シブヤ大学

授業レポート

2007/2/24 UP

連続講義の3回目。3回全部出席の生徒さんはいませんでしたが、2回目の生徒さんがちらほらと。前半60分は戸栗美術館内の応接室で講義を受け、後半30分で先生の解説を聴きながら展示の鑑賞をしました。さて今回のお題は、「古伊万里は日本のやきもの史の中でどこに位置するのでしょうか?」やきものの歴史とはいかに・・。昔に習ったことを思い出しながら、レジュメに沿って授業は進みます。日本には何百もの数のやきものの種類があるといわれています。また、数が多いだけでなく、やきものによってその歴史がはじまるときはバラバラ。やきもの史の中には、やきものの種類が増える「ブーム」があるそうです。日本の最初のやきものは縄文土器。その後、弥生土器がうまれ、土器は土師器(はじき)、かわらけ、と名前を変えてその後に引き継がれていきます。これとはまた違う経緯を辿ってうまれたのが須恵器(すえき)と呼ばれるやきものです。4世紀から5世紀のころ、朝鮮半島から日本にはいった技術を用い、窯をつかって高熱で粘土をかたく焼き締めました。高熱で焼くことによって燃料の薪の灰が降りかかり、粘土との作用で自然釉(しぜんゆ)という自然の釉(うわぐすり)がかかります。そこから派生して、焼締陶(備前、常滑、信楽など)がうまれ、壺、甕、すり鉢などの日用品として利用されました。備前のすり鉢は丈夫で使い勝手がよく、にせものが誕生するほどの人気ブランドだったそうです。一方、釉の作用に注目したのが瀬戸窯です。そこでは釉を意識的にかけて焼き、施釉陶器を生産しました。中国の白磁、青磁、黒釉陶を模したものがつくられ、古瀬戸とよばれています。そして室町時代後期から桃山時代にかけて、茶の湯の流行と社会背景の変化によって志野や織部などの新しい食器が誕生しました。古伊万里は17世紀、江戸時代初頭に佐賀県(肥前)の有田近辺において誕生しました。藍色の文様を描き、透明釉を施して焼成する「染付」や、さまざまな色を釉の上におく「色絵」の技術が確立され、とても色鮮やかなやきものが現代にも息づいているのです。最後に展示を観るときのポイントは①テーマを持って鑑賞する(文様にも植物、動物などさまざまあります!)、②お気に入りをみつけたら、どこが好きなのかよーく観察する。美術の授業でもあり、歴史の授業でもあり、実に中身の濃い1時間半でした。また来年のお楽しみ!!

(ボランティアスタッフ あきやまけいこ)