シブヤ大学

授業レポート

2008/3/5 UP

「理想の街」の作り方

【街のプロデューサーが出来るまで】
今回は、渋谷区議会議員として、画期的な事業をいくつも手がけている、長谷部健さんによる授業でした。
教室である明治神宮社務所に用意した150席は参加者で次々に埋まり、後ろでは立ち見の人もいました。

そして長谷部さんの登場。

カーキー色のオーバーオールに白いスニーカーを履いた姿は、とても区議会議員には見えず、近所の気さくなお兄ちゃんといった感じでした。

授業はご自身の原点といわれる青空保育の話から始まり、大学時代に打ち込んだオージーボール、就職活動の様子、広告代理店の頃の仕事ぶり、選挙にいたる経緯など、長谷部さんのこれまでの人生を振り返るような流れでした。

その中でも意外だったのが、長谷部さんはもともと区議会議員になろうとは考えてもいなかったという事です。当初、地元の同級生や親から、区議会議員になってくれと声をかけられていたのですが、ご自身は笑い飛ばすだけで、頑なに断っていたそうです。
ただ、広告代理店の仕事をする一方で、いつかは公共広告のような、社会貢献メッセージを発信する制作会社を作りたいという思いはあって、その機会をうかがっていたそうです。そして30歳になった時、ゼロになって新しい事を始めたいと思い、また、3年ごしに声をかけられていた区議会議員が、「政治家」ではなく「渋谷区のプロデューサー」と捉えると、なんだか自分のやりたい社会貢献とイメージが重なるようになって、心機一転、選挙にでる決意をしたそうです。

「政治家」ではなく「渋谷区のプロデューサー」。
ここにさまざまな事業に対する、長谷部さんの姿勢がうかがえました。

【行政、企業、区民の壁を取り払う】
そして話はいよいよ、長谷部さんが街のプロデューサーとして取り組んできた事業にうつります。

子供達が自分の責任で自由に遊べる「プレーパーク」、「マイケルジョーダンメモリアルコート」、プロスポーツ選手が来て子供達と触れ合う学校、誰でも手軽に始められるゴミ拾い「グリーンバード」...。
長谷部さんがこれまで形にしてきた事業は、今までの行政活動とは違って斬新で、またその成果もめざましいものがあります。その中で、ご自身がいつも意識している事は、行政、企業、区民の壁を取り払い、結びつける事だそうです。

プロスポーツ選手の交流を例にとると、本来スポーツチームはファンを獲得するために、地域貢献の機会を設けたいと考えています。しかし実際は子供達が外で遊ばなくなり、スポーツをする機会は少なくなりつつあります。
一方で学校の子供達には、授業の他にも、何かを成し遂げた大人と触れる事で、学校では学べない事を身につけて欲しいと考えていました。
そこで長谷部さんが行政の立場から学校を解放し、両者を結びつけたのです。
そうする事で、プロの選手が学校で授業をしてくれたり、給食を一緒に食べたり、試合がある日は会場に無料で招待したりと、新しい交流が生まれたのです。

区民の視点を持ちながら、企業の望んでいる事を把握し、行政でしか出来ない事を実行する。この三者に対するバランス感覚が、街のプロデューサーには不可欠なんだと思いました。

【シブヤ大学ができるまで】
僕たちが毎月楽しみにしているシブヤ大学も、何を隠そう、長谷部さんの構想から始まりました。最初は、子供が憧れる大人を作ろう、そのために養成所のようなものがあればな、という思いがあったそうです。
そして渋谷区の絵を見ているうちに、なんだかキャンパスに見えてきたので、例えば渋谷区をまるごと大学にみたてて、区内に集まる面白い人が先生になって授業をすればきっと市民のためになるのでは、とイメージがどんどん膨らみ、さっそく行動に移したそうです。

さてシブヤ大学の話を進めて間もないころ、長谷部さんの元に一人の青年が訪れました。この青年、元大学ラグビー部主将で、卒業後、商社で経理を担当していた人物ですが、長谷部さんのさまざまな事業に共感し、自分も何か社会に役だつ事をしてみたいという思いから、一緒について、勉強するようになりました。
そのうち「グリーンバード」副代表をこなし、NPOの運営方法も身につけていき、長谷部さんも、この青年にはもっと大きな事を任せてみたいと思い、シブヤ大学の運営を任せました。
その人物こそ、我らの学長、左京さんだったのです。

この、事業の器を作って運営の出来る人に任せる、ここにも長谷部さんのセンスが伺えます。なぜなら自分が事業の運営まで担当してしまうと、それに付きっきりになってしまい、他の事業まで手が回らなくなるからです。
街のプロデューサーたるもの、事業を任せられる人を見抜くのも、大事な事なんだと気付きました。

【事業を進めるための工夫】
次々と画期的なプロジェクトを実現してみえる長谷部さんですが、もちろん、なかなか上手く行かない事もあるそうです。でも長谷部さんは、いくつかの事業を平行して進めるようにしていて、「一つがダメでも他がある」といって、ともかく歩き続けるようにしていると言っていました。
分からない事があれば人に相談し、いろいろな人の力を借りて進めているそうです。

また、人と一緒に物事を進めていくときも、コミュニケーションを大事にしているようで、例えば「堅く、熱く」よりも、「楽しく、面白く」伝えてみたりと、工夫をしているそうです。これも広告代理店時代に、物事を伝える事の大切さ、難しさを、経験したからなのかなと思いました。

世の中には、自分たちの地域を良くしていこうと頑張っている政治家の方は、もちろんたくさんいるはずです。
でもなぜか長谷部さんがこんなにも注目されているのは、渋谷区という全国的な知名度がある地域、取り組む事業の斬新さも、もちろんあると思います。
でも、もう一つ、
「この人の話なら、聞いてもいいかもしれない、何かやってくれるかもしれない」
と、なんだか人が期待してしまう魅力もあるのだろうと思います。
授業の後、長谷部さんの前に並んだ参加者の列を見ながら、そんな事を感じました。

(ボランティアスタッフ スズキタケル)