シブヤ大学

授業レポート

2007/5/29 UP

       

私達の生活と関係が深い洋食器。コーヒーなどを飲むときに使うカップやお皿をイメージしてもらえれば分かる通り、模様やサイズも似たような感じでしょう。
デザインも、私たちが見ても素敵だなと思えるものですが、私たちが「高級洋食器」といって憧れるその美は、実は古伊万里と深い関係があるのです。
「古伊万里」とはその名の通り、古い伊万里焼のこと。伊万里焼とは、江戸時代に有田焼が伊万里の港から出荷されていたことからついた名前です。
今回の授業では、初めての人にも分かりやすい解説をはさみながらの古伊万里の海外輸出の話や、柿右衛門様式の魅力、欧州の磁器に及ぼした影響など、中島先生の丁寧な解説で進んでいきました。

17世紀、オランダ東インド会社は伊万里(有田焼)を大量に買い付け、ヨーロッパへ輸出するようになりました。磁器生産の先進国であった中国が、明から清への交代期で鎖国したため、当時焼き物を始めたばかりの隣国である日本に輸入先を変えたそうです。そのおかげで日本では古伊万里の生産が広まります。
最初はヨーロッパからの注文に合わせたものを作っていました。オランダ東インド会社の略号VOCをそのままデザイン化したもの、当時日本の習慣には存在しないような製品など。使い勝手もわからないものなど、作っている側の江戸時代の日本人にとってはまったくなんのことやら分からなかったに違いないのに。と中島先生は言います。
しかし除々にではありますが、日本の独自のスタイルを確立していきます。それが「柿右衛門様式」と呼ばれるもの。これがヨーロッパ各地に広まることになるのです。中国のデザインは左右対称ですきまなくビッシリ描かれているものに対して、柿右衛門様式は、非対称で大きな余白があり、真っ白い生地に上絵のみで装飾が施されたものが特徴的。余白をたっぷりと使うことの日本独特の美意識も、もとは柿右衛門のデザインからだったのですね。続いて登場した金が目立つ豪華な「金襴手(きんらんで)」も多数輸出されます。

しかし18世紀も半ばになると、中国磁器の輸出が再開し、古伊万里の輸出は急激に減少します。同時にヨーロッパ各地の窯で、古伊万里を模した磁器が焼かれるようになりました。ドイツの名窯、マイセンでは多くの柿右衛門写しが作られたそうです。授業で配られた資料で見ると、本当にどちらが伊万里でどちらがマイセンかも区別がつかないほど。ほとんど同じ絵なのだけれど微妙なところに違いがあって、まるで間違い探しをしているようでした。

そしてヨーロッパでは次々に磁器釜が開かれ、現在の洋食器の基礎が作られていきます。
白い磁器に青や赤の色彩、東洋の美意識を反映した文様。なるほど。私たちが憧れる美のルーツは柿右衛門様式だったのですね。
授業の後半では、6月末まで開催されている『戸栗美術館名品展Ⅰ-古伊万里・江戸時代の技と美』の展示室で、実際に鑑賞します。染付けものから柿右衛門様式や金襴手、さまざま磁器・古伊万里が展示してありました。
中には色を塗っていない制作途中の焼き物も。先生は「当時の人はどうしてこの状態で残したのだと思いますか?」と質問すると、生徒さんは「どうやって作ったかの工程を残すためのサンプル?」と答えました。
先生曰くこれに答えはないそう。「わたしは依頼した人の予算が足りなくなって、急遽ここまでってお願いしたのだと思いました。」この言葉には皆さんから笑いが起きました。
「焼き物というのは必ず人の手によって作られるもの。その時どんな思いで作られたのか、想像しながら鑑賞するのが一番の楽しみ方なんです。」
中島先生の言う通り、どうしてここにこの絵を書いたのか、どうしてこの色だったのか、当時作っていた人の気持ちを感じながら鑑賞する焼き物は、本当に趣深く、さらに見応えのあるものになります。
シブヤ大学7回目となるこの焼き物鑑賞の授業、今回も来た人を焼き物の虜にさせるような、とても素敵な授業でした。

(ボランティアスタッフ 嶋村千夏)

【参加者インタビュー】
①クノさん(女性)
・新宿区在住
・感想 
 「古伊万里って何?というくらい初心者だったけど、とても興味が持てました。先生のお話もとてもわかりやすかったです。」
・今後受けてみたい授業
「作家さんを呼んでワークショップをやりたい。」

②鈴木さん(男性)
・千駄ヶ谷在住
・感想
「以前台湾の美術館でたまたま焼き物を見て興味を持った。でも専門知識がなかったので鑑賞の仕方がわからなかった。今日はやきものの楽しみ方を学べて満足です。」
・今後受けてみたい授業
「リメイクジーンズのワークショップをやってみたい。」