなと比べて俺だけまとめ方が違うんだよ。みんなは、長い文章を1行でまとめちゃうんだけど、俺はそのページをひょっとしたら、元のページよりも長くしちゃうようなまとめ方をする子供だったの。その一ヶ所にすごく集中しちゃう子っていうか。


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歴史の授業で何かについて調べましょうって言われても、例えば何年から何年までの日本の歴史を調べるうちに、ひとつの行事が気になっちゃうとそれについてとことん調べちゃったりする。その年代全体のことを調べるんじゃなくて、この戦争どんな意味だったんだろうって資料集とかひっぱり出したり、図書館とか行って調べて、先生に持ってってもあんまり評価されなかったりとか。 
 要は、専門分野にとことん突っ走ることが自分に向いてるんだと思う。これって決めたらとことんそれ!みたいな人間なんだよ。何かに対して。
それがこの世界に入ったときに、もう間逆じゃない? それで最初の頃は、あぁこれは向いてないな、と思ったの。

 だけど、もうひとりの俺は本能かもしれないけど、自分自身を成長させるっていうことを考えたときに、じゃあ、この全然向いてない世界に4年間いた方が、大学で専門知識を学ぶよりも4年後の自分にはプラスになるんじゃないかなって。それが一番。ホストクラブで働き初めて3ヶ月目くらいの時にそう思って、当時19歳だから23歳まではやってやろうって決めた。

 23になった時に、周りの同級生、一浪して早稲田行きました、とか、そういうやつらに負けないでいてやろうって思ったのね。

左京
 普通に一般企業に入ろうっていうことは全然考えなかった?

手塚
 普通に大学に行って、普通に就職するっていう未来は俺には見えてなかったんだと思う。全然考えてなかったな。
 一般企業に勤めて、何かしてる自分っていうのはあんまり想像してなかったな。

左京
 医者にはいつ頃からなりたかったの?

手塚
 子供のころからなりたかった。脳みそに興味があった。世の中にわかんないことっていっぱいあるけど、一番不思議で一番わかんないのって自分だなって思って。自分が一番世の中でわかんない、こんなに身近なのにこんなにわかんない、俺って何考えてんだろ、俺って何なんだろ、何で手が動くんだろって。
 医者っていうか人体に興味があった。

左京
 勉強したんだ。

手塚
 してなかった。

左京
 あーそういうこと(笑)。

左京
 話を少し戻して、大学を辞める時、不安とかなかった? 一般的に考えるとやっぱり大学生から中退してホスト始める人なんてあんまりいないよね。

手塚
 俺にとってはお医者さんになれなかったことと、大学を辞めることはそんなに変わらなかった。医学部に入るっていう目的のない大学に行くことと、大学を辞めることっていうことにそんなに差はなかったのかもね。

左京
 医者になれないとしたら、そこでもう大学に行くことも含めて選択肢としてはずれたわけだ。

手塚
 でも今考えると、医者っていうのが自分にとって分かりやすかっただけなのかなとも思う。大学の4年間で何かやりたいことを探すっていうのは自分の中でなかったのかもしれない。焦ってたのかもしれない。
 
 出来ることっていうか、自分自身の存在意義っていうかさ。そういうものに対して焦ってたのかもしれないね。 “大学生”っていうカテゴリーでいることっていうのがすごく嫌だったのかもしれない。

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左京
 なんなんだろうね。その焦りは。

手塚
 高校受験する時もそうだった。例えば専門学校に行ったり、工業高校に行くのって分かりやすいじゃん。将来何になるかってことが。だから、自分自身のなかで定まったもの、道筋っていうものがないと不安だったんじゃないかな。高校の普通科に行って俺は何するんだっていう、迷いを決心させるために、医学部に行くためだっていう理由を自分のなかで結論づけて普通科の高校に行ったんだよね。だけど、その時も最初悩んだな。
 
 ひょっとしたらそこまで医者になりたくなかったのかもしれない。なんとなく、自分自身っていうものの存在意義に関して不安だったりこだわりだったりがその頃からずっとあった。だから、“大学”っていうカテゴリーに属している俺っていうものに対する魅力はかなり低かった。大学もほとんど夜間受けたし。それも働きたいっていうのがあったな、そういえば。そう、働きたかったのかもしれない。

左京
 その時の真輝君的には働くっていうことの意味は、さっき言ってたように自分を一番成長させるっていうことだったんだよね。

手塚
 そうだね、成長させるし、知らないことだからね。そうだ、働きたいと思ってたんだ。

(続きます!)

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シブヤ大学 学長の左京泰明が「仕事」や「働くこと」について、様々な分野で働く同世代の仕事人に素朴な疑問をぶつけ、彼らの言葉の中から「働くとは何か」を探っていくインタビュー企画です。
協力:(株)弘文堂

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