シブヤ大学

授業レポート

2016/6/3 UP

トリノの地区の家
都市再生の新しい考え方と実践のし方

この授業は、HOME’S PRESSさんに取材していただきました。
以下のリンクより記事をご覧頂けます。
【トリノの「地区の家」➀】移民が増えて混沌とした危機的状況から地域を再生するために
【トリノの「地区の家」➁】市民生活の活性化をめざす取り組み。成功に必要だったことは?

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「地区の家」と名前だけを聞くと、日本の公民館のような場所を想像するかもしれない。
ところがここは、お洒落なカフェがあり、ひとたびイベントが始まれば人々が歌い踊るような、とことん自由な場所なのだ。
50以上の市民団体が常に数十のワークショップを開催するカルチャースペース。
それらが全て行政ではなく市民によって運営されている。自由な雰囲気はそこから来ているのだ。
毎日夜遅くまで開いているのも、全て参加している人たちの自己責任。
この自由と責任の感覚が、いかにもヨーロッパらしい。

しかし、この地区サン・サルヴァリオがもともと魅力的な場所だったわけではない。
むしろ逆に、犯罪の横行する、ほとんど最低な街だった。
移民の流入がきっかけと言う人もいるが、移民だけのせいにするのはフェアではない。
この多種多様な人々が暮らす街は、その多様性に合わせて変わらなければならなかったのだ。
もう一度街を蘇らせたい、そんな思いから「地区の家」は生まれた。
そして人々が繰り返し何度も話し合うことで、今のような活気ある場所にしていったのだ。

「地区の家」を運営するアンドレア・ボッコさんの本職は建築家だ。
でも「地区の家」はボッコさんが建てたものではない。
昔は公衆浴場だった建物を改修したのだ。
ボッコさんは言う、建物はその中に人の暮らしがあってこそ生きるものだ。
もともと人が集まる場所だった公衆浴場は、人を惹きつけるのに恰好の条件を満たしていたに違いない。
そこに目を付けて、街と建物と人を結ぶ付ける。
なにも新しい建物を建てなくたって、街も、そして人も生き返る。
ボッコさんのやったことはそんなことだ。
人が暮らす空間を立ち上げるという意味では、これも一つの“建築”と言えないだろうか。
(この辺が“ハコモノ行政”の日本と大違いだ)

さらにボッコさんは語る。非物質的なことを目指していきたい、人が色々な経験をする、その経験することが何より大事なんだと。
「非物質的なことや持続可能性を求めて田舎に行く人は多いんだけどね・・・」
でも、それを街でやることに意味があるんだ、街でもできる、街で生きる自分はそうしたいんだ、そんな強い思いを感じる。



「街は建物と建物の集合ではない、人と人との集まりなんだ。」この言葉にも、とても共感する。
僕は、家が店をやっていたので、商店街で生まれ育った。
かつて商店街は、店の集まりというだけでなく、人と人とを結ぶ何かがあった。
だが最近は、個人商店がチェーン店に取って代わったこともあって、単なる店の集まりになりつつある。
街はいま、便利で快適ではあるが、人間疎外に向かっていやしないだろうか?
人は物質主義の部品になり下がっていやしないだろうか?
以前のサン・サルヴァリオが荒んだ街だったことを思うと、手遅れになる前に何かできることはないか、そんなことを考えさせられた。

山﨑栄治

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先生のお話しを聞きながら、自分の住む街にもこんなところがあったらいいな、と強く感じました。
困った時に気軽に相談に行ける場所が、日本にはないように思うから。

先生の、
「人と人との関係を補強していくことが必要だ。」
という言葉が、とても印象的でした。
国が違っても、どこに住んでいても、人が生きていくためには、まわりの人との繋がりが大事なんだと、改めて感じました。

「自分たちの活動を広げていく上で一番大事なのは口コミ。ソーシャルネットだけに頼るだけでなく、自分たちの口で伝えていく。」
「プロジェクトが始まったときにお金がなかったのはラッキーだった。なぜなら、本気でやりたい人だけが残ったから。」

肝になるのは、やっぱりどこまでも「人」。

吉川真以

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今回の授業では、まちづくりのなかで「最初にお金がなかったことがラッキーだった」と話していたことが印象的でした。前向きに捉える姿勢が素敵だと思いました。
また、地域との関わり方は“becoming local”であるとのこと、自分はどうだろうと考えるきっかけとなりました。自分が住む場所や働く場所に根差す人々と会話してみたい!と思わせてくれる授業でした。

菅井玲奈

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今まで『都市再生』と聞くだけで、自分には関係のない意識高い系の方々のお話だと思い受け流していたのですが、今回のボッコさんお話を受けて考え方が少し変わりました。

ボッコさんが、「都市とは建物の集合ではなく人間の集合である」と言うように、『ボッコさんの語る都市再生』は、その土地に住む方々と協同して作り上げていくものであり、今まで抱いていた無機質なイメージとは違った印象でした。

地区の家は、トリノ五輪開催によって観光地化されるなか、忘れられていた地域の方々の声を取り入れ、一緒に作り上げていくことにより、その地域に受け入れられたようです。

現在、日本でも地区の家のような場づくりの取り組みが注目され始めています。その一方で、2020年の東京五輪を意識するばかりに、地域の方々が置き去りにされている事案もあるように思います。

「排他的ではなくニュートラルな立場であたること。他者を受容して正しさを押し付けないことこそ、文化的プロジェクトの成功に重要なことである」と、ボッコさんは言います。

ボッコさんの語り口には不思議な説得力があり、イタリア語がわからない自分にも不思議と響くものがあります。
こんな風に街の未来を語ることができたら、きっと賛同するひとも自然と増えていくんだろうなと思いました。

中村 隆

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(写真:中村 隆)